【速報】ネパールでM5.6の地震 少なくとも54人死亡か

TBSテレビ配信より

 

【速報】ネパールでM5.6の地震 少なくとも54人死亡か(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

 

USGS=アメリカ地質調査所によりますと、日本時間4日午前3時ごろにネパール西部を震源とする

 

マグニチュード5.6の地震がありました。 

 

震源の深さは、およそ18キロと推定されています。

 

 AP通信は当局の話として、これまでに少なくとも54人が死亡、数十人がけがをしたと明らかにしました。

 

TBSテレビ

 

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ネパール人をランチに誘ってはいけません?日本人の常識は、世界の(かなり)非常識

竹村 真紀子 : IWCJ代表 著者フォロー

 

2014/09/03 6:00

 

ネパール人をランチに誘ってはいけません? 日本人の常識は、世界の(かなり)非常識 | グローバル接待の作法 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

配信より

 

右という話のほかの例としては、私は7歳のときからつねに服の下に、右肩から左脇にかけてひもをかけています。これは強制ではありませんが、伝統的な習慣です。いつも右からかけていますが、亡くなった人を思うときには左からかけます。そしてお葬式に行って帰ったときにはつけていたものは捨て、新しいものをつけます。

 

――生活の中に宗教的な観念が多く含まれているのですね。

今は核家族になったり、仕事の関係からずいぶん変わってきました。お話した習慣も伝統的な考えと思ってください。ネパールではまだまだ女性の教育は低いですが、それでも公的機関や政府機関で働く女性も多いです。3分の1ぐらいは女性です。

祭りのために、1カ月の給与を追加!

――宗教の行事などで意識しなければいけないことはありますか?

祭りはとても大切で、たくさんあります。その中でもダサインやティハールなどは重要です。

 

ダサインは親族や友達との再会の時で、1カ月分のお給料が追加で支給され、1週間お休みになります。

 

羊や鶏などの雄のみを捧げます。

 

雌はデリケートなものとして神には捧げないのです。

 

 

年配の人や親戚のところにあいさつに行き、年配の人からティカ(お米に食紅とヨーグルトをいれて混ぜたもの)をおでこにつけて祝福してもらいます。

 

ネパールの人は家族が多いのですが、とても大切にして温かい心と尊敬の念を持っています。助けたり、助けられたりは当たり前です。

 

またネパールの人はとても柔軟性があります。

 

ヒンドゥー教も仏教もあるので、ほかの人がどの宗教であっても気にしません。

 

柔軟性があるので、日本に来ても日本の生活に慣れます。

 

――日本語を流暢に話す人が多い印象があります。

ネパールにはたくさんの日本語学校があり、多くのネパール人が日本語を学んでいます。ネパールと日本とのかかわりはとても深く、6世紀にまでさかのぼるのです。仏陀が中国に入り、仏教が日本に入ってきました。899年に大阪の禅の僧侶がチベットに行く途中にネパールを訪れ、とても気に入って、それ以降、何度もネパールに行きました。1900年代にはネパールの首相は明治の日本に興味を持ち、技術や日本がどうやって発展したかを学ばせたいと、ネパールから8人の留学生を日本に送りました。技術を学ばせたかったのと、仏教を布教したかったのです。

 

もっとたくさんの留学生を送りたかったのですが、第2次世界大戦が始まりました。それから少し経って、1952年、日本のチームがマナスルへ登ることにチャレンジし、1956年に達成しました。その際には昭和天皇が「日本は第2次世界大戦で大変なことがあった、この登頂成功のニュースはとてもうれしいニュースだ」とおっしゃられたそうです。

 

ネパールはとても戦略的な場所にあります。中国とインドという大きな国に囲まれているので小さく見えますが、その分、何かを作ればインドと中国に税金がかからず輸出できるのです。お茶やコーヒーもおいしいですし、コスメティックでもとてもよいものがあります。今、ネパールから多くの人が日本に来ており、これからもっと両国の交流が盛んになることを願っています。

(撮影:今井 康一)

 

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ダサイン

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』配信より

 

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出典検索?"ダサイン" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年10月)

 

ダサイン祭り (ネパール語: दशैं、 : Dasain) または ビジャ・ダサミ(ネパール語: विजया दशमी、 : Vijayadashami) または ダセーラ(: Dasara)は、ネパールインドシッキム州西ベンガル州ダージリン地域、アッサム州メガラヤ州ブータン等でお祝うヒンドゥー教祭り

ダサイン祭りの伝統バンブースイング

ダサインという祭り[編集]

ダサインはネパールで15日間の国家(宗教的)最大の祭り。インドのシッキム州ではステート・フェスティバルとして祝う。

ブータンではダサインの日は、国民の休日である。インドの東北地方以外の地域ではダサインの様々な名前とお祝いの方法があるが、目的は悪に対する善の勝利を祝うという共通点がある。海外ではネパール系民族を始め多くのヒンドゥー教の人々が毎年ダセーラの祭りを様々な儀式や行事を行って世界中で祝う。

 

親族とコミュニティとの絆[編集]

ダサイン祭りは毎年の収穫前に、9月〜10月頃に2週間ほどお祝うもので、ヒンドゥー教の暦(ネパール暦)によって毎年祭りの開始と終了日が変わることが多い。この祭りは、家族、親族や親戚の集まりを強調するために知られており、コミュニティとの絆を深める為の最も年に一度だけの大きなイベントでもある。ダサイン祭りを親族と祝おうと地元の親族から都会に出かけている人々を始め、海外に留学中の学生から出稼ぎにきた人たちや軍隊の人々まで世界の隅々から人々は実家あるいは親族の元へ戻る。

祭りが始まると学校や企業そして行政機関も約10日間の休みに入る。学校等の教育機関は2週間くらい休みとなる。 ダサインは、日本でお正月に実家に帰省するのと同じ感覚である。

ティカとジャマラ[編集]

ダサイン・ティカの日のジャマラ

一般的にダサインの初日はガタスタパナ(鉢おさめ)「Ghatasthapana」から始まる。この日に、祈り部屋に少量の砂を用意し、聖水が入ったカラシュ(儀礼などに用いる特別な容器)をその上に設置する。それを牛糞で覆う。この牛糞と砂に大麦の種が植えられる。また、この種まきは占いによって適切な時間に実行されることになっている。この儀式は家父長または司祭によって実行される。

毎日の大麦の種への聖水まきもすべて家父長によってされる。十日ぐらいでこの種が5・6センチぐらいの黄色い苗に成長する。これがジャマラというものでティカの時に年配者からもらえるものの正体である。

ガタスタパナの七日目がフルパティ「Fulpaati」の日である。ネパールでは国王がいた時までは、この日にゴルカにある国王の実家からジャマラをカトマンズに持ってくる儀式があった。

 

神話と動物のサクリファイス[編集]

八日目のアスタミ「Asthami」の日は動物の犠牲の日である。ドゥルガ女神にシンボリック的に動物の血を捧げる。

 

ダサインは善が悪に勝ったことを祝う祭りで、ドゥルガ女神によって水牛に変化した阿修羅の退治を祝うお祭りである。この阿修羅退治に十日かかったことから数字のダス(10)からダサインと言われる。

 

また、ヒンドゥー教では水牛を食べて、牛を食べないのもこういった水牛は阿修羅の変化で牛は神の使いとされるヒンドゥー教の神話に基づいているものである。

 

民族やカーストによって多少祝い方の差があれど、ネパール全国で、特にカトマンズ盆地では略全てのドゥルガ(カリ、マハカリ、またはカリカとも言われる)女神の寺院にオスのヤギ、水牛、アヒルに至るまで、女神に捧げるものとし犠牲を受ける。この肉は、「プラサード」といい女神によって祝福された食べ物として家に持ち込み、調理される。

 

カーストや民族によって女神に動物の犠牲をしないで、代わりにパパイヤココナツ等の果物を切断して「悪魔との戦闘に燃えている」マハカリ女神にお礼を示すこともある。更には、寺院でハトを開放し、「マハカリの怒り」を覚めるという習慣がある。善と悪の戦いの中で人間は善側に立って女神の勝利を祈り、それを祝うものである。

 

また、インドの西ベンガル州、シッキム州、アッサム州、ブータンでも少し変わった形で女神に捧げを行うが、 動物の切断の取り締まりが厳しい。

 

商売道具の清め[編集]

九日目のナバミ「Navami」の日にも生贄、特に商売道具、機械類や刃物等を清める儀式(プジャ)がある。 人々や家族連れはドゥルガ女神の寺院を訪れ、礼拝を行う。親族はお互いに馳走を振舞う。

 

メインディーはティカの日[編集]

十日目がメインのダサミ「Dasami」の日で年配者からティカ「Tilaka」をしてもらいジャマラ「Jamara」をもらう。

ダサイン祭りは人生の喜びを分かち合うネパール最大のお祭り

 

ティカは、米、ヨーグルトと朱色の混合物で、女性によって調製される。赤色はに家族を結ぶ幸せの象徴である。年配者は、来年の豊饒と豊富で、それらを祝福するために若い親戚の額にティカをつけてくれる。更に、この時点で若い親族に、ダクシナ「Dakshina」と言われ少額のお金を与える。

 

このティカの儀式はダサミから四日続き、満月の日にお祭りが終了する。親族はダサミの後にも遠くから親族のところへ訪れ、ティカを付けてもらう。

 

一方、ネパールでは国王がいたときは、国王もクマリなどからティカを授かる儀式を開催していた。しかし、世俗国家となって大統領制になった今ではそういう儀式は廃止され、一応、非公式に大統領がティカをする場は持つそうだ。

 

  • 2011年のダサイン祭りは、ガタスタパナが9月28日、フルパティが10月3日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月6日。
  • 2012年のダサイン祭りは、ガタスタパナが10月16日(火曜日)、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月24日(水曜日)。
  • 2013年のダサイン祭りは、ガタスタパナが10月5日(土曜日)、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月14日(月曜日)。
  • 2014年のダサイン祭りは、ガタスタパナが9月25日(木曜日)、フルパティが10月1日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月3日(金曜日)。
  • 2015年のダサイン祭りは、ガタスタパナが10月14日(水曜日)、フルパティが10月20日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月23日(金曜日)となっている。
  • 2016年のダサイン祭りは、ガタスタパナが10月2日(月曜日)、フルパティが10月8日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月11日(火曜日)。
  • 2017年のダサイン祭りは、ガタスタパナが9月22日(土曜日)、フルパティが9月27日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は9月30日(日曜日)。
  • 2018年のダサイン祭りは、ガタスタパナが10月10日(水曜日)、フルパティが10月16日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は10月19日(金曜日)。
 
ダサインは年に一度のご馳走[編集]

ダサインの祭りはネパールの人々にとって一年の中でも待ちに待った日である。祭りが訪れば新しい服を手に入れることができ、更に貧しい人々にとっては年に唯一の動物蛋白質を口にできる機会である。なお、都会の人々は日頃から肉が手に入る為、特別なものではないとされる。

 

動物の保護運動[編集]

毎年ダサインの祭りの最中やそれ以外の伝統儀式で大勢の動物が一斉に犠牲にされること話題に、国内外の動物保護団体からネパール政府に対して規制を設けるよう訴えることがある。

特に問題とされているのは5年毎に開催されるガディマイ寺英語版)の儀式がある。

 

以下の内容は、省略しています。

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添乗報告記●ブータン今昔物語「幸せの王国」はどう変わったのだろう?(2011年10月)

 by.中村 昌文

 

コース名:2つの秋ツェチュ祭とパロ・ホームステイ7日間

 

2011年10月4日~10月10日 文・写真●中村昌文(東京本社)

 

添乗報告記●ブータン今昔物語「幸せの王国」はどう変わったのだろう?(2011年10月) | 添乗・出張報告記 ブータン | 風の旅行社 (kaze-travel.co.jp)

配信より

 

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ツェチュ祭の会場にて(ティンプー)

「ブータンは何回目ですか?」

ブータンへ向かう時にお客さんのひとりに聞かれた。

今回で4度目の訪問だったが、そういえば、初めてブータンへ行ったのは2001年の4月のことだ。あれからちょうど10年。初めてブータンを訪れた時、人々の笑顔、篤い信仰心、日常に流れる緩やかな時間、華やかな衣装でお祭りに集う老若男女……。すっかりブータンに魅せられて、その後のセールスにも随分と熱が入ったのを思い出した。

この10年でブータンの変化は目を見張るものがある。あくまでも「ツアー」という限られた日数の中でのことだが、この添乗報告記で10年前とを比較しながら、若き新国王のロイヤルウェディングに湧きかえる「ブータンの今」を少しでもお伝えしたい。

 

広がるブータンへのアクセス

バンコクを出発した、我々14名を乗せたドゥルク航空機は定刻を5時間ほどオーバーしてブータン唯一の空港があるパロに到着した。標高2500mほどのパロ谷にある空港は天候が変わりやすく、離発着が難しい。今回もパロの谷をほぼ真横に眺めながら大きく旋回して着陸したため機内では思わず拍手がわきあがった。

かつてこのフライトはBAe-146-100という小型ジェット機での運航で、座席数はわずか72席だったが、2004年にエアバス社のA319を購入し座席はビジネス20席、エコノミー92席、合計112席まで増え、さらに運航本数もバンコクまで週4便程度だったのが、現在は毎日1便以上飛ぶようになった。これによってブータンを訪れる観光客は劇的に増加している。ブータン政府は現在年間3万人程度の観光客を数年内に10万人にまで増やそうと計画しているそうだ。

ドゥルクエアー(2001年)

 

ドゥルク航空機(2001年)

ドゥルクエアー(2011年)

 

ドゥルク航空機(2011年)


飛行機が空港に到着すると、歩いて伝統的な建築様式で建てられたターミナルビルに向かう。乗客たちは他に離発着する飛行機もないので、のんびりと記念写真などを撮っている。このあたりの雰囲気は以前とまったく変わらない。早くもゆるやかなブータン時間が流れ始める。


首都ティンプーへ

パロ到着後、車で一路ティンプーへ。川沿いの国道1号線を走る。以前、道路は1車線で片道2時間以上かっていたこの区間も、道幅を広げ2車線の対面通行が可能になり、所要時間が30分以上短くなった。しかし、川沿いのグネグネ道にはトンネルはなく、削り取った山側は土がむき出しだ。日本だったらトンネルがドーンと山を貫き山肌はコンクリで固められるところだが「大金を出して工事してもペイしない」んだそうだ。そして沿道は相変わらずのんびりムード。学校帰りの子供たちの制服姿がかわいい。所々で2週間後に控えた「ロイヤルウェディング」をお祝いするためのアーチを村の入り口などに建てていたが、作業風景にも緊張感はない。

2車線となった国道1号線

 

2車線となった国道1号線(2011年)

学校帰りの子供たち

 

学校帰りの子供たち(2011年)


間もなくティンプー、というあたりになると急に交通量が増え始める。ブータンではこの何年かで車の数が大幅に増えた。特に個人で車を持つ人が増えたそうだ。ブータンでは環境に配慮して中古車の輸入を認めていないので、走っているのはみんな新車、インド製のスズキでも100-200万円もする。ガイドのシンゲによるとブータンの一般的な公務員の給料は日本円で月20,000円程度。年収の10倍以上の金額だ。「いったいどうやって購入するの?」と素朴な疑問が湧く。「たいてい共稼ぎですし。あとはローンですね」。

閑散とした時計台付近(2001年)

 

閑散とした時計台付近(2001年)

人と路上駐車であふれる街(2011年)

 

今は人と路上駐車でいっぱいに(2011年)


街が近づくと10年前は山や空き地だったところにもビルが建設されていて、ティンプーの街が相当大きくなったことが分かる。人々の行動範囲が広がり車がないと不便になったのだろう。中心部は駐車スペースを探すのも大変なほどの車が道路脇に止まり、朝夕はひどい渋滞が発生するようになった。ちなみに現在のティンプーの人口は10年前の倍以上の10万人を超えているそうだ。人口70万人のブータンの1/7にあたる。農業以外に仕事のない農村から一攫千金を夢見てやってくる人が多いのだ。

後日、ティンプーを見下ろす山の中腹に建設中の大仏、通称「ブッダポイント」から街を見下ろして驚いた。以前はティンプーの近郊にあったシムトカという街とティンプーの街の間に建物が建ち、2つの街がほとんどつながってしまっていたのだ。


民族衣装の「いま」

ティンプーに着いた日の夜は「民族衣装を着て、お祭り見学に行きたい」という方が多数いたために民族衣装購入へ。夕方の街はものすごい人出だ。ちょうど仏教のお祭「ツェチュ」とヒンドゥー教のお祭「ダサイン」が重なり、ブータン人も、インドからの出稼ぎ労働者も、みなまとめて休暇に入り休日の夜を楽しんでいたようだ。お祭りに合わせて店側もセールをしている。ちなみにこの休暇中にもロイヤルウェディング関連の工事を進めるため、ムスリムであるバングラデシュ人労働者が大勢呼ばれたそうだ。

よく見ると道行く人で、ブータンの民族衣装の「ゴ」(男性用)と「キラ」(女性用)を身につけていない人が少なくない。

「もう仕事は終わってますからね。出掛けるときは、一度家に帰って着替える人も多いんですよ」とシンゲ。

帯でお腹をきつく締め付ける民族衣装は、長く着ていると疲れるし、かなり暑いのだ。

体に一枚布を巻きつける女性用の民族衣装「キラ」も最近は上着で見えなくなる上半身を割愛して、スカート部分と上着だけの「ハーフキラ」が主流になっているそうだ。

店に着くと、お祭り用に新しいゴやキラを買いにブータン人もたくさん来ている。その種類の多さに皆さんちょっと驚かれる。店員さんにこちらの希望を伝えて、皆さん思い思いの衣装を試着する。日本人とブータン人は顔立ちが似ているからか、店員さんがチョイスする組み合わせが、それぞれにマッチしていく。皆さんのテンションがガンガン上がって行くのが感じられる。さすがは「着道楽」の国ブータンの店員さんである。

民族衣装屋さんにて生地を品定め中(2011年)

 

民族衣装屋さんにて生地を品定め中

ゴを試着するブータン人親子(2011年)

 

ゴを試着する

ブータン人親子


田舎の祭りと都会の祭り

翌日、まだ暗いうちに出発し「トンドル」とよばれる巨大なタンカ(仏画)が御開帳されるウォンディフォダンへ向かう。この町は東西交通の要衝でありながら、いい意味で田舎臭さの抜けていない。人々はここぞとばかりに民族衣装で着飾って、家族そろってお祭り見学へやってくる。10年前に訪れたパロのツェチュ祭りと同じ雰囲気がする。

民族衣装に身を包み、お祭りへ繰り出す。お客様とちゃっかり貴賓席(のようなところ)にまぎれて仮面舞踏を見ていたら、お坊さんにブータン風の餃子(モモ)と甘いチャイをごちそうになってしまった。前日に、猛烈に発展しているティンプーを見ていたので、こういう人懐っこさや、優しさは、以前と変わっていないんだなと、なんだかホッとする。

ウォンディ・ツェチュのトンドル

 

ウォンディ・ツェチュのトンドル

法要の太鼓を叩く僧侶

 

法要の太鼓を叩く僧侶


翌日は首都ティンプーでのツェチュ祭りだ。2年前に数万人を収容する巨大なスタジアムが完成し、最近はお祭というより「イベント」と言った方がしっくりする。祭りの規模は他と比較にならないほど大きいし、仮面舞踏の踊り手との距離もそれに比例して遠い。首都だけにやってくる人々の衣装も派手で洗練されている。「こんな柄、他では見ないな」という色使いや柄も目にする。しかし、晴れ着に身を包み、家族総出でやってきて、お弁当を囲み、1日をのんびりと過ごす。そんなお祭りの楽しみ方は田舎も都会も、今も昔も変わらないし、子供たちの無邪気な笑顔も同じだ。「ちょっとごめんなさい、座らせて」と外国人である我々に言われると、笑顔で敷物の端っこに「どうぞ」と座らせて、お菓子をふるまってくれる優しさも健在だ。

ティンプー・ツェチュの会場はスタジアム

 

ティンプー・ツェチュの会場はスタジアム


晴れ着に身を包んだ見物客

 

晴れ着に身を包んだ見物客

子供たちも立派におめかし

 

子供たちも立派におめかし


ところが、祭り見学を終えた我々の前に「今どきのブータン」を象徴するような若者の一団が現われた。まるでK-popグループやHip Hopグループのように髪の毛を逆立て、ピアスやサングラスをつけたその一団は明らかに周りから異彩を放っていた。10年ほど前から解禁されたテレビの衛星放送で流れる韓国ドラマやポップスはブータンでも大流行り。おそらくその影響だろう。

「ちゃ、チャラーい!」

k-pop風な若者たち

k-pop風な若者たち


若い女性達も負けていません

 

女性陣も負けていません

我々が抱くブータンのイメージとの落差にしばし呆然。

だが待てよ、お祭りは宗教行事であるとともに、若い男女が出会いを求める機会でもある。10年前のお祭りツアーに行ったときにも、会場の隅っこで男子学生たちが女子学生に声をかけているのを見かけた。彼らが女性からモテたいと思うなら、おしゃれな男をアピールすることも当然だ。いまやブータンでもiPhoneを持つ人も増え、インターネットやテレビで世界中の情報を得ることができる。世界の流行を捕らえた彼らのファッションはきっと最先端で、だからきっとこれも「あり」なのだろう。


「幸福大国」のこれから

この10年、ブータンでは経済発展が進み、若者はテレビやインターネットを通じて外の世界を知り、インドや欧米諸国へ留学を希望する子も多くなった。そうしてブータンは徐々に変わってきているし、これからも変わって行くだろう。

ブータン各地に高級リゾートができ、旅行者にとって魅力的なお土産物が増え、いままでまったく内部拝観ができなかった僧院にも一部入れるようになるなど、観光客を受け入れて外貨を稼ぐ、という体制が整ってきた。その際に、ブータンの人々は自分たちが世界からどう見られているか? 外国人がブータンのどこに魅力を感じているのか? ということを強く意識しているのだと気づかされる。そういう「外からの視線」を意識することはお祭りでの着道楽ぶりや、見ず知らずの他人にも優しく接するところにも表れている。

(もちろん、彼らが生来親切だということもあるのだが)。

個人的には、この「外からの視線」への意識を失わない限り、まだしばらくブータンは発展と伝統文化の折り合いをつけられるんではないか、と思っている。しかし、急速な経済発展や環境の変化が、そんなブータン人の意識をどう変えるのか? これまで経済発展から取り残されてきた人達がこのことを理解できるのか?

これまで10年以上付き合ってきた国だが、これからますますブータンから目が離せない。是非、たくさんの皆さんにも自分の目で確かめて頂きたいと思っている。


ブータン出入国カード

飛行機内で配布されるブータン出入国カードも

ロイヤルウエディング・ムードでした



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