息子が心配、石破ママの行動は? モーレツ上司ばかり、首相の銀行員時代【解説委員室から】
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息子が心配、石破ママの行動は? モーレツ上司ばかり、首相の銀行員時代【解説委員室から】(時事通信) - Yahoo!ニュース 配信より
石破茂首相は大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に4年弱勤務し、
厳しい上司、先輩から銀行マンのイロハを徹底的に仕込まれた。
残業に次ぐ残業で、今ならブラック職場そのもの。
その「モーレツ」ぶりを知った母・和子さんは心配のあまり、ある行動に出た。
(時事通信解説委員長 高橋正光)
◇残業後に先輩と一杯、終電の毎日 石破首相が今年8月に出版した
「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社)によると、
三井銀行に就職したのは、慶応大学法学部卒業後の1979年4月で、配属は日本橋本町支店。
午前6時に千葉県松戸市の社員寮を出て、同7時半に出社。夜遅くまで残業をこなすと、
先輩に連れられ1時間ほど焼き鳥屋で飲み、終電で帰宅する毎日だった。
入行して最初に教えられたのは、伝票をめくりながら計算機を使うことと、
お札を両手でクジャクの羽根のように開き、数えること。手先が不器用な石破首相はうまくできず、
「入ったその日に辞めようと思った」。
もっとも、朝から模擬紙幣で練習を重ね、2カ月後には店内試験で上位になるほどに上達、
「やめる気は全く失せた」という。
また、当時の三井銀行には「モーレツぶり」を絵に描いたような上司が多くおり、
労組から職場環境の改善を求められたある支店長は
「君たちが無能だから、こんなに遅くまで働くことになるのだ」と言って、
返り討ちにしたことなど、劣悪な職場環境も明かしている。
こういう息子の日常、職場環境を知った和子さんは、
佐藤栄作元首相夫人の寛子さんに相談の上、栄作氏の次男で衆院議員の佐藤信二元通産相に電話をかけた。
◇上司と同級生、佐藤元通産相に電話
2016年に死去した佐藤氏は生前、若き石破青年にまつわるエピソードを筆者に語った。
それによると、ある日、母の寛子さんからある人物の名前を挙げられ
「高校の同級生(旧東京都立大付属高)か」と尋ねられた。
佐藤氏が「そうだ」と答えると、ほどなくして和子さんから電話があり、
おおむね以下のことを頼まれた。
「息子は銀行員で、職場の先輩が厳し過ぎる。高校の同級生の〇〇さんが支店長を務めており、
配慮するよう言ってほしい」。
驚いた佐藤氏は、「そこまでやるほどのことか?」と迷った末、
旧知の支店長に電話をかけ「支店にいる石破君と個人的に縁がある。
苦労しているようなので、目配りしてあげてほしい」などとお願いした。
石破首相の父で、鳥取県知事、自治相、参院議員などを務めた二朗氏は、
栄作氏が率いた旧佐藤派(周山会)系。
佐藤氏の解説では、二朗氏が81年9月に亡くなると、
和子さんは話し相手が欲しかったようで、
しばしば、東京・代沢の佐藤栄作邸に寛子さんを訪問するようになった。
そして、茶飲み話の中で、銀行員の息子が話題になり、
「支店の先輩が厳し過ぎて苦労している」
「支店長は都立大付属高校卒」(和子さん)、
「次男の信二も同じ高校」
「支店長を知っているか、聞いてみよう」(寛子さん)といった会話が交わされたという。
電話の効果があったかどうかについては、佐藤氏は確認していない。
◇「マザコン」自認 石破首相は、二朗氏が48歳、和子さんが39歳の時の子。姉が2人おり、下の姉と16歳離れている。著書では両親にも言及している。
二朗氏について「一生かかっても超えられない。ものが違う」。銀行に就職したのは、希望先を全て否定された末「銀行がいい」と言われたから。
和子さんに関しては「国語教員で教育熱心。小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられた」「小学校の保護者参観で、先生に当てられて、答えが違っていると、帰ってから滅茶苦茶怒られる。恥をかいたと」。
その上で、自身について「ファザコンもあるし、マザコンもある。二人とも怖い人でした」と、
両親へのコンプレックスを認めている。石破首相がクリスチャン(プロテスタント)なのは、和子さんの影響だ。
和子さんにとって、石破首相は年を取ってから生まれた初の男子。
かわいさのあまり、知人の息子に、自身の息子の上司への電話を依頼する行動に出たのだろう。
◇選挙で「借り」返す
石破首相は二朗氏の死後、田中角栄元首相の勧めで政治家を目指すことを決意。
83年1月に銀行を退職し、田中派の事務局員となった。
そして、86年7月の衆院選で初当選した。
佐藤氏の元秘書は、時期や用件は記憶にないものの、
和子さんが議員になる前の石破首相を連れて、
議員会館の佐藤氏の事務所を訪ねてきたことを覚えている。
もしかしたら、支店長への「口利き」のお礼だったのかもしれない。
そして、石破首相の初当選により、佐藤氏との交流もスタート。
首相は当選を重ねる一方、佐藤氏は2000年の衆院選(旧山口2区)で落選した。
選挙区の一部は岩国市で、自衛隊の基地がある。元秘書によれば、
佐藤氏が03年の衆院選に再起を期して出馬すると、
当時防衛庁長官だった石破首相は、岩国市に応援に入った。
その効果もあり、佐藤氏は比例復活ながら、衆院議員に返り咲いた。
石破首相は銀行マン時代の佐藤氏からの借りを、
20年以上後の選挙で、きっちり返した。
石破首相が、佐藤氏の「口利き」を知っているかは分からないが…。
高橋 正光(たかはし・まさみつ) 1986年4月時事通信社入社。政治部首相番、自民党小渕派担当、梶山静六官房長官番、公明党担当、外務省、与党、首相官邸各クラブキャップ、政治部次長、政治部長、編集局長などを経て、2021年6月から現職。
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