夏の全国高校野球宮崎大会 決勝 宮崎学園が勝ち初の甲子園へ
夏の全国高校野球宮崎大会 決勝 宮崎学園が勝ち初の甲子園へ|NHK 宮崎県のニュース
配信より

夏の全国高校野球宮崎大会は25日宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎で決勝が行われ、宮崎学園が聖心ウルスラ学園に延長10回タイブレークの末1対0でサヨナラ勝ちし、春夏通じて初めての甲子園出場を決めました。
決勝は6年ぶりにノーシードどうしの顔合わせとなりました。
試合は宮崎学園の先発、2年生の河野伸一朗投手と聖心ウルスラ学園の先発、3年生の渡野弘翔投手の両左腕がランナーを出しながらも要所を締め、守りも8回までともにノーエラーと好守備が光り0対0で進みました。
9回裏には宮崎学園がツーアウト三塁一塁とサヨナラのチャンスを作りますが、聖心ウルスラ学園の渡野投手がここまで投げ合ってきた9番の河野投手をセカンドライナーに打ち取って延長戦に入りました。
延長戦はノーアウト二塁一塁から始まるタイブレークで、10回裏、宮崎学園はランナーを三塁に進め、最後は3年生の代打渡邊隼人選手のタイムリーヒットでサヨナラ勝ちしました。
宮崎学園は準決勝に続く2試合連続のサヨナラ勝ちで、春夏通じて初めての甲子園出場です。
聖心ウルスラ学園は渡野投手が1人で145球を投げ抜きましたがチャンスであと1本が出ず、6年ぶりの甲子園はなりませんでした。
【宮崎学園 田口周主将は】
キャプテンの田口周選手は試合後のインタビューで、「ただただ、うれしいです。ロースコアの展開は不安だったが、終盤勝負とチームで集中して粘りきれた。この大会を通じて部員1人1人が周りのことを思う気持ちが出てきた。甲子園では宮崎代表として目標の1勝をつかみ取りたい」と感極まりながら話していました。
【宮崎学園 崎田忠寛監督は】
宮崎学園の崎田忠寛監督は「すごくうれしい気持ちでいっぱいです。どっちに転んでもおかしくない試合展開で、腹をくくっていったのがいい結果につながった。甲子園に向けてしっかり準備をして一戦必勝で戦いたい」と話していました。
【敗れた聖心ウルスラ学園 渡野弘翔投手は】
聖心ウルスラ学園の先発、渡野弘翔投手は「自分のピッチングでチームを勝たせられなかったので悔しい。正直、きつかったが、高校野球でたくさんの人にお世話になったのでその人の分までと感謝の気持ちで投げきりました」と話していました。
私のコメント : 令和5年7月26日、夏の全国高校野球宮崎大会は宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎で決勝が行われ、宮崎学園が聖心ウルスラ学園に延長10回タイブレークの末1対0でサヨナラ勝ちし、初めての甲子園出場を決めました。
小坂 恭子
1975年にリリースしたシングル『想い出まくら』が130万枚(オリコンでは85万枚)を超え、当時の代表曲となった。
FM宮崎(1984年12月1日開局)の開局当時、「サウンドシャワー」というステーションソングを担当もしていた。