パリ五輪日本代表「メダリスト」の出身高校ランキング 1位は星槎国際、2位は帝京、3位は?
パリ五輪日本代表「メダリスト」の出身高校ランキング 1位は星槎国際、2位は帝京、3位は?(AERA dot.) - goo ニュース
配信より

第33回オリンピック競技大会(パリ五輪)が幕を下ろした。日本が獲得したメダルは金20、銀12、銅13の計45個で海外開催の五輪では過去最多となった。
憧れの舞台で成果をあげた選手たちは、どのように力をつけ、技を磨いてきたか。その一端は幼少期からのトレーニングにあるだろう。
そこでパリ五輪日本代表のメダル獲得数を出身高校別に調べてみた。国内の高校に通っていた人たちを対象とし、複数の種目でメダリストになった選手は、メダル獲得数をカウントした。たとえば、体操の岡慎之助は、男子団体、個人総合、種目別鉄棒でそれぞれ金、種目別平行棒で銅を獲得しており、その合計となる4個として数えた。
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まず、上位3校を紹介しよう。
◆1位=星槎国際高校、6個
岡慎之助(体操男子団体・金、個人総合・金、種目別鉄棒・金、種目別平行棒・銅)
張本美和(卓球女子団体・銀)
星槎国際は1999年に開校した通信制高校である。同校サポートコース(スポーツ/アート)からは世界で活躍するアスリートが多く生まれた。全国に学習センター・キャンパスがあり、メダリストには星槎国際川口の上野優佳(フェンシング女子フルーレ団体・銅)がいる。ほかに日本代表では星槎国際湘南の宮澤ひなた(サッカー女子)、星槎国際川口の木原美悠(卓球女子)、星槎国際横浜鴨居の松島輝空(卓球男子)がいる。
星槎国際はこう訴えていた。
「スポーツを『する』人、『みる」人、そして『ささえる』人、それぞれがお互いに共感し、感動する場面を通して、星槎の3つの約束『人を認める・人を排除しない・仲間を作る』を広げていきたいと考えております。皆さまの応援を、よろしくお願いいたします」(同校ウェブサイト2024年7月4日)
◆2位=帝京高校、4個
鏡優翔(レスリング女子フリースタイル76キロ級・金)
尾崎野乃香(レスリング女子フリースタイル68キロ級・銅)
永野雄大(フェンシング男子フルーレ団体・金)
高嶋理紗(フェンシング女子サーブル団体・銅)
同校出身の日本代表は4人なので、メダル獲得率100%、金獲得率は5割となった。鏡優翔について学校はこう伝えた。
「日本選手が、レスリング女子の最重量級で金メダルを獲得するのは初めてのことです。高校時代はインターハイ3連覇を達成しており、五輪の決勝でも持ち味である鋭いタックルでポイントを奪ってでの快挙達成となりました。金メダル獲得おめでとうございます!」(同校ウェブサイト2024年8月12日)
なお、今大会の帝京出身者には、フィリピン代表のカルロス・ユーロ(体操男子種目別ゆか・金、種目別跳馬・金)、韓国代表のホ・ミミ選手(柔道女子57キロ級・銀、混合団体・銅)がいる。ホは中高6年間を同校で学び女子柔道部に所属していた。
◆3位=千葉県立八千代高校、3個
角田夏実(柔道女子48キロ級・金、混合団体・銀)
安楽宙斗(スポーツクライミング男子ボルダー&リード・銀)
今年4月、八千代の生徒会が壮行会を開き、生徒およそ950人を集め、角田、安楽を激励した。なかでも安楽は同校3年生ゆえ、おおいに盛り上がった。地元、八千代市での応援もすごかった。学校はこう伝える。
「八千代市民会館で実施されたパブリックビューイングでは、鼓組の演奏からスタートし、現役柔道部員の全力エールを届けました。角田夏実選手、金メダル本当におめでとうございます。感動をありがとうございました」(同校ウェブサイト)
同校からの日本代表は2人で、メダル獲得率は100%となった。
続いて、メダル獲得2個以下の学校をいくつか紹介しよう。
◆4位=東亜学園高校、2個
松山恭助(フェンシング男子フルーレ団体・金)
敷根崇裕(フェンシング男子フルーレ団体・金)
学校はこう伝えている。
「お二人は本校フェンシング部で活躍、大学・社会人でも実績をあげ、東京五輪にも出場、このたび悲願の金メダル獲得という快挙を成し遂げました。また、今回男子フルーレのコーチを務められた藤野大樹さん(H18卒)も東亜学園の卒業生です」(同校ウェブサイト 2024年8月5日)
◆4位=富士学苑高校、2個
舟久保遥香(柔道女子混合団体・銀、57キロ級・銅)
舟久保は地元の山梨県富士吉田市出身で、5歳ごろからスポーツ少年団に入って柔道を始めた。富士学苑中学、富士学苑高校のときに全国制覇を経験している。世界ジュニア選手権は2015年、17年、18年に優勝した。
「中学時代は体力強化に専念し、週3回、近くの観光名所『新倉山浅間公園』の五重塔に至る階段398段の走り込み5往復を課した。根性もあった。『20本やるか』。中3の大会前、自信を付けさせようと、普段の4倍も往復させたが、舟久保選手は音を上げずやり遂げたという。高校に上がり、矢嵜監督が重視したのは精神面だ。『最強』と呼ばれた柔道家山下泰裕(67)の言葉を引用し、常々、『柔道はルールのあるけんか。絶対に引くな』と言い聞かせた」(同校ウェブサイト2024年8月3日)
◆4位=高知県立高知南高校(現・高知国際高校)、2個
桜井つぐみ(レスリング女子57キロ級・金)
清岡幸大郎(レスリング男子フリースタイル65キロ級・金)
桜井と清岡は幼少期から一緒に「高知レスリングクラブ」で鍛え、高知南では同級生だった。同校で2人の担任だった教諭はこう話す。
「2人でダブル金、ってずっと願っていて、本当にとれた。こんなすごいクラスを持たせてもらってありがたい」(朝日新聞デジタル2024年8月12日)
高知南は2023年に閉校した。なお、21年、高知南と高知西が母体となって高知国際高校が開校している。現存していない高知南から2人の金メダリストが誕生したことについて、同校卒業生は「歴史に名を刻めた」と喜んでいた。
◆4位=鹿児島県立鹿児島南高校、2個
高山莉加(柔道混合団体・銀)
尾崎世梨(フェンシング女子サーブル団体・銅)
鹿児島南の正門横には「五輪碑」が建てられている。ここには、2021年東京五輪の金メダリスト浜田尚里(柔道女子78キロ級)など、同校出身で歴代の五輪日本代表8人(21年まで)の名が刻まれている。
◆19位=慶應義塾女子高校、1個
宮脇花綸(フェンシング女子フルーレ団体・銅)
宮脇は東洋英和女学院中学部から慶應義塾女子高校に進み、慶應義塾大経済学部に入学、卒業した。現在は三菱電機に所属している。今回、フェンシングでは初の女性メダリストの一人となった。幼少時をこう振り返っている。
「5歳上の姉の影響でフェンシングを始めました。姉は、剣道がやりたかったのですが、家の近くにはフェンシングスクールしかなく、『セーラームーンや怪傑ゾロもやっているし、西洋版の剣道ということで良いのではないか?』という母の勧めで、フェンシングを始めました。私は母と一緒に姉の送り迎えをしていただけだったんですが、気づいたら、剣を握ってフェンシングを始めていましたね」(スポーツ関連情報サイト「KING GEAR」2018年3月1日)
◆19位=奈良県立山辺高校、1個
北島隆三(馬術総合馬術団体・銅)
北島は小学5年のときに乗馬を習い始め、高校時代にインターハイ団体で準優勝している。その後、明治大に進み、五輪3大会連続出場となった。学校がこう説明する。
「本校に馬術部ができたのは北島選手が高3年の時でした。前年に国民体育大会で好成績を収め、『(乗馬クラブでなく)学校から送り出してやりたい』という当時の教職員の熱い思いにより創部され、見事に準優勝に輝かれました」(同校ウェブサイト 2024年8月2日)
いわば、学校は北島のために馬術部をつくったわけだ。
メダル獲得数において公立高校がかなり健闘している。体育科、スポーツ科出身者が多いことによる。地域の、あるいは最近では他都道府県出身のアスリートたちが入学するようになり、スポーツ名門校として存在感を示しつつある。一方で、少子化にあって学校の統廃合が進み、メダリストが卒業した学校の名前が変わったところがある。福島県立富岡高校、高知県立高知南高校などだ。メダリストにすればさびしいだろう。
五輪日本代表の出身高校、メダル獲得数が多い高校を眺めると、その学校の歴史、教育方針、生徒指導のあり方、得意分野がよくわかる。興味が尽きない。
<敬称略>
(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)
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【パリ五輪特集】オリンピアン対談 豊田兼×飯村一輝 第3部

スポーツの祭典、オリンピック。今年8月フランス・パリにて開催された2024年夏季大会に、日本からは400人を超える選手が参加し、そのプレーで多くの人々に感動と勇気を与えた。その中には、慶大在塾生の名前もあった。ケイスポではパリ五輪特集と題し、日本代表として男子400mハードルに出場した豊田兼選手と男子フルーレ個人・団体に出場した飯村一輝選手にロングインタビューを行いました。最終回となる今回は、2人が所属する慶應體育會競走部、慶應體育會フェンシング部について取り上げます。入部の経緯、體育會の魅力、OB/OGの存在など様々な質問に答えていただきました。
第3部
――ここからはお二人が所属する慶應義塾体育会についてお伺いします
Q慶應義塾大学にはどのような経緯で進学されたのですか?
豊田:自分は高校3年生の時に陸上を続けたいという思いが強くあって、学業と競技を両立できる大学を探していました。その際に慶應が上がったので、そこで進学を決意しました。自分の高校の先輩が結構慶應の競走部で競技していたので、先輩方からいろいろ話を聞いて決めました。
飯村: 僕もほとんど一緒ですね。中高時代から文武両道を心がけてフェンシングと勉強に取り組んできて、それをどちらもより高いレベルでやりたいってなった時に、1番に思いついたのが慶應だったので、高校2年の時に受験を決めて、無事に入学できたからよかったと思っています。
「フェンシングと勉強どちらもより高いレベルでやりたいって思いはありました」(飯村)
Q“慶應義塾大学体育会あるある”は何かありますか?
飯村:練習後の蝮谷(※①)の階段がきつい。
豊田:あー。フェンシングって階段の下?テニスコートの?
飯村:奥のところですね。あそこマジでやばいっすね。練習終わりでヘトヘトなのにその後あの階段上るのは地獄でしかないです。1年生の時によく練習来てたんで、そのときの印象が強いですね。
豊田:競走部は…いろんな人がいる、みたいな(笑)。150人くらい部員がいるんで。
飯村:めっちゃ多いっすね(笑)。
豊田:各ブロック40人くらいいるので、日本代表に選ばれるような人やバイトや勉強とうまく両立している人、大学で新しく始めた人など色んな人と一緒に練習できるんですよ。これは競走部に限らず他の部もそうなのかなと思います。
※①読み方:まむしだに。日吉キャンパスの裏手に広がる広大な谷地。テニスコートのほか洋弓場や合気道場、空手場など様々なスポーツ施設が並ぶ。この辺りは以前は湿地帯であり、周囲に雑木林が茂り、そこに多くのマムシが生存していたことから、いつしかこの呼び名になったと言われる。
競走部では主将を務めた豊田(写真左)
Qいろんな人がいる中で、大きな大会に向けてはどういった目的意識を持って練習に取り組んでいるんですか?
豊田:慶大競走部は、各自が定めた目標に向けて日々練習することを基本としてるんですけど、競走部全体で目指す目標、例えば関東インカレや全日本インカレ、箱根駅伝予選会などの大きな公式戦ですね。その6つの目標に向けては、個人戦であれ団体戦であれ全員で貢献する意識でいます。そうしてチームの目標と個人の目標とを明確に分けて取り組んでいると思います。
Qフェンシング部と競走部、それぞれの良さは何ですか?
豊田:さっきも言ったように、本当に様々なタイプの仲間がいて、自分でやりたいように計画を立てて練習ができる環境が一番の良さだと思います。もちろんコーチが付いている部門もあるんですけど、いないところもあるんで。そういう点では自主性が尊重されていると思います。そのお陰で自分もこれまで前例があまりなかった“ハードル競技二種目でオリンピックを目指す”ということにも挑戦出来ましたし。
豊田:ただ一方で、その自主性を履き違えて自分勝手な行動をとってしまう恐れもあるので、今後も体育会競争部としての自覚を一人一人がしっかり持つことが大切だと思います。
「自主性が尊重されたお陰でこれまで前例があまりなかった挑戦ができました」(豊田)
――先ほどコーチと4年計画で取り組んできたと仰っていましたが豊田選手にとってコーチはどういう存在だったんですか?
豊田:自分を強くしてくれた、無くてはならない存在ですね。普段指導していただいている方が山縣亮太(H27卒)さんや寺田明日香さんも指導されていて、日々の練習の中でその方から頂いたアドバイスを4年間かけて一つ一つ自分のものにしてきたからこそ五輪という舞台に立てたと思います。
飯村:フェンシング部の良さで真っ先に思い浮かぶのは練習設備が充実してることですかね。最近体育館が改装されてすごく良い建物になったんですよ。設備自体も本当に良くなったので、そこで練習出来る事は良いことだと思います。
飯村:他にも、それぞれの部員が直近の課題/中間課題/長期課題を自分たちで設定して、そのために何をするのかという逆算をノートに書いたり、ミーティングで話したりしていると思うので、向上心のある部員が多いという印象を受けています。僕としても、オリンピックで得たことなどなるべく多くの事を部に還元したいと思っていますし、そうやって互いを高めあえる関係を築けていることも慶大フェンシング部の良さかなと思います。
「部員一人一人が本当に向上心があると思います」(飯村)
Q慶大のOB/OGにオリンピアンがいることは2人にどんな影響を与えていますか?
豊田:高校の時に進路を考える上でオリンピアンの方がいるっていうのも結構大事なポイントというか、目指せる環境があることの証明なのかなと思っています。卒業生にそういったトップで活躍されている方がいるとすごい追いかけたくなるというか、自分のモチベーションになりますね。
飯村:今大会に出場された宮脇花綸さん(※➁)だけなく三宅諒さん(※③)もいらっしゃいますし、文武両道というか慶應とフェンシングを両立されてきた方の歩んできた道が明白なので、目標にしやすい存在です。三宅さんも実際フェンシング部のコーチをされていた時もありましたし、宮脇さんもイベントでは顔を出されることもありますし、そうやってオリンピアンが身近な存在にいることは僕たち部員にとっても、これから入ってくる学生にもすごくいい影響を与えていると思います。
※➁慶應義塾體育會フェンシング部OG。2019年、同大学経済学部卒業。今年のパリオリンピック・女子フルーレ日本代表に選ばれ、女性種目史上初の銅メダル獲得に貢献した。
※③慶應義塾體育會フェンシング部OB。2013年、同大学文学部卒業。大学4年時にはロンドンオリンピック・男子フルーレ日本代表に選ばれ、団体・銀メダル獲得に貢献した。
「卒業生にトップで活躍されている方がいることがすごい自分のモチベーションになります」(豊田・写真右)
Q最後に、未来の後輩たちに向けてエールをお願いします
豊田:慶應競走部は、高みを目指せる環境が全て揃っていると思います。あとはそういう素晴らしい環境の中でどこを目指していくのか自分で決めて頑張っていくだけです。是非入部して慶應競走部の発展に貢献していただければと思います。
飯村:フェンシング部は、自分のやりたい事とか目指すべき目標、今やらないといけない事を明確にできる場所です。なので、自分のやりたいことが決まっていない人であったり、将来に不安を感じる人はフェンシング部に入ると、おそらくスポーツだけじゃなく、人間としても計画性や逆算する方法、自分をスケジューリングする能力だったりが鍛えられると思います。是非来てください!
大志を胸に未来へ翔け!
【オリンピアン対談・完】
豊田選手、飯村選手、そして競走部、フェンシング部の皆様。今回は貴重なお時間をいただきありがとうございました。これからも一層のご活躍を願っています。
(取材:竹腰環、岡澤侑祐 編集:大塚隆平、河合亜采子、キムムンギョン、野村康介、小田切咲彩)
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パリ五輪フェンシング個人エペで金 加納選手が凱旋試合 岩国
パリ五輪フェンシング個人エペで金 加納選手が凱旋試合 岩国|NHK 山口県のニュース 配信より
パリオリンピック、フェンシング男子個人エペで金メダルを獲得した岩国工業出身の加納虹輝選手が、
岩国市で開かれた自身の名前を冠した大会で凱旋試合を行いました。
岩国工業出身の加納選手は、パリオリンピックのフェンシング男子エペ個人で個人種目では
日本選手で初めてとなる金メダルを獲得し、男子エペ団体では銀メダルを獲得しました。
岩国市では、加納選手が、前回の東京大会で団体の金メダルを獲得した功績をたたえるとともに
普及につなげようと、2年前から山口県フェンシング協会などが
「加納虹輝杯」と名付けた大会を毎年、開いています。
25日は、加納選手が、エキシビションマッチとして登場し、
ことしの世界ジュニア選手権の日本代表で同じ岩国工業出身の中本尚志選手と対戦しました。
10ポイント先取で行われた試合では、加納選手が、持ち味の素早い動きなどで
終盤に連続ポイントを奪い、逆転で勝利しました。
会場に集まった観客からは大きな歓声と拍手が送られ、
岩国市の小学3年生の男の子は
「最高だった。最後のポイントを奪った加納選手の剣さばきは迫力があり、楽しかった」
と話していました。
加納選手は「本当に多くの方々が会場に訪れていて、オリンピックの影響の大きさを感じた。
今後も、岩国市からフェンシングの裾野を広げていきたい」と話していました。