ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳…「イッセイミヤケ」世界で評価

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ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳…「イッセイミヤケ」世界で評価(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

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インタビューに答えるデザイナーの三宅一生さん(東京都渋谷区で。2015年12月1日撮影)

 世界的に活躍したファッションデザイナーで文化勲章受章者の三宅一生(みやけ・いっせい、本名かずなる)さんが5日にがんで亡くなっていたことが分かった。84歳だった。

【写真特集】追悼、三宅一生さん…生涯に渡り衣服デザインの研究をつづけた軌跡を振り返る

 広島県生まれ。多摩美術大学を卒業後、渡仏し、伝統的なオートクチュール(高級注文服)の技術やデザインを学んだ。

その後、ニューヨークでも修業を積んだ。1970年に三宅デザイン事務所を設立し、翌年にブランド「イッセイミヤケ」をスタート。73年にパリコレクションに初めて参加した。

 「1枚の布」という和服などの伝統から発想した服作りで注目を集めた。

代表作の「プリーツプリーズ」は、細かいひだ飾りが全面に施されている洗練されたデザイン。

現在も世界中で支持されている。

洋服の既成概念を打ち破る斬新な作品は高く評価され、世界各地の美術館に収蔵されているほか、展覧会も開催されてきた。

何層にも折りたたまれた布の端を持ち上げると服になる新作を説明する三宅さん(東京ミッドタウンで。2010年11月15日撮影)

 99年10月に自身の名が付いたブランド「イッセイミヤケ」は、後進に引き継いだが、その後も精力的に活動を続けた。

2007年に日本初のデザインミュージアム「21_21(トゥーワン・トゥーワン)デザインサイト」を開設し、ディレクターに就任。

再生繊維を使った新しい服作りのデザインを手掛けるなど、「生涯現役」を貫いた。

 09年、核廃絶を訴えたオバマ米大統領の演説に感銘し、米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿。

それまでほとんど語ることがなかった自らの被爆体験を明かし、大統領の広島訪問を呼び掛けた。

10年に文化勲章、16年に、フランスのレジオン・ドヌール勲章のコマンドゥール(勲三等)を受章した。

同年、東京・六本木の国立新美術館で大規模な個展を開いた。

 近年は表だった活動を控えていたが、新型コロナウイルスの感染拡大後も、

傘下ブランドの新しいプロジェクトの動向を気に掛け、自宅からスタッフにアドバイスを送るなどしていた。

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第7波 災害に匹敵 病棟で集団感染 松江赤十字病院 看護師次々に陽性 人繰り困難

特集 山陰

 

第7波 災害に匹敵 病棟で集団感染 松江赤十字病院 看護師次々に陽性 人繰り困難 | 山陰中央新報デジタル (sanin-chuo.co.jp)

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病棟で業務に当たる看護師=松江市母衣町、松江赤十字病院(同病院提供)

病棟で業務に当たる看護師=松江市母衣町、松江赤十字病院(同病院提供)

 新型コロナウイルスの流行「第7波」の急拡大で医療従事者の感染が相次ぐ中、松江赤十字病院(松江市母衣町)では7月中旬、一部の病棟で患者や職員のクラスター(感染者集団)が発生した。陽性者には看護師も多く、人繰りは困難を極めた。「災害時に匹敵する」との悲鳴が上がる中、それでも懸命に患者と向き合う現場を追った。 (吉田真人)

 島根県内で1日の感染者が千人を超えた7月中旬。ある一般病棟で18日、風邪症状を訴えていた看護師らの陽性が次々に判明した。

 病棟は主に看護師42人、看護助手4人の計46人が在籍し、医師や薬剤師、リハビリを担当するスタッフらが少なくとも10人以上が出入りする。入院患者は18日時点で50人いた。

 感染がどこまで広がっているのか。絶望感にさいなまれながら、病棟関係者100人以上がPCR検査を受けた。

 その日は入院患者12人、スタッフ7人の計19人の陽性を確認。その後も増え、最終的に患者22人、スタッフ18人の計40人に達した。

▼異様な光景広がる

 スタッフの陽性者はほとんどが看護師で、在籍42人の約4割。病棟は新規入院の受け入れを停止し、入り口をブルーシートで覆う異様な光景が広がった。

 看護師の勤務は1日当たり、日勤(午前8時20分~午後4時50分)10~12人、長日勤(午前8時20分~午後8時50分)と夜勤(午後8時20分~翌日午前8時50分)各5人の計20人程度は必要。現場を管理する看護師長(55)は「代われる人がいないので勤務調整も途中からできなくなった。災害時とほとんど一緒だった」と振り返る。

 陰性だった病棟看護師も濃厚接触者に当たる。

 人員が不足するため、最終接触から5日間は勤務前にPCR検査で陰性を確認し、業務に当たった。日勤は午前6時半、夜勤は午後3時にいったん病院に出てきて検査。激務が続く日々で、負担感は増した。

 それでも人員が足りず、他の病棟の力を借りた。当初は複数の病棟から時間単位で看護師をかき集めてしのいだ。感染させてしまったら他の病棟スタッフや患者にも影響が出てしまうだけに、一同が感謝と同時に心苦しい気持ちでいっぱいだったという。

▼ゾーニングで対応

 陽性の入院患者は、コロナ患者の専用病棟には移さず、病棟内で感染者とその他の活動領域を分ける「ゾーニング」で対応。接触を減らそうと陽性患者を担当する看護師を限ったため、業務の回しが思うようにいかない。感染防止のため、一人一人の患者にかかる時間も増える。普段業者がしている清掃は現場のスタッフが担った。肉体的な疲労はもちろん、精神がすり減っていったという。

 看護師は患者のたんの吸引や入浴介助など、密接に関わる場面が多い。病気によってはマスクを着けられない患者もいる。病室の窓は安全のため数センチしか開かず、換気も難しい。

 加納さえ子看護部長(59)は「陽性者を出さないのは大前提だが、ゼロにするのは難しい」と実感を込める。

▼一般診療に影響

 院内では、集団感染の病棟以外でも散発的に陽性者が出ており、新規入院の受け入れ制限や緊急性の低い手術を延期するなど、一般診療に影響が出ている。

 病棟の集団感染は先日、収束した。一歩外に出ると、感染対策と経済活動の両立に向けて動く社会がある。看護師長は言う。「仕方ないことではあるが、どうしても社会との温度差を感じてしまう」

 

私のコメント :  令和4年8月9日、長崎に原爆が投下されて9日で77年となります。外務省 密約書 不在の問題にかかり、島根県 松江市 日本赤十字社 島根県支部 天野仁美課長と私との連絡内容があるため、その後、すでに、日本赤十字社 島根県支部のもとには、私から、連絡済みであるが、しかしながら、今もって、島根県 雲南市出身の医師、永井隆博士を紹介する雲南市の「永井隆記念館」の観光PRが、雲南市のベースだけであるため、令和4年8月9日、島根県 商工労働部 観光振興課 岩﨑絵理主任主事と 私は、その内容に関する、対談をおこない、日本赤十字社 島根県支部、並び、島根県 商工労働部 観光振興課の対応から 起因し、島根県からも、みずからも被爆しながら、負傷者の治療にあたった島根県 雲南市出身の医師、永井隆博士を紹介する 島根県庁 による その 広報 観光PR も勤めていっていただきたい旨、島根県によるPR 広報活動にかかり、 ウクライナ問題、竹島問題、北方領土問題、台湾海峡問題 等・・・島根県 商工労働部 観光振興課 岩﨑絵理主任主事と私は、対談し、今迄における、その一連の経過 島根県 商工労働部 観光振興課のもとへと、その内容を説明していく。
令和4年8月9日、東京都 井の頭公園動物園 管理担当官 より、私のもとへ、連絡が入り、対談する。
令和4年8月9日、山口県 萩市 教育政策課 職員と私は、対談する。
 

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組織票を依頼?“統一教会”と政治…前参議院議長が明かした安倍元首相の影響力 祖父・岸信介元首相との“関係”始まりは

7/31(日) 21:22 日テレNEWS 配信より

https://news.yahoo.co.jp/articles/fc5bf1ff7630948793418c39e205042d3f9e048c

日テレNEWS
次々と明らかになる、いわゆる“統一教会”と政治家との関係。今度は選挙への応援と組織票の依頼について、伊達忠一・前参議院議長が新たな証言。

さらに、安倍元首相の影響力と安倍氏の祖父である岸信介元首相と教団とのつながりなどについて取材しました。

(7月31日放送『真相報道バンキシャ!』より。詳しくは動画をご覧ください)

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安倍元首相の父は「“統一教会”の選挙ボランティアを割り振っていた」……自民関係者が回顧 「持ちつ持たれつ」の関係ナゼ?

最終更新:8/1(月) 7:56 日テレNEWS

 

私の好きな観光地 島根県

 

好きなブランド 森英恵ブランド

 

好きな音楽up竹内まりや、谷村有美、藤山一郎、長崎の鐘、選挙の区割対策・、KDDI山口衛星通信所、 山口市高齢福祉課、高齢者保健福祉調査票、檀ふみ、西城秀樹、加登田惠子、一番ヶ瀬 康子、長崎純心大学、長崎の鐘 永井 隆、山口県立大学学長、桜圃名宝、日本女子大学学長、長崎平和祈念式典、長崎平和祈念像、山県有朋像、北村西望、東京藝術大学、河内山賢祐、広島市立舟入高女の碑、伊藤博文像、朝鮮国殿下胸像、佐藤春夫胸像、井伏鱒二、黒い雨、愛と死をみつめて、愛と死のテーマ、吉永小百合、光田健輔像、「天の声―小説・貞明皇后と光田健輔」

 
 
 
 
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長崎 原爆投下から77年 「永井隆記念館」で平和の鐘鳴る

長崎 原爆投下から77年 「永井隆記念館」で平和の鐘鳴る|NHK 島根県のニュース

長崎に原爆が投下されて9日で77年です。

当時、みずからも被爆しながら、負傷者の治療にあたった雲南市出身の医師、永井隆博士を紹介する記念館では、原爆がさく裂した時刻にあわせ、平和を祈る鐘の音が鳴り響きました。

雲南市出身の永井隆博士は、長崎で医師をしていた際、原爆によって大けがを負いながら、被爆者の治療に尽力しました。

戦後は、執筆活動などを通じて、原爆の恐ろしさや平和の尊さを訴え続けましたが、昭和26年、43歳の若さで亡くなりました。

長崎に原爆が投下されて77年になる9日、雲南市の「永井隆記念館」では、原爆がさく裂した午前11時2分に合わせ、敷地内にある「平和の鐘」が鳴りました。

鐘の前では、記念館の職員たちが長崎の方角に向けて黙とうし、犠牲者への祈りをささげていました。

永井隆記念館の藤原重信館長は、「原爆で亡くなった人たちが安らかに眠り、いま起きている戦争が終結することを祈りました。早く核兵器がなくなってほしいと思います」と話していました。