下関で中国地方知事会 東京一極集中是正など共同アピール採択
下関で中国地方知事会 東京一極集中是正など共同アピール採択|NHK 山口県のニュース 配信より
中国地方5県の知事が一堂に会して行われる中国地方知事会の会議が
山口県下関市で開かれ、東京一極集中の是正などを盛り込んだ共同アピールを採択しました。
下関市で開かれた会議には中国地方の5県の知事が出席し、
東京一極集中の是正などについて意見を交わしました。
この中で、山口県の村岡知事は「東京に集中している大企業や大学の定員を地方に分散するなど、社会の構造を変えるように国に対して声を上げる必要がある」と述べました。
また、島根県の丸山知事は
「東京に多い大企業と地方の中小企業の実質賃金の格差拡大が一極集中を助長している。これ以上、差が開かないように社会全体で取り組むべきだ」
と述べました。
そして、東京一極集中の是正に加え、国に対し、アメリカの関税措置に対して、地域の実情に適した対策などを求めることや、ことし3月に岡山市で発生した大規模な林野火災を踏まえ、燃えにくい木の植林など火災の発生予防などを求めることを盛り込んだ13項目の共同アピールを採択しました。
中国地方知事会の会長を務める鳥取県の平井知事は「地域の課題や喫緊の課題を率直に話すことができた。地方の声を国に届けていきたい」と話していました。
私のコメント : 令和7年5月28日、中国地方5県の知事が一堂に会して行われる中国地方知事会の会議が山口県下関市で開かれ、東京一極集中の是正などを盛り込んだ共同アピールを採択しました。
島根県の丸山知事は「東京に多い大企業と地方の中小企業の実質賃金の格差拡大が一極集中を助長している。これ以上、差が開かないように社会全体で取り組むべきだ」と述べられました。
過去、竹下登元総理大臣が、プラザ合意後 日本の歩む道についての対応にかかり、山口県・島根県にもわたり、当時、山口県 山口市で講演をされた際、竹下登代議士が、当時の内閣官房長官 勤められていた 佐藤栄作総理大臣 時の利害関係人 一人としての対応も私にあり、私は、その対応の準備、竹下登元総理大臣からの講演内容も 拝聴をしている。
その後、東京都 永田町 衆議院議員会館にて、竹下亘代議士と島根県 丸山達也県知事が、面談をなされた後、その翌日、島根県帰庁された際には、私が、島根県に対して各 公文書開示請求をしたのちの対応があり 私は、島根県まで行き、島根県庁にて 島根県 丸山達也県知事と面会をする機会があった。その後、私と丸山達也島根県知事が面会したのち、それをみとるようにされ、そのまもなくして、竹下亘代議士が、そのご逝去をなされるという事実がある。
島根県庁、島根県 秘書課による 私への一連における対応についても、平和を願う世界の人からは、注目をされていかれたいと願っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
竹下亘衆院議員が死去、74歳 竹下派会長、食道がんを公表し療養
竹下亘衆院議員が死去、74歳 竹下派会長、食道がんを公表し療養 [自由民主党(自民党)]:朝日新聞 配信より
自民党の竹下亘衆院議員が死去したことが18日、わかった。74歳だった。
19年1月に食道がんを公表。同党竹下派の会長職を続けながら、治療に当たっていた。
今年7月に体調不良を理由に次期衆院選に出馬せず、政界を引退する意向を表明していた。
NHK記者、兄である故竹下登元首相の秘書を経て、2000年に兄の政界引退表明を受けて
衆院島根2区の地盤を引き継ぎ、初当選した。
当選7回。党総務会長や国会対策委員長のほか、第2次、第3次安倍内閣で復興相を務めた。
18年4月には、兄が立ち上げた「経世会」を源流に持つ「平成研究会」を額賀福志郎元財務相から引き継ぎ、竹下派の会長に就任。
同年9月の党総裁選では、安倍晋三首相(当時)の対立候補となった石破茂元幹事長支持で
派閥の一本化をめざしたが、衆院側で安倍氏を支持する議員が大勢となり、事実上の自主投票となった。
19年1月に入院治療後に同年11月に復帰したが、体調が十分に戻らず、
今年5月以降は国会や派閥の会合を欠席していた。