「小室眞子さん」に少しずつ生じつつあるという「圭さん」への不信感
9/5(月) 6:00 デイリー新潮 配信より

https://news.yahoo.co.jp/articles/09b42a106ffecb8995813edbfe120bc6c3bace7b?page=2

デイリー新潮
思い描いていた生活と現実との違い
3度目の試験での吉報を待つ2人

 小室圭さん(30)が米ニューヨーク州弁護士資格試験を受験してからおよそ1か月が経過した。眞子さん(30)と共に吉報を待つ身だが、そんな夫妻にすきま風が吹き始めたのでは、という指摘が聞こえてきた。

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「眞子さんは圭さんのことを信じて交際を貫き、結婚し、ニューヨークへ渡っておよそ1年が経過しました。今もその気持ちに変わりはなく、関係がギクシャクしているということではないのですが、どうも2人の間にこれまでとは違う空気が流れているようなのです」

 と、担当記者。

「ひとことで表現するのは難しいですが、思い描いていた生活と現実との違いに眞子さんが戸惑い始めているとでも言いましょうか。ここまでの流れをざっと振り返っておくと、圭さんがニューヨークに留学した後にコロナ禍があって、2人は“会いたいのに会えない”時期が続きました。ようやく会えたのは結婚直前というのは、皇族の結婚でなくても異例のものだったと思います」(同)

 2人の結婚をめぐっては、国民が祝福する環境にあるとは言えないと秋篠宮さまが言及したように反対の声が大きかった。

困ったこと
「ただ、佳子さまが眞子さんの交際・結婚のサポーターになっていたこともあって、“世間には2人の結婚に反対する声は大きいかもしれないが、それは実状を知らない人たちの偏った見方だ”という信念を眞子さんは曲げることはなかったといいます」(同)

 皇族でいることの息苦しさや一挙手一投足が注目され続ける日々に半ば疲れていた眞子さんは、できるだけ早く日本を離れ自由を謳歌したいと願っていたという。

「ニューヨークは憧れの場所で、夢の1つが叶ったと喜んでいたのですが、困ったこともありました」(同)

 圭さんの司法試験だ。

「結婚前に圭さんが宮内庁側に説明したのは、“試験には合格確実だ”ということでした。同様に秋篠宮さまや眞子さんにもそのことが伝えられており、合格して生活の基盤が安定するはずでしたが……」(同)

 それが1度ならず2度までも裏切られることになったのは周知の通りだ。

「眞子さんとしては平穏な日々を望んでいたのに、不合格が続くことによって、報じられる機会も増えて行きました。合格間違いなしと聞いていたはずなのに、それが果たされていない現状に不信感とは言わないまでも疑問符のようなものがつきまとっているのは事実のようです」(同)

ピュアな性格が影響して
 2人がニューヨークで生活していくにあたって法曹資格が必須であるわけではないが、信じていた未来がぐらつきつつあることに違和感を抱いているということなのだろうか。

「加えて、秋篠宮さまとの約束事として、試験に合格するまでは“新しい家族”のことは考えないようにしようということになっているようです。眞子さんは可能なら“子供は3人くらい欲しい”という思いがあるようで、その意味では焦る気持ちもないわけではないでしょう」(同)

 眞子さんに会った人の多くは、彼女について「ピュアな方」と口をそろえて評するという。

「ピュアとひと口に言っても色んな捉え方があって、純真だというポジティブな見方から世間を知らないといった悪い方の意味まで、さまざまあるようです。圭さんとの結婚についてその悪い部分が出てしまったのではないかという指摘も少なからずあります」(同)

 圭さんは仮に3度目の試験に落ちたとしても、渡米前に勤務していた弁護士事務所で再び働けばよいとの考えがある――とも報じられた。もちろんそれも立派な仕事なのだが、当初の計画とは異なるのも事実。もしかしたらそういった点も、2人の間にすきま風を吹かせている一因なのかもしれない。

デイリー新潮編集部

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最終更新:9/5(月) 10:59 デイリー新潮

私のコメント : 令和4年9月5日、小室圭さんが弁護士資格試験を受験してからおよそ1か月が経過した。眞子さんと共に吉報を待つ身だが、そんな夫妻にすきま風が吹き始めたのでは、という指摘が聞こえてきた。

令和4年9月5日、東京都 井の頭公園 井の頭自然文化圏 彫刻園 学芸員からの、その 一連における 書面による、説明文 を 私は、査収した。

令和4年9月5日、山口県 総務部 学事文書課 情報公開・文書班 石井由佳主査より、私の許に、連絡が入り 対談する。

令和4年9月5日、ミハイル・ゴルバチョフ元大統領と 当時の安倍晋太郎代議士、並び、当時の山口県立山口高等学校 安倍晋太郎 同窓会長との各対応が、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局のもとにあるため、私は、山口市 山口県立山口高等学校 同窓会事務局に行き、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局 古谷くるみ書記と面談し、冷戦時代の 山口中学校卒 ノーベル平和賞 受賞 政治家 佐藤栄作先生からも、その一連の経緯があり、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局に、その報告を入れている一連の経緯から、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局 古谷くるみ書記 と 私は、令和4年9月5日、山口県 総務部 学事文書課 情報公開・文書班 石井由佳主査より、私の許へ、連絡が入り 対談している内容 及び、令和4年9月5日、東京都 井の頭公園 井の頭自然文化圏 彫刻園 学芸員からの、説明における、その説明文も 査収しているため、その対談を行った。

令和4年9月4日、秋篠宮ご夫妻は、沖縄本土復帰50周年記念で公演された人間国宝による沖縄伝統の琉球舞踊を鑑賞されました。紀子さまは、大学時代に琉球舞踊に関心を持ち、琉球舞踊の踊りを習われていたということです。

令和4年9月3日、大型で強い台風11号は、9月6日に九州北部地方に最も接近する見込みです。気象台は暴風や土砂災害などに警戒するよう呼びかけています。
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令和4年9月2日、山口県 柳井市 山口県立柳井商工高等学校 城浩敏校長と私は、下記における、そ一連の経緯もあり、対談した。
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令和4年9月1日、「古都税反対運動の軌跡と展望 : 政治と宗教の間で · 著者 京都仏教会編 」を読み、山口県 山口市役所に行き、山口市 総務部 本庁舎整備室主幹と私は、面談する、
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令和4年8月31日、冷戦を終わらせたソ連最後の指導者、ミハイル・ゴルバチョフ元大統領が、モスクワで死去されたため、山口県 山口市 山口市役所に行き、山口市役所 公文書公開担当 末次様と私は、面談した。その際の 同席者 山口市議会事務局 庶務担当 渡辺佳子主幹、山口市 収納課 井本元気 職員。
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令和4年8月31日、冷戦を終わらせた ミハイル・ゴルバチョフ元大統領と 当時の安倍晋太郎代議士、並び、当時の山口県立山口高等学校 安倍晋太郎 同窓会長との各対応が、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局のもとにあるため、私は、山口市 山口県立山口高等学校 同窓会事務局に行き、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局 古谷くるみ書記と面談し、冷戦時代の 山口中学校卒 ノーベル平和賞 受賞 政治家 佐藤栄作先生からも、その一連の経緯があり、山口県立山口高等学校 同窓会 事務局に、その報告を入れた。

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ロータリークラブ創設・実業家米山梅吉をしのぶ 長泉、講演会も
2022.4.24

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1057821.html

日本のロータリークラブ(RC)創設者で実業家の米山梅吉を顕彰する米山梅吉記念館(長泉町)は23日、春季例祭を同館で開いた。

県内外から会員約100人が集まり、梅吉の遺徳をしのんだ。

富士山と日本人をテーマに講演した遠山館長=長泉町の米山梅吉記念館

 同館の松村友吉理事長はあいさつで、コロナ禍による3年ぶりの例祭開催に触れ、「会員同士が語らい、交流を深めていきたい」と述べた。

 東京RC初の女性会員で、県富士山世界遺産センター(富士宮市)の遠山敦子館長が「富士山と日本人」をテーマにした講演も行った。

遠山館長は富士山を題材にした俳諧や小説、浮世絵など古くから親しまれてきた作品を紹介し、「日本人にとって富士山は憧れや心のよりどころの対象であり、自然観の源泉であった」と説明した。
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米山梅吉の伝記など 沼津の小中校に寄贈 長泉の記念館
14時間前

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1117876.html

長泉町の米山梅吉記念館はこのほど、日本のロータリークラブ創設者の米山梅吉(1868〜1946年)の写真集と伝記を沼津市内全41小中学校に寄贈した。

伝記や写真集を沼津市内の小中学校に寄贈した米山梅吉記念館の松村理事長(左から3人目)ら関係者=沼津市役所

幼少期に三島市に移り住んだ梅吉は、長泉町の旧家米山家の養子となった。沼津中で学び、沼津市とも縁が深い。
 
同記念館の松村友吉理事長が同市役所を訪れ、奥村篤教育長と頼重秀一市長に、「米山梅吉翁写真集」と伝記「米山梅吉ものがたり」(柴崎由紀さん著)各41冊を手渡した。

松村理事長は「『奉仕の人』として生きた米山梅吉の生涯を子どもたちに知ってほしい」と期待した。
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外務省 いわゆる 密約書 不在への問題へと関係し、防府ロータリークラブ、初代会長 牧野直隆様との間にて、今まで、私には、その対応もあり、よって、・・・・

令和2年7月20日、山口県 防府市 山口県立防府商工高等学校に行き、山口県立防府商工高等学校 藤村慎一郎校長と私は、面談した後、山口県立防府商工高等学校 応接室において、2020-21年度 防府ロータリークラブ 会長 金田練二郎様、防府ロータリークラブ 幹事 古関謙士様、国際ロータリー第2710地区 事務局 地区副代表幹事 地区事務局長 田中信治様、 と私は、面会して、下記における 記載記事における対応により、その後、発生している 山口県立防府商工高等学校 校長と私が、関与し続けている 外務省 いわゆる 密約書 不在への問題との関係があり、面会し、名刺交換を行った。
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令和2年7月17日、18日も本州の南岸に梅雨前線が停滞します。17日午後2時54分頃、熊本県で最大震度3を観測する地震が発生しています。自治体関係者 皆様からも、今後の地震情報には、お気を付け下さいませ。

令和2年7月17日、山口県 防府市 山口県立防府商工高等学校 校長先生より、私のもとへ、連絡が入り、その対応をおこなう。

令和2年7月17日、外務省 いわゆる 密約書不在の問題に関係し、島根県庁、島根県教育委員会より、私のもとへ、連絡が入り、その対応をおこなう。

令和2年7月17日、山口県 観光スポーツ文化部 交通政策課 副課長からの、新型コロナウイルスに対応する公文書開示請求の内容にかかり、私のもとへ、開示請求しているにもかかわらず、山口県 観光スポーツ文化部 交通政策課による、その公文書開示請求における開示が遅い内容に関する、連絡が入り、その対応をおこなった。

令和2年7月17日、山口県 防府市 防府市役所に行き、防府市 市政相談課 原田係長と私は、外務省 いわゆる 密約書不在の問題に 山口県 防府市 山口県立防府商工高等学校に在勤中、外務省 官房総務課からの連絡が入り、よって、私が、関係して、一連の対応が、その当時より、防府市長、防府市議会議長、防府市教育委員会のもとへ、あるため、過去、NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」放映時 防府市における、その対応 等 も 経て その後の経過もあり、私が、作成し、防府市長 池田豊様、防府市議会議長 河杉憲ニ様、防府市教育委員会 教育長 江山稔様 宛て、令和2年7月9日に、提出している 一連における、その説明書面に関しては、どのように、今後の対応 等をされていくのか、防府市 市政相談課 原田係長から、私のもとに、その連絡がないため、確認をおこなった。

令和2年7月17日、公職選挙法違反の罪で起訴された参院議員の河井案里被告の弁護人が7月17日、保釈を認めなかった東京地裁の決定を不服として特別抗告した。

#外務省いわゆる密約書不在の問題

#山口県交通政策課

#地震情報

#菊川断層帯

#下関市

#コロナウイルス感染症対策

#5G

#佐藤栄作日記

#山本繁太郎山口県知事

#下関北九州道路

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防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌より (発行日 平成19年6月30日)

1957年2月28日創立発起人会 

3月30日創立準備会 

5月14日創立総会

6月5日国際ロータリー正式加盟承認 (チャールス・G・テンネントンRI会長)

初代会長 牧野直隆  初代幹事 梶山芳四郎

牧野直隆様について、防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌に詳しく、記述できませんことを 牧野様の慶応義塾大学の後輩として、慶応義塾大学の野球関係者、及び諸先輩方に あいすまなく思っています。

その経緯 慶応義塾大学の野球関係者 及び 慶応義塾 皆様にします。

防府市内、今の勤務先 高等学校に、赴任して、当時の校長に、学校のインターアクトクラブを私に、担当させて欲しい旨を強く希望しました。しかし、当時、校長の意向もあったのかどうかわかりませんが、赴任1年目は、インターアクトクラブは、勤務先 他の教員がそれを担当し続けました。その後、赴任2年目にようやく私は、勤務先 学校のインターアクトクラブの顧問に就任しましたが、赴任2年目も防府ロータリークラブの会合には、私がその出席することについて妨げられました。赴任3年目(今から、3年前)に、私は、様々な皆様方にその呼びかけまして、ようやく防府ロータリークラブの会合に出席することができるようになりました。よって、牧野直隆様の大学後輩として牧野直隆様の存命中に会い、牧野直隆様の慶応義塾大学 六大学野球時代逸話と防府ロータリークラブ初代会長を勤められながらも、高校野球発展 等に尽くされた業績についてを防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌に、その説明が出来ていませんことお許し下さい。今、防府市内には、三つのロータリークラブがありますが、インターネット上にてその月々の活動 等について、ホームページで閲覧できるのは、今のところ、防府ロータリークラブのみです。インターアクトクラブの関係者からも、インターアクト活動をしていく上で、情報を共有する上で、防府市内 他のロータリークラブ(防府南ロータリークラブ、防府北ロータリークラブ)ホームページ開設が待たれています。

本校、インターアクトクラブは、1963年9月設立です。公立高校(都道府県立の高校)においては、全国において、永続のインターアクト活動を続け、現存している県立高校インターアクトクラブ中で、最初の設立です。インターアクトクラブが、日本で一番に設立された仙台育英高校1963年6月に遅れること、3か月です。ちなみに、北京オリンピック日本女子バレー出場選手 栗原 恵様(パイオニア所属)は、三田尻女子高等学校(現 誠英高等学校)出身です。誠英高等学校のインターアクトクラブについて、スポンサークラブは、防府南ロータリークラブです。防府南ロータリークラブの設立について、三田尻女子高等学校 校長 小沢友太郎様(防府南ロータリークラブ会長)が、尽力され、設立をされています。 全日本女子バレー監督 柳本晶一様には、契同窓会 総会においては、私の隣の席に座っていただき全日本女子バレーについてスピーチを聞かせていただきました。柳本晶一監督が、新日本製鉄に勤務されていた時代についてのお話が、私の叔父が、新日本製鉄に勤務していた時代と重なっていまして、柳本晶一監督についてのお話の趣旨を良く理解することができました。日本女子バレー出場選手 栗原 恵様を これから地元で、応援展開するには、防府南ロータリークラブのホームページ開設が待たれています。

慶應義塾創立150年式典は、平成20年11月8日(土)に開催されました。慶應義塾創立150年記念事業に、皆様、ご協力をありがとうございました。映画「ラストゲーム最後の早慶戦」は平成20年8月23日から一般公開されています。

慶應義塾大学 塾長に就任されました 清家 篤 塾長につきまして、ふり返ると、私は、1982年11月23日に、清家 篤教授を最初に、萩、山口、防府に ご案内したことについて そのお礼状を私は、清家 篤 教授より頂いておりますので、清家 篤 慶應義塾塾長とは、26年間の学識交流と付き合いなります。その間、清家 篤 教授が、カリフォルニア大学に訪問研究員として渡米中、私が、清家 篤 教授の御実家のご母堂様とお話しました、そのご丁寧な対応の内容 等、当時の事柄についても、清家 篤様が、慶應義塾 塾長に就任されて、よみがえってまいります。謹んで、清家 篤 教授の慶應義塾 塾長 就任をお祝い申し上げますとともに、地元より、清家篤 慶應義塾 塾長のご活躍を深くお祈り申し上げております。

清家 篤様の父上様、清家 清様(東京目黒RC)は、世界の中で、「100人の高名なロータリアン」の一人として国際ロータリー物語「奉仕の一世紀」に記載されています。

〇 ベースボールの力 牧野 直隆 / 毎日新聞社
 

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玉野井芳郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 配信より

玉野井 芳郎
人物情報
生誕 1918年1月23日
日本の旗 日本 山口県柳井市
死没 1985年10月18日(67歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東北帝国大学法文学部(現東北大学)
学問
研究分野 経済学
研究機関 東北帝国大学(現東北大学)
東京大学
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ハーバード大学
沖縄国際大学
学位 経済学博士
称号 東京大学名誉教授
主要な作品 『マルクス経済学と近代経済学』(1966年)、『経済理論主要』(1977年)他多数
影響を
受けた人物 大河内一男
主な受賞歴 正四位
勲三等旭日中綬章
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玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - 1985年10月18日)は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学・1960年)。東京大学名誉教授。正四位、勲三等旭日中綬章。

人物[編集]
弟に発生学の専門家、千葉大学名誉教授の玉野井逸朗がいる。

経済学者大河内一男の弟子の一人。

専攻は経済理論、経済学史。後期にはエコロジーや反近代主義に関心を移し、カール・ポランニーやイヴァン・イリイチを日本に紹介した。

著作集全4巻がある。

1984年,小出昭一郎、槌田敦、河宮信郎、室田武、藤田祐幸らとエントロピー学会を設立している[1]。エントロピー読本に村上陽一郎, 武谷三男, 鶴見和子, 廣松渉, 伏見康治, 宇井純, 野坂昭如[2]らの著名人が執筆しているのは玉野井芳郎の影響力が貢献している。1985年第二回シンポジウム [3]後に亡くなり、エントロピー学会の理論的支柱の一つを失っている。

略歴[編集]
1918年1月23日 山口県柳井市生まれ
旧制柳井中学(柳井高等学校の前身)、山口高等商業学校(現山口大学経済学部)卒業
1941年12月 東北帝国大学法文学部経済科卒業
1948年8月 同大学助手、講師を経て東北大学助教授
1951年3月 東京大学教養学部助教授
1958年9月 ハーヴァード大学に留学(~1960年1月)
1960年1月 東北大学経済学博士「リカアドからマルクスへ」
1960年7月 東京大学教養学部教授
1973年9月 西ドイツボーフム大学、ケルン大学にて研究(~1974年3月)
1978年4月 東京大学定年退官、沖縄国際大学教授
1978年5月 東京大学名誉教授
1985年3月 沖縄国際大学退官、明治学院大学教授
1985年10月18日 逝去(67歳)

以下の内容は、省略しています。