息子が心配、石破ママの行動は? モーレツ上司ばかり、首相の銀行員時代【解説委員室から】

時事通信配信より

 

息子が心配、石破ママの行動は? モーレツ上司ばかり、首相の銀行員時代【解説委員室から】(時事通信) - Yahoo!ニュース 配信より

 

記者会見する石破茂首相=24日午後、首相官邸

 

石破茂首相は大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に4年弱勤務し、

 

厳しい上司、先輩から銀行マンのイロハを徹底的に仕込まれた。

 

残業に次ぐ残業で、今ならブラック職場そのもの。

 

その「モーレツ」ぶりを知った母・和子さんは心配のあまり、ある行動に出た。

 

(時事通信解説委員長 高橋正光)

 

  【写真】石破茂首相の父、石破二朗氏  

 

◇残業後に先輩と一杯、終電の毎日  石破首相が今年8月に出版した

 

「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社)によると、

 

三井銀行に就職したのは、慶応大学法学部卒業後の1979年4月で、配属は日本橋本町支店。

 

午前6時に千葉県松戸市の社員寮を出て、同7時半に出社。夜遅くまで残業をこなすと、

 

先輩に連れられ1時間ほど焼き鳥屋で飲み、終電で帰宅する毎日だった。  

 

入行して最初に教えられたのは、伝票をめくりながら計算機を使うことと、

 

お札を両手でクジャクの羽根のように開き、数えること。手先が不器用な石破首相はうまくできず、

 

「入ったその日に辞めようと思った」。

 

もっとも、朝から模擬紙幣で練習を重ね、2カ月後には店内試験で上位になるほどに上達、

 

「やめる気は全く失せた」という。  

 

また、当時の三井銀行には「モーレツぶり」を絵に描いたような上司が多くおり、

 

労組から職場環境の改善を求められたある支店長は

 

「君たちが無能だから、こんなに遅くまで働くことになるのだ」と言って、

 

返り討ちにしたことなど、劣悪な職場環境も明かしている。  

 

こういう息子の日常、職場環境を知った和子さんは、

 

佐藤栄作元首相夫人の寛子さんに相談の上、栄作氏の次男で衆院議員の佐藤信二元通産相に電話をかけた。  

 

◇上司と同級生、佐藤元通産相に電話  

 

2016年に死去した佐藤氏は生前、若き石破青年にまつわるエピソードを筆者に語った。

 

それによると、ある日、母の寛子さんからある人物の名前を挙げられ

 

「高校の同級生(旧東京都立大付属高)か」と尋ねられた。

 

佐藤氏が「そうだ」と答えると、ほどなくして和子さんから電話があり、

 

おおむね以下のことを頼まれた。  

 

「息子は銀行員で、職場の先輩が厳し過ぎる。高校の同級生の〇〇さんが支店長を務めており、

 

配慮するよう言ってほしい」。

 

驚いた佐藤氏は、「そこまでやるほどのことか?」と迷った末、

 

旧知の支店長に電話をかけ「支店にいる石破君と個人的に縁がある。

 

苦労しているようなので、目配りしてあげてほしい」などとお願いした。  

 

石破首相の父で、鳥取県知事、自治相、参院議員などを務めた二朗氏は、

 

栄作氏が率いた旧佐藤派(周山会)系。

 

佐藤氏の解説では、二朗氏が81年9月に亡くなると、

 

和子さんは話し相手が欲しかったようで、

 

しばしば、東京・代沢の佐藤栄作邸に寛子さんを訪問するようになった。  

 

そして、茶飲み話の中で、銀行員の息子が話題になり、

 

「支店の先輩が厳し過ぎて苦労している」

 

「支店長は都立大付属高校卒」(和子さん)、

 

「次男の信二も同じ高校」

 

「支店長を知っているか、聞いてみよう」(寛子さん)といった会話が交わされたという。

 

電話の効果があったかどうかについては、佐藤氏は確認していない。

 

防衛庁長官時代の石破茂氏=2002年9月

 

 ◇「マザコン」自認  石破首相は、二朗氏が48歳、和子さんが39歳の時の子。姉が2人おり、下の姉と16歳離れている。著書では両親にも言及している。  

 

二朗氏について「一生かかっても超えられない。ものが違う」。銀行に就職したのは、希望先を全て否定された末「銀行がいい」と言われたから。  

 

和子さんに関しては「国語教員で教育熱心。小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられた」「小学校の保護者参観で、先生に当てられて、答えが違っていると、帰ってから滅茶苦茶怒られる。恥をかいたと」。  

 

その上で、自身について「ファザコンもあるし、マザコンもある。二人とも怖い人でした」と、

 

両親へのコンプレックスを認めている。石破首相がクリスチャン(プロテスタント)なのは、和子さんの影響だ。  

 

和子さんにとって、石破首相は年を取ってから生まれた初の男子。

 

かわいさのあまり、知人の息子に、自身の息子の上司への電話を依頼する行動に出たのだろう。  

 

◇選挙で「借り」返す  

 

石破首相は二朗氏の死後、田中角栄元首相の勧めで政治家を目指すことを決意。

 

83年1月に銀行を退職し、田中派の事務局員となった。

 

そして、86年7月の衆院選で初当選した。  

 

佐藤氏の元秘書は、時期や用件は記憶にないものの、

 

和子さんが議員になる前の石破首相を連れて、

 

議員会館の佐藤氏の事務所を訪ねてきたことを覚えている。

 

もしかしたら、支店長への「口利き」のお礼だったのかもしれない。  

 

そして、石破首相の初当選により、佐藤氏との交流もスタート。

 

首相は当選を重ねる一方、佐藤氏は2000年の衆院選(旧山口2区)で落選した。  

 

選挙区の一部は岩国市で、自衛隊の基地がある。元秘書によれば、

 

佐藤氏が03年の衆院選に再起を期して出馬すると、

 

当時防衛庁長官だった石破首相は、岩国市に応援に入った。

 

その効果もあり、佐藤氏は比例復活ながら、衆院議員に返り咲いた。

 

石破首相は銀行マン時代の佐藤氏からの借りを、

 

20年以上後の選挙で、きっちり返した。

 

石破首相が、佐藤氏の「口利き」を知っているかは分からないが…。  

 

高橋 正光(たかはし・まさみつ) 1986年4月時事通信社入社。政治部首相番、自民党小渕派担当、梶山静六官房長官番、公明党担当、外務省、与党、首相官邸各クラブキャップ、政治部次長、政治部長、編集局長などを経て、2021年6月から現職。

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最終更新:時事通信

 

私のコメント :  令和7年1月1日、昭和61年 (1986年 4月 時事通信社入社。政治部首相番、自民党  小渕派担当、梶山静六官房長官番、公明党担当、外務省、与党、首相官邸各クラブキャップ、政治部次長、政治部長、編集局長など を経てこられた   高橋正光氏からは、この記事上においては、「佐藤信二氏の元秘書は、時期や用件は記憶にないものの、和子さんが議員になる前の石破首相を連れて、議員会館の 佐藤信二氏の事務所を訪ねてきたことを覚えている。」等 との記述された 具体的な 一方的な その 配信 記事 内容がある。

 

外務省 密約書問題にも、その記述内容については、抵触をされていく記事内容である、

 

その真偽のほどは、今後、どのように裏付けされていくかの方法についても、まったく、不明である。

 

また、高橋正光氏 記載における その内容に関しても、佐藤信二氏に近い、利害関係者、その関係筋の者の立場では、現在に至り、その記述をなされている この記事内容については、さだかのものと、考えにくい。

 

令和6年12月29日、過去 石橋湛山先生から 私に対する その ご教授内容に沿い、山口県 日蓮宗 円満寺 ご住職様と私は、日蓮宗 円満寺 ご住職様から 私宛の 令和6年12月28日 発信日 付け 親書もとにして、その電話対談をおこなった。

 

 

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