福沢諭吉に至る中津藩の学問の系譜、多くの先人たち…大分県の中津市歴史博物館「全体像を感じてほしい」
1/27(月) 14:56 読売新聞オンライン 配信より
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読売新聞オンライン
福沢の署名(左)が見える適塾の姓名録
江戸時代に多くの学者を輩出し、福沢諭吉に至るまでの中津藩の学問の系譜を紹介した特別展「学問に凝る勿れ 中津の社会・学問・学者たち」が、大分県の中津市歴史博物館で開かれている。同館は「中津は蘭学のイメージが強いが、多くの先人、多彩な学問があって福沢が生まれたことを知ってほしい」としている。2月9日まで。(大石健一)
【写真】中津藩の学問ゆかりの資料を説明する三谷さん
「学問に凝る勿れ」とは、「学問のための学問ではなく、実社会に役立つ学問をせよ」という意味をこめた福沢の言葉。
中津藩は、福沢や前野良沢といった有名な蘭学者にとどまらず、当時の教養人の素養だった漢学や日本の立場を重視する国学など多様な学問が花開き、さまざまな学者がいた。
そういった学者らの著作や書画など61点を展示。国東の思想家三浦梅園の師である中津藩の藩儒(藩お抱えの儒学者)藤田敬所の書いた掛け軸や、梅園が中津の郷土史家に著作の出版を相談した書状を貼った屏風など地元ゆかりの品を始め、福沢の父百助が信奉した儒学者伊藤仁斎の書「一刀両断」や、高名な国学者賀茂真淵の自筆の原稿などが並ぶ。
福沢諭吉の名前の由来になった上諭条例
また、福沢が生まれた日に父の百助が購入し、諭吉の名の由来になった清国の法令集「上諭条例」や、福沢自筆の署名がある大阪の蘭学塾「適塾」の姓名録などの資料もある。
昨年12月22日には、新中津市学校で記念講演「中津の学問―漢学×国学」が開かれ、約40人が参加した。
吉田洋一・久留米大教授(日本近世思想史)が、日田の儒学者広瀬淡窓の師にあたる福岡の亀井南冥、昭陽親子の系統の儒学を福沢諭吉が学んだことなどを説明。一戸渉・慶応大斯道文庫教授(近世文学)が中津の国学者渡辺重名について本居宣長にかわいがられたことなどを紹介し、「興味深い大事な人物」と強調した。
同博物館の三谷紘平主査(42)は「地元でも知られていない偉大な学者が多くいて、互いに関係し、影響し合っていた。その全体像を会場で感じてほしい」と話している。一般300円、中学生以下無料。問い合わせは、同館(0979・23・8615)へ。
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最終更新:1/27(月) 14:56 読売新聞オンライン