泊原発の想定される地震の揺れ了承 申請から10年ごし

 

泊原発の想定される地震の揺れ了承 申請から10年ごし|NHK 北海道のニュース

 

北海道電力が再稼働を目指す泊原子力発電所3号機の審査で、焦点となっていた想定される地震の揺れについて、従来よりも1割ほど引き上げるなどとした北海道電力の説明内容が9日了承されました。

 

申請から10年ごしでの決着となりましたが、審査にはまだ多くの項目が残されていて、再稼働の時期は見通せない状況が続いています。

北海道電力は2013年7月に泊原発の再稼働に向けた審査を申請しましたが、入り口となる地震の想定をめぐって、原子力規制委員会からたびたび説明の不備が指摘され、審査が長期化していました。


9日開かれた審査会合では、想定される地震の揺れ「基準地震動」について、最大値を従来の620ガルから693ガルに、1割ほど引き上げるなどとする北海道電力の説明内容が了承されました。


この「基準地震動」について北海道電力は、泊原発周辺の海底の活断層が動くケースに加え、断層が地表に現れず震源が特定できない地震も新たな手法で想定し、それらを組み合わせて策定したとしています。


「基準地震動」が了承されたことで、今後、原発の耐震設計などの審査が本格化しますが、ほかにも津波や火山の想定、それに防潮堤の設計など、多くの審査項目が残されています。


北海道電力は来年1月末までに説明を終える考えを示していますが、審査に合格するめどは立っておらず、再稼働の時期は不透明な状況が続いています。


北海道電力は、「引き続き早期の再稼働に向けて残った審査項目についても適切に対応を進めたい」とコメントしています。

【基準地震動の設定めぐり紆余曲折】
北海道電力が泊原発の再稼働に向けた審査を原子力規制委員会に申請したのは、福島第一原発の事故を教訓に作られた新たな規制基準が施行された2013年7月でした。


ほかの3つの電力会社と並び、全国で最も早い申請でしたが、同時に申請した原発がすべて審査に合格し再稼働しているのに対し、泊原発の審査は大幅に遅れてきました。


理由のひとつが、泊原発の敷地内にある断層が将来動く可能性がある、いわゆる「活断層」かどうかをめぐる議論が長期化したことでした。


断層の活動性は、12万年から13万年前よりも新しい時期に活動した痕跡があるかどうかで判断されますが、北海道電力が動く可能性はないと主張したのに対して、規制委員会は根拠とするデータが不足していると指摘し、議論は平行線をたどりました。


2017年には、北海道電力が行った調査で、主張の根拠としていた20万年前の火山灰の層が断層の上に見つからず、審査は振り出しに戻りました。


その後北海道電力は、火山灰の層の代わりに周辺の地形との比較から断層上の地層の年代を説明する方針に転換し、追加の検討を重ねた結果、おととし7月の審査会合で、動く可能性はないとする主張が認められました。


また、審査の長期化には、泊原発のある積丹半島西岸の地形についての議論も影響しました。


原子力規制委員会は現地調査を行った結果、2017年3月、「地震によって隆起した可能性が否定できない」と指摘し、北海道電力は、積丹半島西側の海底に活断層があると想定して基準地震動を策定することを余儀なくされました。


さらに審査の過程では、会合を開くたびに北海道電力が提出した書類の不備や検討の不十分さが指摘され、規制委員会は去年4月、「専門的な議論に応じられる人材の不足が決定的に審査に影響している」として、北海道電力に人材の拡充などの対応を求めていました。


【基準地震動の設定 評価不十分の指摘も】
今回了承された「基準地震動」について、策定に使われた海底の活断層の規模が過小評価されているとして、妥当ではないと指摘する専門家もいます。


地理学が専門の北海道大学の小野有五名誉教授は、北海道電力が規制委員会からの指摘を受けて、22.6キロメートルと設定した積丹半島西方の海底活断層の長さについて、実際の海底地形からは、より広い範囲で広がっている可能性があると指摘しています。


小野名誉教授は、「基準地震動を大きくしないため海底活断層の規模を過小設定している可能性がある」と話しています。


これに対して、北海道電力は22.6キロメートルと設定した根拠について、国の地震調査委員会の見解を参考に設定したとしていて、原子力規制委員会も、現在の知見からするとおおむね妥当と判断したとしています。


その上で原子力規制委員会は、今後も最新の科学的な知見が出れば検討する枠組みはあるとコメントしています。

 

私のコメント :  令和5年6月9日、北海道電力が再稼働を目指す泊原子力発電所3号機の審査で、焦点となっていた想定される地震の揺れについて、北海道電力の説明内容が9日了承されました。しかし、審査の過程では、北海道電力が提出した書類の不備や検討の不十分さが指摘され、原子力規制委員会は去年4月、「専門的な議論に応じられる人材の不足が決定的に審査に影響している」として、北海道電力には、その人材の拡充などの対応を求めていました。

 

地理学が専門の北海道大学の小野有五名誉教授は、「基準地震動を大きくしないため海底活断層の規模を過小設定している可能性がある」と話しています。

 

国 労働政策審議会 会長 西川俊作教授より、慶應義塾大学に私が、在学中には、以下の記載内容 泊発電所 学事内容の相談 相手となり、石橋湛山先生からの 北海道経営 について 私が、過去に、その聞き及んでいた事柄 等も含め、慶應義塾大学 学事内容 事柄にも 沿い、西川俊作教授と面談していた。

 

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泊発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

泊発電所
Tomari Nuclear Power Plant 01.jpg

泊発電所(2008年8月)地図

Wikimedia | © OpenStreetMap

 

泊発電所の位置(北海道内)

泊発電所

北海道における泊発電所の位置

日本の旗 日本
座標 北緯43度2分10秒 東経140度30分45秒座標北緯43度2分10秒 東経140度30分45秒
着工 1985年4月18日
運転開始 1989年6月22日
運営者 北海道電力
 
原子炉
運転中 2 x 579 MW
1 x 912 MW
 
発電量
平均発電量 8,554 GWh
正味年間発電量 138,706 GWh
ウェブサイト
ほくでん(北海道電力)
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泊発電所(とまりはつでんしょ)は、北海道古宇郡泊村にある原子力発電所

概要[編集]

北海道電力の保有する、北海道で唯一の原子力発電所である[1]。1~3号機の発電設備容量の合計は207万kWで、北海道の電力需要の約40%を賄う電源となっている[1]

発電設備[編集]

  原子炉形式 運転開始 定格出力 現況
1号機 加圧水型軽水炉 (PWR) 1989年(平成元年)6月22日[2] 57.9万kW 定期点検中
2号機 1991年(平成3年)4月12日 57.9万kW
3号機 2009年(平成21年)12月22日 91.2万kW

位置[編集]

  • 北海道古宇郡泊村大字堀株(ほりかっぷ)村
  • 1969年の立地決定当初は、日本では珍しい内陸型原子力発電所として、隣接する共和町との境界付近に1基35万kWの建設を予定しており、計画上の名称も「共和・泊発電所」とし、岩内港から資材を陸揚げして道路で12-13km程離れた発電所敷地まで輸送する計画としていた。しかし反原発運動の激化や、岩内港からの資材の輸送時に専用道路を用いた場合を含めて妨害のリスクがあることや、取放水路が海岸まで2km以上の長距離に渡り貝類の付着により保全が困難になることが予想された為1978年に現在の泊村沿岸部に計画を変更し、名称も「泊発電所」となった[4]
  • 電力会社の本社がある都道府県に所在する原子力発電所は当発電所と東北電力女川原子力発電所のみである。

過去の主なトラブル[編集]

泊原子力発電所周辺の過去1年間の地震の震源分布と地殻変動(防災科学技術研究所 Hi-net 高感度地震観測網の地震データと国土地理院の電子基準点の位置データより作成)

  • 1991年(平成3年)4月 - 1号機の低圧タービンの静翼309枚の溶接部分に亀裂が発見され[5]、地元に5日遅れで連絡[6]
  • 2003年(平成15年)9月 - 2号機の1次冷却水が漏れ、運転停止[7]
  • 2004年(平成16年)
    • 9月 - 蒸気発生器伝熱管56本に摩耗減肉[8]
    • 10月 - 2号機で、B充填ポンプトリップの警報により、Bポンプが自動停止[8]
  • 2005年(平成17年)5月 - 原子力発電所のフェンスを越えて、山菜加工業者とそのアルバイトらが敷地内に不法侵入。タケノコ採りをしていたアルバイトの1名が、たまたま職員に捕まったことをきっかけに総勢24名が逮捕、後日書類送検された。テロ対策強化の必要性が改めて問われる事件となった。
  • 2006年(平成18年)12月 - 定期点検中の2号機で火災[9]
  • 2007年(平成19年)
    • 5月末、6月 - 3号機の原子炉建屋近くの屋内作業現場に、人糞[10]
    • 7月3日、4日、7日、11日、24日、8月7日、9日 - 建設中だった3号機の原子炉建屋、原子炉補助建屋、作業員事務所の仮設トイレ等で、火災発生。他にも電源コードの切断も見つかった。何者かが放火している疑いが持たれている[9][11][12]
    • 9月27日 - 1号機の非常用ディーゼル発電機2基が故障。北海道電力は、その原因を メンテナンス会社が検査した際に、「調整装置」に異物が混入した為と発表[13]
  • 2010年(平成22年)3月2日 - 北海道電力は、1号機で、定期検査中に50代男性作業員の一人が微量の放射性物質を体内に取り込み被ばくしたと発表した[14]
  • 2011年(平成23年)1月9日 - 北海道電力は、3号機で、定期検査中に20歳代の男性作業員一人が微量の放射性物質をあびて被ばくしたと発表した[15]
  • 2018年(平成30年)9月6日 - 北海道胆振東部地震の発生で道内全域が停電したことに伴い、外部電源を喪失。非常用電源に切り替えた[16]。同日午後、全号機の外部電源復旧。

歴史[編集]

出典は泊村の泊発電所紹介[1]

  • 1967年(昭和42年)10月 - 北海道が泊村、島牧村浜益村の3村を原子力発電所建設予定調査地点候補地として選定発表した。この後、岩宇地区4か町村長、議長、商工会議所で構成した「泊村原子力発電所誘致期成会」や「泊原子力発電所誘致促進会」が結成され、誘致活動が行われた。
  • 1969年(昭和44年)9月 - 北海道、札幌通商産業局、北海道電力の三者協議によって、北海道初の原子力発電所の建設予定地が共和・泊地区に決定された。
  • 1973年(昭和47年)
    • 2月 - 漁業関係者からの反対を受け、発電所建設覚書に同意した岩内町が合意を凍結[4]
    • 7月 - 北海道知事が発電所建設について「地元の条件が整うまで静観する」との意向を示す[4]
  • 1976年(昭和51年)12月 - 岩内町議会が発電所建設の条件付き賛成の決議を行う[4]
  • 1977年(昭和52年)10月 - 北海道が発電所建設の積極的推進を再開[4]
  • 1978年(昭和53年)9月 - 北海道電力が、発電所位置を内陸部から泊海岸(泊村大字堀株村)へ変更し、電気出力を57.9万kW×2基とすることを表明。地元では発電所建設について種々の議論がなされたが、最終的に地元町村長の同意がなされた。
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月 - 北海道知事が「共和・泊発電所建設計画」に同意する意見書を経済企画庁へ提出。国の第87回電源開発調査審議会において、「共和・泊1・2号機建設計画」が国の電源開発基本計画に組み入れた。
    • 7月 - 国の第88回電源開発調査審議会において「泊発電所」への名称変更が承認。
    • 12月 - 北海道、関係4町村と北海道電力は、建設工事における環境の保全等を図るため建設協定に調印。
  • 1984年(昭和59年)
    • 6月 - 内閣総理大臣による原子炉設置許可。通商産業大臣による電気工作物変更許可。
  • 8月 - 通商産業大臣による工事計画認可。
    • 9月 - 起工式、建設工事着手。
  • 1988年(昭和63年)
    • 10月14日 - 1号機運転開始の是非を問う住民投票を行うための条例制定が、有効署名89万人により直接請求される。
    • 10月17日 - 1号機燃料初装荷[17]
    • 11月 - 1号機初臨界[18]
    • 12月3日 - 北海道議会(定数110)が「泊原子力発電所1号機の運転開始に対する道民投票に関する条例案」を賛成52、反対54で否決。
  • 1989年(平成元年)6月22日 - 1号機営業運転開始[2]
  • 1990年(平成2年)
    • 6月 - 2号機燃料初装荷。
    • 7月 - 2号機初臨界。
    • 1991年(平成3年)4月 - 2号機営業運転開始。

3号機増設[編集]

  • 1996年(平成8年)10月 - 環境影響評価の実施についての泊村への申し入れ。この後、1年8か月に及び環境調査が行なわれた。
  • 1998年(平成10年)
    • 7月 - 北海道電力から3号機増設計画についての申し入れが道をはじめ地元町村になされた。この後、法律や道条例に基づく環境影響評価書の縦覧や環境影響調査に係る地域単位の説明会の開催、道のエネルギー問題委員会などにより議論が交わされた。
    • 9月 - 総合エネルギー対策推進閣僚会議において泊地点が『要対策重要電源地点』に指定された。
    • 11月 - 道条例に基づく公聴会開催。
    • 6月 - 第1次公開ヒアリング開催。
      • この頃、同年7月の敦賀発電所2号機一次冷却材漏洩事故の発生や、9月の東海村JCO臨界事故により、原子力の安全性に対する世論が一段と激しさを増し、一部には住民投票との声もあった。しかし、地元関係漁協や経済団体などが「条件付き賛成」をいち早く表明し、地元の各町村は、議会等において安全性や地域振興の問題など色々な角度から審議した。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 道主催の道内のエネルギー施策をテーマとする「道民のご意見を聴く会」が泊村、札幌市旭川市函館市帯広市で開催された。3号機増設に向けて北電による「やらせ」があったことが判明している。
    • 7月 - 北海道議会第2回定例会において知事が泊発電所3号機についての考え方を表明。
    • 8月 - 知事が地元の意向の照会を求める。これに対し地元町村はそれぞれの議会において議論をし、泊村では同月28日に開催された原子力発電所対策特別委員会において「条件付き容認」が賛成多数で決議されたため泊村長は同月31日に知事へ対し正式に3号機増設計画に対する意向を伝えた。
    • 9月 - 知事が経済企画庁に対し電源開発基本計画への組み入れについて異存ない旨の回答を提出。
    • 10月 - 144回電源開発調査審議会において国の電源開発基本計画に新たに組み入れられた。
  • 2001年(平成13年)3月 - 建設準備工事開始。
  • 2002年(平成14年)11月 - 第2次公開ヒアリング開催。
  • 2003年(平成15年)
    • 7月 - 経済産業大臣が3号機増設の原子炉設置変更許可。
    • 11月 - 建設工事開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 1月 - 熱料初装荷、試運転開始。
    • 3月 - 初臨界。
    • 12月 - 営業運転開始。

3号機プルサーマル計画[編集]

  • 2008年(平成20年)
    • 4月 - 安全協定に基づき北海道電力から岩宇4か町村及び北海道への申し入れ。これを受けて、岩宇4か町村と北海道は「プルサーマル計画に関する有議者検討会議」を設置した他、「泊発電所のプルサーマル計画に関するご意見を伺う会」や資源エネルギー庁主催の「プルサーマルシンポジウム」、「プルサーマル計画に関する公開シンポジウム」(後述)と称した道民からの意見募集を行った。
    • 10月12日 - 道と地元4町村主催の「プルサーマル計画に関する公開シンポジウム」が泊村、札幌市で開催された。北電による「やらせ」があったことが判明している。
  • 2009年(平成21年)12月 - 有議者検討会議が「プルサーマル計画の安全性が確保される」旨提言。
  • 2010年(平成22年)
    • 2月 - 泊村議会協議会が3号機のおけるプルサーマル計画の容認を決定。岩宇4か町村長がプルサーマル計画の事前了承をする旨を知事に報告。
    • 3月 - 知事が北海道電力に対する回答を受けて、北海道電力は国に原子炉設置変更許可の申請を行った。現在、国の二次審査の手続き中である。

福島第一原子力発電所事故後[編集]

3号機は、2011年(平成23年)1月5日から第1回定期検査に入り、3月7日に調整運転として発電を再開した[19][20]。当初は4月にも最終検査を受けて営業運転を再開する予定であった[20]。しかし、3月11日東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が起き、北海道電力は営業運転再開に向けた申請を延期したため、8月10日に経済産業省が定期検査修了証を発行するまで、4か月という異例の長期にわたってフル出力状態の調整運転が続いた[20]

 

この営業運転再開は福島原発事故以後では初である[20]高橋はるみ道知事は運転再開を容認する姿勢を示してきたが、これは拙速だと批判する道民の声もあった[20]。知事は周辺4町村の意見を聞くとしたが、10 km圏外の15町村には再開について説明がなかったため、道や北海道電力へ協議を申し入れた[20]。また、道内の38人は営業運転を認めないよう国に求める訴えを札幌地方裁判所へ起こした[20]

 

国のエネルギー政策や安全指針が明確になっておらず、反対の立場や慎重な姿勢をとっている道民も多い状況の中で、この運転再開を容認する姿勢を見せる高橋はるみ道知事の資金管理団体「萌春会」の会長は、北海道電力元会長の南山英雄であり、北海道電力役員が「萌春会」に対して、役職に応じて決まった額の個人献金を毎年していることを東京新聞が報じている[21]

 

国は、この営業運転再開に対し、定期検査中の原発の再稼働には当たらない見方を示し、政府が福島原発事故を受けて原発再稼働に必要だと定めたストレステストを義務付けない代わりに、通常行われる原子力安全・保安院のチェックだけでなく原子力安全委員会も含め二重にチェックするとした[20]。しかし、原子力安全委員会の班目春樹委員長は保安院の報告を受け、「定期検査は保安院が責任を持って行うものである」と8月11日の委員会で発言し、委員会としての判断を示さなかった[20]

 

原子力資料情報室の共同代表を務める伴英幸は、3月11日の福島原発事故以降8月まで定期検査を終了する原発がなく、この状況が続くと2012年3月には日本中の全ての原発が停止するはずであったが、原子力安全・保安院が全機停止を避けたかったために泊発電所の営業運転再開を認め、これを突破口に他の原発も運転再開することを図っていると述べた[21]

やらせ事件[編集]

詳細は「北海道電力#泊発電所関連シンポジウムでのやらせ事件」を参照

 

2011年の福島原発事故をきっかけとして、国と電力会社の原発に対する姿勢や数々の問題について国民が注目するようになった中、九州電力玄海原発運転再開に向けた説明会でやらせメール事件を起こしたことが発覚し、国会で取り上げられて重大問題となった。

 

7月のこの事件の発覚の後、北海道電力も泊発電所の3号機増設やプルサーマル計画導入に向けて、2000年の「道民のご意見を聴く会」と2008年の「プルサーマル計画に関する公開シンポジウム」で、社員や住民に対して計画賛成の意見を表明するよう要請していたことが明らかになった[22][23][24]

 

第三者委員会の報告書が北海道電力の組織的関与を認め、10月には佐藤佳孝社長が道議会の産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会に参考人として出席を求められた[25]。しかし、佐藤社長は、自身を含む上層部の関与については「承知しておりません」と述べ、辞任も否定した[25]

 

上述のように、泊発電所3号機は、2011年3月7日に調整運転として再稼働し、8月17日に正式な営業運転に移行したが、2012年5月5日23時3分定期検査のため停止された。この停止によって日本国内で稼働している原子力発電所はゼロになった[26]。国内の原発全停止は1970年以来42年ぶりである[27]。定期検査は71日間かけて実施される予定であったが[27]原子力安全委員会の再稼働許可が出ていない。

 

2012年4月23日に北海道電力が公表した夏の需給見通しでは、泊発電所1 - 3号機と苫東厚真発電所4号機が停止する状況となり、猛暑を想定すると需要に足りず、節電を要請せざるを得ない可能性がある状態であり、同発電所1,2号機の早期再稼働への理解を求めたいとしている[28]。また、5月5日の3号機停止(北電管内、日本国内の全ての原発の停止)を受けて、同発電所は北海道の電力の安定供給にとって重要な基幹電源であり、1日も早い発電再開を目指すといったコメントを出した[29]

 

しかし、北海道電力の夏の需給見通しに対して、需要が実際に2012年夏の供給力見通しを上回ったのは2011年夏は2時間、猛暑として参考にしている2010年夏でも48時間であり、節電をすれば夏を乗り切れ、また地震と原発事故があった本州並みの節電をすれば、需要がピークになる冬も原発なしで乗り切れると指摘する専門家もいる[30]

 

2013年北電は関西・四国・九州の各電力会社の5原発と共に再稼働を申請。

 

2016年11月13日から14日、再稼働の見通しが立たない中で原子力総合防災訓練を実施。大地震と津波が起こり、泊原発3号機の格納容器内で蒸気漏れが発生したとの想定によるものだった。主催者に国も入り[31]、参加人員も1万人を超える大掛かりな訓練となった[32]

 

2021年7月、泊原発に活断層はないということで再稼働へ進展したがその後会社側の人材不足による地震、津波、火山の評価が進まず原子力規制委員会の更田委員長から「調査に必要な投資をケチらないで欲しい」と指摘を受けた。この遅れにより停止から10年経った2022年現在も再稼働していない[33]

福島第一原子力発電所事故後における北海道電力の対応[編集]

技術面[編集]

2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所事故後、北海道電力は、安全対策をすることとし、原発に依存する現行体制の見直しは、否定[34]。具体的な安全対策については、移動発電機車を導入し高台に置いたほか、建屋内への浸水防止策を検討しているとしたが、「福島の津波が高さ14メートルなら、15メートルに対応すればいいのか、16メートルがいいのか、収まりがつかない」とも述べた[35]

 

2012年5月16日に北電は、放射性物質が外部に漏れるような原発事故が起きた際の作業拠点となる「免震重要棟」を2015年度の完成を目指して建設すると発表した。北電が「津波の影響を受けにくい」とする標高31 m以上の後背地の高台に建てる計画である[36]。また、2014年度完成を目指すとしている防潮堤の高さを、標高16.5 mと決めた[36]

 

北電は原発再稼働に向けて、福島原発事故を受けた複数の安全対策を実施、もしくは計画している[37]。この主な安全対策計画の中でも、大型のものである防波堤や免震重要棟までもが2015年度までに完成する予定である一方、原子炉格納容器からベントを迫られても放射性物質の放出を最小限にするフィルター[38]の設置については「検討中」である[37]

政治面[編集]

また事故後に再稼働する原発が2012年5月現在ないため、3号機の定期検査での停止により、稼働中の国内の原発はゼロとなるが、北海道電力はストレステスト提出済みの同原発1,2号機のできるだけ早い再稼働を望んでいて、道議会への働きかけを強めている[39]。2011年夏の原子力関連のシンポジウムでのやらせ疑惑では、佐藤佳孝社長(当時)が道議会からの参考人招致を当初拒否したため、関係に亀裂が入った。しかし、2012年3月末に川合克彦社長が後任につくと、北海道電力の姿勢が変化し、社長が自民党有力議員に説明して回るようになったと、道議は説明している[39]。道は、原子力規制庁設置法案関連の成立が6月の通常国会会期末まで遅れた場合、7 - 8月に規制庁が結論を出し、8 - 9月に政府が再稼働判断を行い、それと並行して周辺自治体の意見を踏まえ、道が道議会に一定の方向性を提示し、9月の第3回定例道議会で道議会としての地元同意をとりつけるというシナリオを想定し、再稼働を進めようとしている[39]

(中略)

関連項目[編集]

以下、省略。