東大がリーグ史上4度目の毎回得点許し大敗 松岡泰希主将「あんなゲームをして申し訳ない」

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東大がリーグ史上4度目の毎回得点許し大敗 松岡泰希主将「あんなゲームをして申し訳ない」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

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東大対慶大 1回裏に5失点し渋い表情でベンチに戻る東大先発の井沢(撮影・野上伸悟)

 

<東京6大学野球:慶大20-2東大>◇第2週残り試合◇4日◇神宮  東大がリーグ史上4度目となる毎回得点を許して大敗した。  

今季唯一の勝利を挙げている慶大相手に初勝ち点を目指したはずが、長短24安打を浴び、20点を失った。  

エース井沢駿介投手(4年=札幌南)が1回2死後、四球、死球と続けた後に4連打され、なおも2つの押し出し四球を与えて5失点。

立ち上がりから一方的に試合を進められ、攻撃陣も終盤に2点を奪うのがやっとだった。  

松岡泰希主将(4年=東京都市大付)は「(初勝ち点を)期待していただいたと思うんで、初回からあんなゲームをして申し訳ない」と振り返った。

勝負どころの試合で、逆にもろさを露呈してしまう展開が続く。

同主将は「勝ちたいなら、やることをしっかりやる。それができるかどうか」と厳しい口調で話した。

 

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私のコメント :  令和4年10月4日、全国瞬時警報システム(Jアラート)でミサイル発射情報を伝えた自治体のうち、北海道、青森県の4市町では、その防災行政無線などを通じた住民への情報伝達に支障が生じている。
令和4年10月4日、山口県 山口市 山口県 議会事務局 議事調査課 記事記録係 益本悟史 主査兼係長より、私の許に、その一連における 連絡が入る。
令和4年10月4日、山口県 山口市 こども未来部 保育幼稚園課 施設担当 下野勝也主査と私は、山口市 保育幼稚園課にて、面談した後、山口市にある 山口県 議会事務局まで行き、山口県 議会事務局 議事調査課 記事記録係 益本悟史 主査兼係長との間にて、内閣官房地域活性化統合事務局長も勤められた 前山口県知事 山本繁太郎様と私が、面談してる内容も踏まえ、今迄の経過における、その説明も入れ、この度の安倍晋三元首相 山口県民葬 における 山口県議会の審議内容にも、その内容が かかり、よって、山口県議会議長 宛て 私からの公文書開示請求書の内容にかかり、その具体的な内容について、面談をした。
令和4年10月3日、山口県 山口市 山口県庁に行く。そのおり、山口県 こども政策課 職員と私は、面談する。山口県 学事文書課 河村栄子主幹と面談する。

山口県 総務部 学事文書課 情報公開・文書班 による 対応より、下記の対応ともなっている。

 

私のコメント : 令和4年10月3日、山口県知事 村岡嗣政様から、私が、その開示を受けている 令4ごとも政策 第571号 令和4年9月28日 公文書開示決定書をもとにして、山口県 こども政策課 課長 配下の、山口県 こども政策課 職員と私は、当該 公文書における その不明な箇所にかかり、対談する。

 

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 令和4年10月2日、中国電力が2023年3月期の配当予想をゼロにした影響で、第2位の大株主である山口県は30日、22年度の当初予算で約17億円を見込んでいた配当が約5億円に減ると明らかにした。無配は1951年の会社設立以来、初めてとなる。

令和4年9月29日、安倍晋三元首相 国葬儀、山口県知事、山口県 学事文書課 河村栄子主幹から 記 内容に関する、連絡が入り、統一教会 問題 合同電話相談窓口のもとに、安倍晋三元首相、山口県知事、山口市長による統一教会被害者問題 の一連の内容における、その相談を入れて、その助言を得た。
 令和4年9月26日、日本国内では、静岡県内各地で相次いだ土砂崩れや浸水被害の深刻さが浮き彫りとなってきている。大規模な断水が長期化する恐れがある静岡市清水区では、市民生活に影響が出ている。
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令和4年9月26日、山口県 萩市役所にて、萩市 教育委員会 教育政策課 行政係、並び、萩市 文化財保護課 職員と私は、財務省、財務大臣、財務大臣 秘書官、及び、関東財務局、中国財務局 職員と私との間には、その一連における、その対応もあるため、よって、その資料をもとに、萩市 中央公園にある 山県有朋騎馬像 等に関する、面談を行った。
令和4年9月26日、山口県 萩市 松陰神社を参拝し、神事、祭祀を仰ぐ。
 
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中国電力の無配当予想、第2大株主の山口県を直撃 配当見込み17億円が5億円に

9/30(金) 19:33 中國新聞 配信より

中国電力の無配当予想、第2大株主の山口県を直撃 配当見込み17億円が5億円に(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/1b269371336e74dbd40dc135120ffb6631ece468

山口県庁

中国電力が2023年3月期の配当予想をゼロにした影響で、第2位の大株主である山口県は30日、22年度の当初予算で約17億円を見込んでいた配当が約5億円に減ると明らかにした。

県議会の一般質問で、総務部の内海隆明部長が答えた。

中国電力の連結純損益の推移と見通し  

県財政課によると、配当金は一般財源に充てている。

これまでの実績から17億円を見込んでいた。

配当の時期と予算に組み込む時期がずれるため、5億円だけ入る。

23年度の予算にも響く可能性がある。

同課は直ちに県の事業への影響はないとしている。  

県は中電株を約3400万株保有している。

中電によると、発行済み株式の9・4%に上り、日本マスタートラスト信託銀行(14・4%)に次ぐ。  

中電は9月13日、23年3月期の連結純損益が過去最大の1390億円の赤字になるとの見通しを発表した。

背景には、ロシアのウクライナ侵攻や円安による燃料価格の高騰がある。

無配は1951年の会社設立以来、初めてとなる。

中国新聞社


最終更新:9/30(金) 19:33 中国新聞デジタル

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[慶應義塾豆百科] No.80 『福澤諭吉傳』の復刊

https://www.keio.ac.jp/ja/about/history/encyclopedia/80.html

石河幹明著『福澤諭吉傳』が復刊されたのは昭和56年(1981)9月のことであった。昭和7年の刊行から数えて、すでに50年の歳月を重ねている。しかも菊判全4巻3500頁に及ぶこの大著を復刊することは、採算面からみれば決して引き合う仕事ではない。にも拘わらず版元の岩波書店が敢えてその復刊を企図したのは、「福澤先生の経歴・言行の客観的叙述を旨とし、多数の今日までに失われた史料類を含む豊富な原史料とあいまって、文献的価値について高い評価を受けている」(「復刊のことば」)からにほかならない。

著者石河幹明が、義塾評議員会の議を経て、いわば公伝とも称すべき福澤諭吉傳編纂の委嘱を受けたのは、大正12年(1923)6月のことであった。当初編纂の期間を3か年としていたが、先生の死後20数年を経過した時点での伝記編纂だけに、散逸した資料の蒐集や、たまたま起こった関東大震災による障碍など、編纂上の困難は一通りではなく、若き日の富田正文を唯一の助手として、昭和6年3月の脱稿まで、実に7年有余の日時を費やしての完成であった。

元来、石河は水戸藩士の子として安政6年(1859)に生まれ、水戸師範を卒業、同校の教員として2年ばかり教鞭をとった後、明治14年慶應義塾に学び、18年本科卒業、直ちに『時事新報』に入社、最初外国電報、外国新聞の翻訳を担当、次いで論説の筆をとり、平明暢達の文章は、師福澤の衣鉢を継ぐものといわれ、殊に先生が明治31年9月、第1回目の脳出血症の発作に見舞われた以後の『時事新報』社説は、殆ど石河の筆になるものであった。そして34年2月、福澤先生の逝去に伴い同紙の主筆に就任、編集論説面での責任を一身に担い、大正11年その職を辞するまで、先生なきあとの『時事新報』をして「日本一の時事新報」との世評を定着せしめたその功績の多くは、石河の力によるものであった。

従って『福澤諭吉傳』全4巻は正に最適の人によって書かれた公伝といってよい。しかも小泉信三が嘗て指摘したように、「世間によく見る抒情的礼賛的伝記」ではなく、「氏の現実の筆は飽くまで冷静厳正で、絶えて憶測論評に耽けることをせず」「何処までも事実を事実として語らしめるという態度をもって一貫している」(『師・友・書籍』岩波書店刊)ことが、本書への高い評価を今も失わしめない所以であろう。

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『成瀬仁蔵著作集』の事項索引について (真橋美智子)

https://lib.jwu.ac.jp/lib/kanpo99-4.html

『成瀬仁蔵著作集』全三巻は,1974年から1981年にかけて刊行された。著作集には成瀬仁蔵先生の著書, 論文,講演,その他の著作のほとんどが年代順に収録された。その結果,第一巻が674頁,第二巻が1216頁, 第三巻1113頁と大部な著作集となった。当初より著作集には索引を附すことが予定されていたが,各巻ともに 大部になったこと,刊行に予想以上に年数がかかったことで別冊にする方向で著作集のみが先に出版されたが,索引は刊行されないまま10年余が過ぎてしまった。

その後,著作集の編集にかかわった女子教育研究所が閉所されることが決まり,とにかく閉所までに索引をまとめることになった。まず,人名索引を未定稿ながら1993年6月に印刷に付し,引き続き本学学生・卒業生の協力も得て,1995年2月に事項索引が刊行された。

『成瀬仁蔵著作集』事項索引は各巻ごとの索引となった。著作が1881(明冶14)年から1919(大正8)年までと長期にわたっており,各巻ごとに重要と思われる事項が少しずつ異なったためである。何度も検討を重ね,第一巻では140の事項(小項目を除く),第二巻では284の事項,第三巻では293の事項を取り上げた。

第一巻には成瀬先生が日本女子大学校を創立されるまでの著作,『婦女子の職務』や『女子教育』などが収録されている。一巻では当然のことながら女子教育・高等女子教育関連事項が多いが,男子教育や男女混合教育、欧米の女子教育などにも言及されており,広い視野で女子の教育が検討されたことが事項からもうかがえる。 また体操・体育およびその関連事項の多さが注目される。例えば瑞典・独逸・英国・米国・デルサート式の体操や治療体操なども取り上げられており,女子の身体の健康・発達を重視された成瀬先生の体育への関心の強さ,広さ,女子教育への導入の強い意志がうかがえる。その他に家庭教育や社会教育さらには国民・社会・智識・家庭などの項目も多い。

第二巻には日本女子大学校創立から明冶44年度までの著作,『進歩と教育』などが収録されている。女子教育,女子高等教育,女子大学(校)関係以外で頻度が多い項目は,世界・国家・国民や精神・思想・宗教・理想・生 命,品性・人格・生涯,知(智)識・研究・進歩・発達などである。一方,第一回生の卒業と同時に組織された桜楓会についての記述や日本女子大学教育の一つの重要な柱でもあった寮教育に関連して,寮(舎・生)・寮監などの記述も多くみられる。さらに,今日盛んになった生涯教育の考え方を成瀬先生は早い時期から示されているが,二巻では「大学拡張」についても度々論じられている。

第三巻には明治45年から大正8年,先生が亡くなるまでの著作,『新時代の教育』や『新婦人訓』『女子教育改善意見』などが収録されている。三巻で頻度がずば抜けて多い項目は人格・精神で,以下,国家・宗教・思想・ 意志・国民・理想・研究・進歩・生命・文明・信念・個人・自己・発達の順に多い。一方,数はそれ程多くないが, 先生の帰一思想を知る手掛かりともなる帰一.帰一協会に関する事項もみられる。

以上のように,全巻を通じて女子教育関係の項目は勿論であるが,国民・知(智)識などが多いという共通点はあるものの,第一巻は他の二巻に比べて独自性がみられる。二巻と三巻では,国家や研究・進歩・発達,人格などの他に,精神・宗教・思想・生命といった人間の内奥に踏込んだ項目の多さで共通点がみられる一方で,二巻では 「精神」がずぱ抜けて多く,世界・生涯・品性なども多く,三巻では「人格」が最も多く,信念・自己・個人も多いなど,それぞれ特徴がある。

本事項索引では,頻度の非常に多い事項もあり,項目抽出の困難さ,索引項目のもつ限界を認識させられた。しかしながら,成瀬先生の思想,宗教,教育,社会的活動などを知る上で著作集が最も重要な資料である。著作集がより多くの方々に繙かれるためにも本事項索引が手引きとなり,生かされることを期待している。 (教育学科助教授)