「ただのお嬢様学校ではない」聞いて納得する学習院女子…辛酸なめ子<51>
「ただのお嬢様学校ではない」聞いて納得する学習院女子…辛酸なめ子<51> : 読売新聞 配信より
学習院女子に4代にわたって通った著者
かつては華族女学校だった学習院女子に、親子四代にわたって通われたという藤澤志穂子さん。ご著書の「学習院女子と皇室」(新潮新書)が話題です。実際お会いする機会があり、学習院女子についてお話を伺いました。やはり藤澤さんもやんごとなきお生まれなのでしょうか……。
男子生徒が試行錯誤して女子生徒に仕掛ける手練手管…辛酸なめ子<55>
「ひいおじいちゃんが軍人で、戦前に、ある事件から失脚して没落してしまったんです。曽祖母、祖母、母、私は皆学習院女子に通いました」
没落するくらいの地位にいた、というのもやはり一般人とは違う感じがします。藤澤さんが通われていた時は、紀宮様(黒田 清
子
さん)もご在学中だったそうです。
「紀宮様は学校にとけこまれていました。美化委員で、お掃除指導されているのを見たことがあります。人がやりたがらない仕事を率先してやられていました。聞いたら、愛子様もそんな感じみたいですね」
まさに「ノブレス・オブリージュ」精神の萌芽が感じられます。大和 撫子
風の雰囲気や、謙虚なお人柄、国語の才能など、紀宮様と愛子様には共通点も多いようです。
「紀宮様は国語がお得意で、いつもテストの結果は上位に名前が載っていました」と、藤澤さん。紀宮様も愛子様も同じく学習院大学文学部で日本文学を学ぶ道に進まれました。
温水プールがあったおかげで一年中プールだった
学習院といえば、勉強だけではなく文武両道なイメージが。遠泳合宿も有名です。愛子様も中等科の時に苦手な3キロの遠泳を見事達成されました。メンタルも鍛えられ、有事の時も落ち着いて行動できます。眞子様、佳子様も経験されたそうで、強さや自己肯定感の一因となっているのかもしれません。
「遠泳は、立ち泳ぎという泳法です。学習院女子部には、ブリヂストンの石橋家が寄贈してくれた温水プールがかつてあり、毎週の授業で泳げない子も泳げるようになります。そんなもん寄付してくれちゃったから一年中プールやんなきゃいけないって文句言う子もいましたね。泳げない子も泣きながら覚えます」
日本は海に囲まれているから、水難事故に備えて泳げるようにしておかなければならない、と水泳の授業で言われたという話も聞いたことがあります。私はプールがない女子校を選んだので泳げないままですが、たしかに立ち泳ぎを習得していた方が安心です。
「遠泳ではとりあえず浮いて足をバタバタさせて立ち泳ぎします。沼津の海はそんなに波がないので、流される危険は少ないですね。 晒
しを巻いているので 辛
くなったら引き上げてもらえます」
それでも泳げないという人には、200メートルコースもあるそうです。
プールは必須でしたが、器械体操関係はあまりやらなかったとのこと。
「跳び箱とか鉄棒はなかったです。体育は、水泳とバレーとバスケ、ソフトボールにテニスに卓球、あとはダンスでした。器械体操がない学校に来てラッキーと思いましたね。跳び箱とか前転とか怖くて嫌いだったので……」
志望校選びの際は、体育の内容を詳しく調べて、自分ができる種目を取り入れている女子校にするのも良いかもしれません。私のように運動が苦手な生徒にとっては、心理的負担を左右する重要な要素です。
明治時代は超高級花嫁学校としての一面も
「学習院女子と皇室」を拝読すると、明治時代、華族女学校だった時は学校のカリキュラムもかなり独特だったようです。本の中で紹介されている、明治時代に初等科に編入した女優の東山千栄子のエッセイには、そんな学校生活の一端が 綴
られていました。
「上流家庭に、おヨメにいくことを目標にしておりましたので、むずかしい勉強のことよりも、小笠原流のお作法や、西洋料理の食べ方、ダンスなどを、きびしくおそわりました」
当時は勉強は楽だったと述懐しています。今は女性もキャリアを目指す時代なので、授業のレベルも高まっていますが、明治時代は「超高級花嫁学校」のような位置づけだったそうです。花嫁候補となる女生徒の様子を、関係者が品定めに授業参観に来る、という風習があったというのにも驚きました。貞明皇后(大正天皇の 后
)も、昭和天皇の后となる 久邇宮良子女王
(香淳皇后)を授業参観で見定めたそうです。生まれながらの皇族の気品と、活発で生命力あふれるお姿が決め手となったポイントでしょうか。
学習院女子部は、ミッションスクールのように讃美歌を歌ったり礼拝したりすることはありませんが、かわりに歴代皇后から下賜された「御歌」が今も歌い継がれているそうです。最も古く、女子部生の「心の糧」となっているのは昭憲皇太后(明治天皇の后)による、「金剛石・水は器」という御歌。
「金剛石も みがかずば 珠の光は そはざらん 人もまなびて のちにこそ まことの徳は あらわるれ(後略)」と、美しい 言霊
の響きで世の真理を説いています。
「ダイヤモンドの原石も磨かなければただの石。人も日々精進した後に成果を出すことができます……」という、意識が高い教訓の御歌。「水は器」の御歌は、水は器に入れられると様々に形が変わるように、人は周りの人に影響を受けるので、良い友人と 切磋琢磨
して精進しなさい、といったような内容。とにかく精進が大切なようです。
「貞明皇后から下賜された『月の桂』『はなすみれ』という御歌もありました。曲がつけられていて、今でも歌えます。私が通っていた頃は、多摩御陵に年一回行ってお墓の前で歌う風習がありました」
御歌のタイトルに優雅さが漂っています。今は御陵で歌う風習はないそうですが、皇室の安寧のため復活させても良いのかもしれません。余談ですが、先日ある歌手のイベントに女性皇族の一人がいらして、歌手はサービス精神を発揮し「君が代」を歌ったそうですが……、もしかしたら皇后様の御歌のほうが喜ばれた気がします。
ときに厳しくときに気さくだった院長の乃木将軍

「学習院女子と皇室」の中で印象に残った華族女学校時代の風習といえば、陸軍大将乃木 希典
が明治40年に学習院長に就任してからの訓示。とにかく「質素」第一ですが、質素だからといって安く買えばいいというわけではなく、「最も卑しむべく恐るべきもの」として「無理に品物を 廉
く買はうとし、又 貰
ふべからざるものを人から貰って喜ぶやうなことは、最も卑しむべきである」と、強い言葉で律しています。「価をねぎつて得た品を喜ぶやうな、節義もなく節操も無いのは、最も卑しむべく恐るべきである」
値切ったりセールで買ったり人からもらうことは、「最も卑しくて恐ろしいもの」とは。ここまで言わなくても……、と庶民としては思いますが、現代の日本人が、ファストファッションやプチプラ大好きで、インフルエンサーが案件でノベルティをもらったりして見せびらかしている姿は、明治時代の乃木大将から見たら、恐ろしい堕落だと受け取られるのでしょう。製造者のことを考えてプロパーで買う、というのも「ノブレス・オブリージュ」精神でしょうか。
でも、そんな乃木大将が、ある時、生徒たちへの訓示で、つい両親のことを「おとっつぁん、おっかさん」と言ってしまったら、上流階級の娘たちの間で笑いが巻き起こった、という一件も。華族の娘たちは両親を「おもう様、おたあ様」と呼び、くだけた言い方でも「お父様、お母様」だったので、院長先生がこんな俗な表現をされたという意外性に盛り上がってしまったようです。いつの時代も女学生は最強です。
「ただのお嬢様学校ではない」と本に書かれていますが、そんな学習院女子部の遺伝子を受け継いだ藤澤さんは、やはり愛校心が強いようです。
「学校は大好きでした。プライドみたいなものは皆持っていると思います。『ごきげんよう』という 挨拶
が有名ですが、学外の人には言わないですね。かえって気を使わせてしまったり、お高く留まっていそうな印象を与えてしまうので。たまたま学習院ご出身の方にお会いしたら使いますが……」
「ごきげんよう」は価値観や青春が共通している人同士の合い言葉なのかもしれません。
ふと気付けば学習院女子部に通う皇族は、今現在いらっしゃらないのが 淋
しいですが、卒業生たちが「ノブレス・オブリージュ」精神を体現し、各界で活躍してくれることでしょう。

プロフィル
辛酸 なめ子( しんさん・なめこ )
漫画家・コラムニスト。1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。人間関係、恋愛からアイドル観察、皇室、海外セレブまで幅広いテーマで執筆。著書に「辛酸なめ子の世界恋愛文学全集」「スピリチュアル系のトリセツ」「愛すべき音大生の生態」「無心セラピー」「電車のおじさん」「新・人間関係のルール」ほか多数。この連載をまとめた「女子校礼賛」も。