能登半島地震から1年 地震発生時刻 能登の各地で黙とう

 

能登半島地震から1年 地震発生時刻 能登の各地で黙とう|NHK 石川県のニュース

 

【能登町白丸地区】
地震と津波で海沿いの建物を中心に大きな被害が出た石川県能登町の白丸地区では、住民と支援団体が公民館の駐車場に約200個のろうそくを並べて火をともし、「白丸」という文字をデザインしました。


ろうそくには「白丸を忘れないで」とか、「ことしもいいことあるように」などと住民の願いが書かれたメッセージが添えられていました。


そして、午後4時10分に、集まった人たちが黙とうをささげました。


仮設住宅の自治会長を務める宮本千鶴雄さん(68)は「震災で近所に住む知人を亡くしました。建物の解体が進み、変わっていく白丸地区のことも思いながら黙とうしました。ことしは去年より悪くなることはないと願っています」と話していました。


能登町出身で東京から訪れた40代女性は「本当はきょうここに来ることも怖かったのですが、ろうそくの火に勇気づけられました。白丸地区が早く復興することを願っています」と話していました。

【朝市通り】
地震による大規模な火災で多くの建物が焼けた石川県輪島市の「朝市通り」では、雨が降る中、地震が発生した午後4時10分にあわせて朝市に店を出す組合の関係者、約20人が集まって、黙とうをささげました。


輪島市朝市組合の冨水長毅組合長は「火災で亡くなった組合員に黙とうをささげるとともに、朝市通りに1日も早く出店できるよう、願いました。想定以上の震災で心が折れる時もありましたが、出張朝市などで全国からたくさんの応援をいただき、『朝市の灯を消さない』という思いで、頑張ることができました。きょうは雨が降りましたが雨が降れば必ず晴れるという気持ちでことし1年頑張っていきたい」と話していました。

地震による火災でおば夫婦を亡くした男性が輪島市の朝市通りを訪れ、静かに手を合わせていました。


輪島市河井町に住む岩坂勉さんは(65)大規模な火災が発生した朝市通りで老舗の漆器店を営んでいたおば夫婦を亡くしました。


おば夫婦の家は火災にあいすでに解体されていますが、庭に植えてあった木はいまも残っていて、岩坂さんはその木に向かって手を合わせていました。


岩坂さんは「いつも正月は家族みんなで2人に会いに来ていていたのに、それが去年、一瞬で終わってしまった。木を見ると震災前の思い出がよみがえる。1年たっても残念な思いが強いが、自分たちは元気だよと伝えたくてきょうはここに来ました」と話していました。

能登半島地震から1年となる1日、高校の同級生を亡くした女性が石川県輪島市の朝市通りを訪れ、静かに手を合わせていました。


輪島市河井町で眼鏡や時計などを販売する店を夫とともに営む木下京子(63)さんは、朝市通りで高校時代の同級生の男性を亡くしました。


同級生とは同じジムでよく顔を合わせていて、「じゃあね」などと挨拶を交わす間柄だったということです。


木下さんは1日午後、朝市通りに向かい、雨が降りしきる中、地震が起きた午後4時10分に合わせて手を合わせ、黙とうをささげました。


そして持ってきた花を手向けていました。


木下さんの店は地震で半壊になり、店内に割れたガラスなどが散乱していましたが、避難所生活をしながら、発災直後から近くの事務所を借りて被災した人の壊れた眼鏡を無償で直してきました。


店内を片付けて去年の1月下旬から元の店舗で営業ができるようになってからも個人からの支援物資を店舗で預かり、被災した人に渡しているということです。


木下さんは「輪島がこんな風になるとは夢にも思っていなかったので今でも信じられないです。一年があっという間できょうという日がくるのが怖くてたまらなかったです。同級生にはずっと忘れないでいるねって伝えたいです。きょうがあることに感謝して1日を大事にしていきたいです」と話していました。

【輪島市南志見地区】
輪島市の南志見地区は地震の直後、土砂崩れなどの影響で道路が寸断され孤立状態になりました。


この地区で区長を務める古酒谷政幸さんはいまも仮設住宅で過ごしていて、地震が発生した午後4時10分になると、土砂崩れで犠牲となった住民がいる現場を訪れ、黙とうをささげていました。


古酒谷さんによりますと、この地区から市の中心部につながる国道が地震のあと4か月にわたって通行止めが続くなど復旧が進まないなか、約700人いた住民の半数近くが地元を離れたといいます。


去年9月の豪雨では、地震で被害がなかった住宅が流されるなど被害が拡大しました。


古酒谷さんは「この地域は若い人が働けるようなところもないし新しく家を建てられる場所も少ない。こうした状況でまたさらに人が減っていくことは仕方ないと思っている。地域の伝統などを絶やしたくないが、複雑な気持ちでいます」と話していました。


その上で「なんとか復興に向けたスタートとなる1年にしたい。何をすればいいか具体的にはまだわからないが、前向きな気持ちだけは持っていたい」と話していました。

【輪島市 仮設住宅の集会所】
石川県輪島市の仮設住宅の集会所では、地震の発生時刻の午後4時10分に、子どもたちが手を合わせて亡くなった人たちに祈りをささげました。


輪島市のマリンタウンに設けられた仮設住宅の集会所は、地震の影響で公園などが被災し、遊ぶ場所が少なくなってしまった地元の子どもたちの遊び場として開放されています。


1日午後も集会所では、近所の小学生3人がボール遊びを楽しんでいました。


地震が発生した午後4時10分に黙とうを呼びかける市の放送が流れると、子どもたちは座って静かに手を合わせて亡くなった人たちに祈りをささげていました。


小学5年生の男の子は「地震のあと、遊ぶ場所が壊れてしまい悲しかったです。また楽しく遊べる場所が復活してほしいです」と話していました。

【被災した珠洲市の寺院 仮の本堂で祈り】
撮影は午後2時半からと午後4時すぎから。


元日の能登半島地震で本堂が全壊するなど、みずからも被災した石川県珠洲市の寺の住職は、プレハブで建てられた仮の本堂で亡くなった人たちに向けて祈りをささげました。


珠洲市宝立町にある往還寺は、元日の地震で本堂が全壊した上、檀家のほとんども被災したということです。


住職の松下文映さん(78)は、住民が祈りをささげる場所を残したいという思いで、本堂から本尊や仏具などを運び出して、去年8月には100メートルほど離れた場所にプレハブで仮の本堂を建てました。


地震から1年となるきょう(1日)は、午後3時ごろに現在、生活している市内の仮設住宅から仮の本堂に向かい、発災時刻に近い午後4時ごろには、地震や津波で亡くなった人たちに向けて祈りをささげていました。


松下さんは「去年は地震や豪雨があり、心が休まらない1年でした。お亡くなりになられた人たちには『本当に大変でしたね。いま、生きている人たちの心配はしなくていいですよ』と思いながら、祈りをささげました。ことしはおだやかな年であることを願っています」と話していました。

【門前町の「総持寺祖院」】
石川県輪島市門前町にある「総持寺祖院」では、地震が発生した時刻に合わせて法要が営まれました。


1日は寺の山門に多くの人たちが集まり、地震が発生した午後4時10分になると黙とうをささげました。


続いて法要が営まれ、6人の僧侶による読経が行われる中、参列した人たちが静かに手を合わせて1日も早い復興を願っていました。


鎌倉時代に創建された「総持寺祖院」は2007年の地震で被災したあと、去年の地震で再び大きな被害を受けましたが、12月に国の重要文化財に指定されました。


法要に参列した長瀬光恵さん(57)は「元日を迎えた時、1年前の恐怖が体に染みついていると実感しました。1つでも明るいニュースがあるような年になるよう願っています」と話していました。


寺の総務を担う高島弘成副監院は「重要文化財の指定は寺や地域にとって復興への光です。長い道のりになるので、1歩ずつ進んでいきます」と話していました。

【豪雨災害で自宅が全壊した女性】
能登半島地震で自宅の一部が壊れたあと、去年9月の豪雨災害で自宅が全壊し、いまも避難生活を余儀なくされている石川県珠洲市の堂目愛子さん(71)は、市内の避難所で地震が発生した時間にあわせて黙とうをささげました。


能登半島地震から1年となる1日、堂目さんは地震が発生した午後4時10分になると、避難所のテレビの前で同じように避難している人たちと黙とうをささげました。


堂目さんは「土砂崩れで潰れた家を最初に見たときはただぼう然とするだけでした。黙とうでは地震が発生してから今までのいろいろな思い出がよみがえってきました。ことしは災害のない年になることを祈っています」と話していました。

 

私のコメント :  令和7年1月1日、石川県 輪島市門前町にある「総持寺祖院」では、地震が発生した時刻に合わせて法要が営まれました。鎌倉時代に創建された「総持寺祖院」は 平成19年(2007年の地震で被災したあと、去年の地震で再び大きな被害を受けましたが、12月に国の重要文化財に指定されました。

 

総持寺の総務を担う高島弘成副監院は「重要文化財の指定は寺や地域にとって復興への光です。長い道のりになるので、1歩ずつ進んでいきます」と話していました。

 

令和6年12月29日、過去 石橋湛山先生から 私に対する その ご教授内容に沿い、山口県 日蓮宗 円満寺 ご住職様と私は、日蓮宗 円満寺 ご住職様から 私宛の 令和6年12月28日 発信日 付け 親書もとにして、その電話対談をおこなった。

 

 

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輪(赤) 總持寺の歴史<増補新版>
竹内 道雄,尾崎 正善/吉川弘文館

輪(赤) 総持寺の歴史 (1981年)
竹内 道雄/総持寺出版部

輪(赤) 禅の源流―中国禅の成立から日本禅の確立まで 中国仏教史蹟をたずねて (1981年)
総持寺/総持寺出版部