96歳で逝去 追悼・森英恵さん「新時代の女子高生との集合写真」

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96歳で逝去 追悼・森英恵さん「新時代の女子高生との集合写真」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

 

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88年7月、東京・青山で開かれた「ハナエ・モリ・スクールジェンヌ」の発表会

 

世界的なファッションデザイナーが亡くなった。 

 

8月11日に老衰のため96歳で逝去したのは、文化勲章受章者の森英恵さんだ。

 

「HANAE MORI」のブランドは海外でも広く知られ、世界中に信奉者は多い。

 

モデルの森泉や森星は孫。すでに近親者で葬儀を済ませているという。

 

  【画像】追悼・森英恵さん 森泉とイベント&女子高生との「集合」写真 

 

「森さんは、1926年1月に島根県鹿足郡(現・吉賀町)で生まれました。東京女子大を卒業後、勤労動員の工場で知り合った元陸軍少佐・森賢さんと結婚します。

 

賢さんの実家の繊維会社で働きながら洋裁を学び、51年に都内に洋裁店を開きました。 

 

世界的なファッションデザイナーになるキッカケは、61年の米国ニューヨークへの渡航です。

 

日本製の服は安物の象徴で『1ドルブラウス』と呼ばれ、貧しかった日本人への偏見も多かった。森さんは『日本のイメージを向上させよう』と決意します。

 

65年には『ニューヨーク・コレクション』に初参加。蝶をモチーフにしたドレスが好評で、

 

森さんは『マダム・バタフライ』と呼ばれ一躍注目されました」(ファッション誌編集者) 

 

◆雅子さまの礼装も その後、森さんは歌手の美空ひばりのコンサート衣装や

 

バルセロナ五輪(92年)の日本選手団のユニフォーム、

 

皇太子妃雅子さま(当時)の礼装などを手掛けファッションのトップデザイナーとして地位を確立する。 

 

森さんがデザインしたのは、有名人のファッションばかりではない。『FRIDAY』は88年7月に、新時代へ向けた女子高生の制服発表会の様子を撮影している。 

 

「『ハナエ・モリ・スクールジェンヌ』というプロジェクトです。

 

それまでの女子高生の制服は、大半がセーラー服だった。

 

森さんはブレザーや蝶ネクタイなど、当時としては斬新なデザインを取り入れたんです(1枚目の写真)。

 

森さんのモチーフは、少女たちから絶賛されました」(教育関係者) 

 

地元・島根国際短期大学の客員教授に就任。

 

彫刻の森美術館や美ヶ原高原美術館などの館長も歴任し「美」の普及に努めた。

 

 時代を築いた偉大なるファッションデザイナーの訃報に、世界中から哀悼の声が届いている。

 

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私のコメント :  令和4年12月4日、世界的なファッションデザイナー森英恵様がお亡くなり、その菩提を弔いに、島根県 名刹寺院 参拝する。そのおり、今迄の 幼少時における 私と世界的なファッションデザイナー森英恵様との関係 説明を申し上げ、お亡くなりになられた 森英恵様における、そのお弔いの程、島根県 名刹寺院 高僧のもとにゆだねた。
 
来年1月に催される 島根県 益田市 島根県立美術館 追悼 森英恵 講演会 等の催し、イベント、島根県 吉賀町、津和野町、益田市 にお住まいになられている 名刹 寺院 檀信徒 皆様方から、そのご協力の程もお願いを申し上げた。