山口県情報公開審査会答申一覧
ページ番号:0012065 更新日:2022年3月24日更新
山口県情報公開審査会答申一覧 - 山口県ホームページ (yamaguchi.lg.jp)
印刷ページ表示
山口県情報公開条例による開示請求に対して実施機関(知事、教育委員会等)が行った決定に不服があるときは、行政不服審査法に基づく不服申立てをすることができます。
山口県情報公開審査会は、学識経験者5名からなる県の附属機関であり、実施機関からの諮問を受けて不服申立てについての審議・答申を行い、実施機関はその答申を尊重して不服申立てに対する決定等を行います。
不服申立てに関するお問い合わせについては、山口県総務部学事文書課にご連絡ください。
山口県情報公開審査会の情報公開に関する答申事案は、以下のとおりです。
答申番号(答申日) |
答申事案 |
実施機関(諮問日) |
ファイル(サイズ)
|
---|---|---|---|
第1号(H11年7月21日) |
「宗教法人○○○○○○に係る規則変更認証申請書の一部(平成3年及び平成6年申請中の議事録)」の部分開示回答に対する不服の申出 |
知事(H10年10月23日) |
toshin01(PDF:17KB) |
(中略)
第81号(R3年12月27日)「○○○○○の複写古文書」に係る非開示決定に対する審査請求 知事(R元年9月19日) toshin81 (PDF:211KB)
第82号(R4年2月18日)「平成25年4月1日から平成30年8月14日までに○○○○○○○が実施機関に提出した「○○○○○○○○○○の医薬品製造業の変更届及びその添付書類」」に係る公文書部分開示決定に対する審査請求
第83号(R4年1月21日) 山口県の情報公開制度のあり方について 知事(R3年12月20日) toshin83 (PDF:104KB)
【本件お問い合わせ先・連絡先】
山口県総務部学事文書課情報公開・文書班
《Tel》 083-933-2576
《Fax》 083-933-2137
《E-mail》a10400@pref.yamaguchi.lg.jp
このページに関するお問い合わせ先
学事文書課情報公開・文書班
〒753-8501山口県山口市滝町1番1号
Tel:083-933-2576 Fax:083-933-2137
メールでのお問い合わせはこちら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記 山口県 総務部 学事文書課 情報公開・文書班 による 対応より、下記の対応ともなっている。
中国電力の無配当予想、第2大株主の山口県を直撃 配当見込み17億円が5億円に
9/30(金) 19:33 中國新聞 配信より
中国電力の無配当予想、第2大株主の山口県を直撃 配当見込み17億円が5億円に(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
https:/
山口県庁
中国電力が2023年3月期の配当予想をゼロにした影響で、第2位の大株主である山口県は30日、22年度の当初予算で約17億円を見込んでいた配当が約5億円に減ると明らかにした。
県議会の一般質問で、総務部の内海隆明部長が答えた。
中国電力の連結純損益の推移と見通し
県財政課によると、配当金は一般財源に充てている。
これまでの実績から17億円を見込んでいた。
配当の時期と予算に組み込む時期がずれるため、5億円だけ入る。
23年度の予算にも響く可能性がある。
同課は直ちに県の事業への影響はないとしている。
県は中電株を約3400万株保有している。
中電によると、発行済み株式の9・4%に上り、日本マスタートラスト信託銀行(14・4%)に次ぐ。
中電は9月13日、23年3月期の連結純損益が過去最大の1390億円の赤字になるとの見通しを発表した。
背景には、ロシアのウクライナ侵攻や円安による燃料価格の高騰がある。
無配は1951年の会社設立以来、初めてとなる。
中国新聞社
【関連記事】
中国電力、規制料金含む本格値上げ検討 1390億円赤字「企業努力の限界大きく超えている」
山口県「住みここち」、県庁所在地の山口市は5位、1位の街は?
最終更新:9/30(金) 19:33 中国新聞デジタル
[
同じ記事を見つけてみよう
#経済安全保障
#事案の解明
#統一教会被害者問題
#山口県こども政策課
#山口県学事文書課
#福澤諭吉傳
#成瀬仁蔵著作集
#細田博之衆議院議長
#中国電力株式配当問題
#プラザ合意後の対応
同じ記事を見つけてみよう
#萩市農業委員会
#事案の概要
#統一教会被害者問題
#萩市農政課
#萩市文化財保護課
#事案の解明
#経済安全保障
#行政における復旧作業
#山口県議会議員選挙
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[慶應義塾豆百科] No.80 『福澤諭吉傳』の復刊
https:/
石河幹明著『福澤諭吉傳』が復刊されたのは昭和56年(1981)9月のことであった。昭和7年の刊行から数えて、すでに50年の歳月を重ねている。しかも菊判全4巻3500頁に及ぶこの大著を復刊することは、採算面からみれば決して引き合う仕事ではない。にも拘わらず版元の岩波書店が敢えてその復刊を企図したのは、「福澤先生の経歴・言行の客観的叙述を旨とし、多数の今日までに失われた史料類を含む豊富な原史料とあいまって、文献的価値について高い評価を受けている」(「復刊のことば」)からにほかならない。
著者石河幹明が、義塾評議員会の議を経て、いわば公伝とも称すべき福澤諭吉傳編纂の委嘱を受けたのは、大正12年(1923)6月のことであった。当初編纂の期間を3か年としていたが、先生の死後20数年を経過した時点での伝記編纂だけに、散逸した資料の蒐集や、たまたま起こった関東大震災による障碍など、編纂上の困難は一通りではなく、若き日の富田正文を唯一の助手として、昭和6年3月の脱稿まで、実に7年有余の日時を費やしての完成であった。
元来、石河は水戸藩士の子として安政6年(1859)に生まれ、水戸師範を卒業、同校の教員として2年ばかり教鞭をとった後、明治14年慶應義塾に学び、18年本科卒業、直ちに『時事新報』に入社、最初外国電報、外国新聞の翻訳を担当、次いで論説の筆をとり、平明暢達の文章は、師福澤の衣鉢を継ぐものといわれ、殊に先生が明治31年9月、第1回目の脳出血症の発作に見舞われた以後の『時事新報』社説は、殆ど石河の筆になるものであった。そして34年2月、福澤先生の逝去に伴い同紙の主筆に就任、編集論説面での責任を一身に担い、大正11年その職を辞するまで、先生なきあとの『時事新報』をして「日本一の時事新報」との世評を定着せしめたその功績の多くは、石河の力によるものであった。
従って『福澤諭吉傳』全4巻は正に最適の人によって書かれた公伝といってよい。しかも小泉信三が嘗て指摘したように、「世間によく見る抒情的礼賛的伝記」ではなく、「氏の現実の筆は飽くまで冷静厳正で、絶えて憶測論評に耽けることをせず」「何処までも事実を事実として語らしめるという態度をもって一貫している」(『師・友・書籍』岩波書店刊)ことが、本書への高い評価を今も失わしめない所以であろう。
前の項目次の項目
五十音順で探す
あ行か行さ行た行な行は行ま行や行ら行わ行
カテゴリで探す
刊行物建造物・芸術作品等言葉医学歴史(起源・おこり)制度・慣習・行事その他
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『成瀬仁蔵著作集』の事項索引について (真橋美智子)
https:/
『成瀬仁蔵著作集』全三巻は,1974年から1981年にかけて刊行された。著作集には成瀬仁蔵先生の著書, 論文,講演,その他の著作のほとんどが年代順に収録された。その結果,第一巻が674頁,第二巻が1216頁, 第三巻1113頁と大部な著作集となった。当初より著作集には索引を附すことが予定されていたが,各巻ともに 大部になったこと,刊行に予想以上に年数がかかったことで別冊にする方向で著作集のみが先に出版されたが,索引は刊行されないまま10年余が過ぎてしまった。
その後,著作集の編集にかかわった女子教育研究所が閉所されることが決まり,とにかく閉所までに索引をまとめることになった。まず,人名索引を未定稿ながら1993年6月に印刷に付し,引き続き本学学生・卒業生の協力も得て,1995年2月に事項索引が刊行された。
『成瀬仁蔵著作集』事項索引は各巻ごとの索引となった。著作が1881(明冶14)年から1919(大正8)年までと長期にわたっており,各巻ごとに重要と思われる事項が少しずつ異なったためである。何度も検討を重ね,第一巻では140の事項(小項目を除く),第二巻では284の事項,第三巻では293の事項を取り上げた。
第一巻には成瀬先生が日本女子大学校を創立されるまでの著作,『婦女子の職務』や『女子教育』などが収録されている。一巻では当然のことながら女子教育・高等女子教育関連事項が多いが,男子教育や男女混合教育、欧米の女子教育などにも言及されており,広い視野で女子の教育が検討されたことが事項からもうかがえる。 また体操・体育およびその関連事項の多さが注目される。例えば瑞典・独逸・英国・米国・デルサート式の体操や治療体操なども取り上げられており,女子の身体の健康・発達を重視された成瀬先生の体育への関心の強さ,広さ,女子教育への導入の強い意志がうかがえる。その他に家庭教育や社会教育さらには国民・社会・智識・家庭などの項目も多い。
第二巻には日本女子大学校創立から明冶44年度までの著作,『進歩と教育』などが収録されている。女子教育,女子高等教育,女子大学(校)関係以外で頻度が多い項目は,世界・国家・国民や精神・思想・宗教・理想・生 命,品性・人格・生涯,知(智)識・研究・進歩・発達などである。一方,第一回生の卒業と同時に組織された桜楓会についての記述や日本女子大学教育の一つの重要な柱でもあった寮教育に関連して,寮(舎・生)・寮監などの記述も多くみられる。さらに,今日盛んになった生涯教育の考え方を成瀬先生は早い時期から示されているが,二巻では「大学拡張」についても度々論じられている。
第三巻には明治45年から大正8年,先生が亡くなるまでの著作,『新時代の教育』や『新婦人訓』『女子教育改善意見』などが収録されている。三巻で頻度がずば抜けて多い項目は人格・精神で,以下,国家・宗教・思想・ 意志・国民・理想・研究・進歩・生命・文明・信念・個人・自己・発達の順に多い。一方,数はそれ程多くないが, 先生の帰一思想を知る手掛かりともなる帰一.帰一協会に関する事項もみられる。
以上のように,全巻を通じて女子教育関係の項目は勿論であるが,国民・知(智)識などが多いという共通点はあるものの,第一巻は他の二巻に比べて独自性がみられる。二巻と三巻では,国家や研究・進歩・発達,人格などの他に,精神・宗教・思想・生命といった人間の内奥に踏込んだ項目の多さで共通点がみられる一方で,二巻では 「精神」がずぱ抜けて多く,世界・生涯・品性なども多く,三巻では「人格」が最も多く,信念・自己・個人も多いなど,それぞれ特徴がある。
本事項索引では,頻度の非常に多い事項もあり,項目抽出の困難さ,索引項目のもつ限界を認識させられた。しかしながら,成瀬先生の思想,宗教,教育,社会的活動などを知る上で著作集が最も重要な資料である。著作集がより多くの方々に繙かれるためにも本事項索引が手引きとなり,生かされることを期待している。 (教育学科助教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
成瀬記念館「創立120周年記念 女子総合大学へのあゆみ 〈同時開催〉社会福祉学科100周年記念展」 展示資料
2021年11月24日から2022年3月4日まで、成瀬記念館において、「日本女子大学創立120周年記念 女子総合大学へのあゆみ展 社会福祉学科100周年記念展」が開催されました。
同時開催の社会福祉学科100周年記念展では、過去の貴重な資料とともに、みどり会の活動もパネルで紹介されました。
日本女子大学のウェブサイト内[成瀬記念館]、2022年の記事でご覧になれる内容をこちらにも掲載しました。
みどり会サイト「お知らせ」(2022-03-01)では、展示室の様子を写真でお伝えしています。
なお、成瀬記念館の「デジタルアーカイブ」のページでは、成瀬仁蔵著作集や学園史に関する書籍をPDFで、画像や写真での貴重な資料を閲覧できます。ぜひ、ウェブサイトをたずねてみてください。
~・~・~・~ 成瀬記念館からのお知らせ 2021.11.29 社会福祉学科100周年記念展 ~・~・~・~
人間社会学部社会福祉学科の前身である社会事業学部は、今から100年前の1921(大正10)年9月に開設されました。
当時の日本では、社会福祉事業に対する意識が高まり、内務省により各地で社会事業に関する講習会が開催されるなど、専門的な知識を有する人材の養成が求められていました。第2代校長 麻生正蔵による社会事業学部の実現は、早くから社会事業教育に関心を持ち、学部開設を望んでいた本学創立者 成瀬仁蔵の遺志を引き継ぐとともに、そうした時代の要請に応えたものであったといえます。
しかし、社会事業学部は社会主義運動の取り締まりなど時勢の影響を受け、1933(昭和8)年にはやむなく学部の名称を変更、その後も戦争の拡大により苦難の道をたどることになります。また、戦後には学生運動の渦に巻き込まれるなど、常に社会の動きに敏感であった社会事業学部は、誕生から6度の名称変更を経て現在の人間社会学部社会福祉学科へと至りました。
本展では、2021年度博物館実習生6名が作成した解説パネルを中心に、社会事業学部の歴史をご紹介します
以下の内容については、それを省略しています。