【独自】日大アメフト部・大麻疑惑で林真理子理事長を直撃 「報告を受ける前から調査始まっていた」

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【独自】日大アメフト部・大麻疑惑で林真理子理事長を直撃 「報告を受ける前から調査始まっていた」(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

 

FNNプライムオンライン

日本大学アメフト部をめぐる大麻疑惑について、3日朝、林真理子理事長がFNNの取材に応じ、林理事長自身が報告を受ける前から調査が行われていたことを明らかにした。これが事実であれば、学内での情報共有が円滑に行われていなかった可能性が出てきた。 【画像】FNNの取材に応じる、日本大学の林真理子理事長(3日午前7時ごろ) 林理事長は大麻疑惑について3日朝、「7月、保護者からの手紙で知った。6月にはヒアリングが始まっていた」と明かした。 林真理子 理事長: 7月初旬に(保護者からの手紙が)きた。 ーー(部内での)調査はいつから? 手紙の前に、多分あったと思う。やはり、私たちに通報(保護者からの手紙)があった前ですから、その前からヒアリングはしてると聞いている。 ーーヒアリングは部員に? あと監督ですとか。 林理事長はさらに、報道陣に2日「違法な薬物が見つかったことは一切ない」と否定したことについて、「『今のところは』見つかってないという意味」と軌道修正し、釈明している。 万が一、違法薬物が確認された場合は「会見を開いて対応する」と明言しているが、5年前の悪質タックル問題や元理事長の脱税事件などで指摘された日大のコンプライアンス意識が、あらためて問われる事態となっている。 (「Live News days」8月3日放送より)

社会部,Live News days

 

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【独自】日大アメフト部・大麻疑惑で林真理子理事長を直撃 「報告を受ける前から調査始まっていた」

8/3(木) 12:03 FNNプライムオンライン 配信より

【独自】日大アメフト部・大麻疑惑で林真理子理事長を直撃 「報告を受ける前から調査始まっていた」(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/49d8d04cdb3e510802cb37e6a24e736ec656caa3

FNNプライムオンライン

日本大学アメフト部をめぐる大麻疑惑について、3日朝、林真理子理事長がFNNの取材に応じ、林理事長自身が報告を受ける前から調査が行われていたことを明らかにした。これが事実であれば、学内での情報共有が円滑に行われていなかった可能性が出てきた。 【画像】FNNの取材に応じる、日本大学の林真理子理事長(3日午前7時ごろ) 林理事長は大麻疑惑について3日朝、「7月、保護者からの手紙で知った。6月にはヒアリングが始まっていた」と明かした。 林真理子 理事長: 7月初旬に(保護者からの手紙が)きた。 ーー(部内での)調査はいつから? 手紙の前に、多分あったと思う。やはり、私たちに通報(保護者からの手紙)があった前ですから、その前からヒアリングはしてると聞いている。 ーーヒアリングは部員に? あと監督ですとか。 林理事長はさらに、報道陣に2日「違法な薬物が見つかったことは一切ない」と否定したことについて、「『今のところは』見つかってないという意味」と軌道修正し、釈明している。 万が一、違法薬物が確認された場合は「会見を開いて対応する」と明言しているが、5年前の悪質タックル問題や元理事長の脱税事件などで指摘された日大のコンプライアンス意識が、あらためて問われる事態となっている。 (「Live News days」8月3日放送より)

社会部,Live News days

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最終更新:8/3(木) 13:17 FNNプライムオンライン
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山田 顕義

人物名:山田 顕義
1844年生~1892年没

学祖 山田 顕義 「誕生と家系」 | 日本大学の歴史 (nihon-u.ac.jp) 配信より
https://www.nihon-u.ac.jp/history/forerunner/yamada/


山田顕義 略年表

学祖の声
山田顕義は、弘化元年(1844)、長州藩の城下町萩(現・山口県萩市)に萩藩士山田顕行(あきゆき)の長男して生まれました。幼名は市之允(いちのじょう)、後に顕義と改名します。

村田清風(萩博物館蔵)

山田顕義を輩出した山田家は、大組士という長州藩でも中ほどの家格で、禄高は102石でした。親戚には、藩政改革の指導者である村田清風や山田亦介など、幕末期に長州藩で活躍した人物がいます。村田清風は長州藩の財政改革を指導し、「八万五千貫の大敵」というスローガンのもと、倹約を奨励するとともに殖産興業に力を入れました。清風による財政改革がなければ、幕末における長州藩の活動はかなり制限されていたことでしょう。

山田家ほか家系図

顕義の伯父で長沼流兵学者である山田亦介は、吉田松陰に兵学を教授した人物で、洋学にも造詣が深く、長州藩の軍制改革総責任者として洋式海軍の創設などに尽力しました。安政2年(1855)と安政5年、長州藩は長崎海軍伝習所に洋式軍事技術を学ぶ伝習生を派遣します。このとき、顕義の父山田顕行も伝習生として派遣され、顕行は慶應2年(1866)には、海軍頭取に就任しています。

元治元年(1864)、禁門の変に長州藩が敗れ、長州藩内が幕府への恭順派で占められると、急進派である山田亦介はとらえられて処刑、村田次郎三郎(のちに大津唯雪)は捕縛され、顕行は謹慎を命ぜられました。

幕末の頃の山田顕義(山口県立山口博物館蔵)

河上弥市は村田清風の妹秀の孫で、顕義より1歳年長の再従兄です。奇兵隊に参加し、のちに奇兵隊総督となりました。尊攘派公卿の澤宣嘉を擁立して生野(現在の兵庫県)で挙兵しますが、近隣諸藩兵に囲まれ自刃しました。高杉晋作は弥市の死を深く惜しんだ漢詩を残しています。

顕義の夫人龍子は、山口湯田温泉にある「瓦屋」旅館の主人鹿嶋喜右衛門の長女で、井上馨の養女となって山田家に嫁ぎました。

このように改革派や洋式兵学にも長けた人物を輩出している山田家の血脈は、顕義にも色濃く受け継がれていくこととなります。

山田顕義の生家は、山口県萩市の中心部から東に約2キロ、地元の人たちが「かとり山」と呼ぶ小山のふもとにありました。現在は、顕義の遺徳を顕彰した史跡公園「顕義園(けんぎえん)」が整備されています。

昭和54年9月、日本大学が建学90周年を記念して建設した顕義園は、総面積1774平方メートル。周囲には石州瓦を載せた白地の築地塀がめぐらされ、当時の長州藩の中級武士の屋敷の面影を伝えています。入口には「山田顕義生誕地」の石柱、また園内には「山田顕義先生之像」が建てられているほか、日本大学の各学部や付属校、OB会などによって植樹されたサクラやツバキ、ソテツなどの木々が四季折々の風情をたたえています。

学祖の師・吉田松陰を祀る松陰神社や松陰の墓所、学祖が学んだ松下村塾、藩主毛利家の菩提寺・東光寺などの史跡も徒歩圏内です。

「顕義園」の詳細は、こちらから

山田顕義生誕地の「顕義園」(山口県萩市)

その他のエピソード
誕生と家系
士族反乱を鎮圧
人生の師 吉田松陰との出会い
司法への道と法典編纂
大村益次郎から兵学の知識を学ぶ
皇典講究所の設立と改革
戊辰戦争での活躍
日本法律学校の創立
陸軍創設への貢献
山田顕義 略年表
欧米への視察(岩倉使節団)

山田 顕義