佳子さま 同級生エリート歯科医との“秘められた交際”…七夕前夜に実家をお忍び訪問

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佳子さま 同級生エリート歯科医との“秘められた交際”…七夕前夜に実家をお忍び訪問(女性自身) - Yahoo!ニュース

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Aさんの両親から見送られて笑顔の佳子さま/Copyright (C) 2022 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.

東京都の北西部にある、静かな住宅街。日も落ち、人通りが少なくなった街路を、目立たないようにしながらも警戒を続けている女性の姿があった。

【写真あり】18年10月、イケメン側衛官と笑顔でコンビニから出られた佳子さま

彼女は皇宮警察の側衛官。

そして住宅街にあるデンタルクリニックの駐車場に、秋篠宮家の次女・佳子さまがおもにプライベートのお出かけで使用されている白いワンボックスカーが止まっていた。

クリニックは3階建てで、1階部分は診療スペース、2階・3階は院長一家の居住スペース。診療スペースは電気が消され、クリニックのスタッフたちも帰宅していたが、佳子さまが建物から退出される気配はなかった――。

「この数カ月、宮内庁内では佳子さまの“変化”が話題になっています」 そう語るのは、皇室ジャーナリスト。

「一時期、佳子さまのご公務数があまりに少なかったため、“高等遊民”と揶揄する記事もありました。しかし5月以降は『みどりの感謝祭』『産経児童出版文化賞贈賞式』などにご出席、また1泊2日の日程で北海道にお出かけになり『全国都市緑化祭』に出席されるなど、まるで“別人のように”精力的にご公務に励んでいらっしゃるのです。 実は宮内庁内にも、こうしたご精勤ぶりについて、“ご結婚を視野に入れた布石ではないか”という見方があり、一部週刊誌で《佳子さま 怒濤の公務ラッシュに結婚前のラストスパート説》という見出しの記事も報じられました」

そんな佳子さまの厳戒外出を本誌がキャッチしたのは7月6日のことだった。

ワンボックスカー1台のみ、警備も最小限でのお出かけで、冒頭のデンタルクリニックに到着したのは18時30分ごろ。

ちなみにクリニックは赤坂御用地にある秋篠宮ご一家の御仮寓所から、車で45分ほどの場所だ。

宮内庁関係者はこう語る。

「意外に思えるかもしれませんが、皇族方が知人の紹介などにより“町の歯科医院”に通うことも少なくありません。ただそのケースでは、医院に赴かれるのは、休診日や診療時間外で、一般の患者の目にふれないように留意します。 またコロナ禍のため、皇族方はプライベートでの外出を自粛されており、愛子さまは大学への通学も控えられているほどです。宮内庁病院には歯科もあるので緊急治療が必要であれば、そちらを利用することも可能です」

■幼なじみのAさんは成績優秀! 

有名私立大学の歯学部卒 最終的に、佳子さまが辞去されたのは21時。

診療スペースの電気が消えてから1時間ほどたったころ。建物にはクリニック用と住居用の2つの玄関があるが、佳子さまが出てこられたのは、住居用の玄関だった。

クリニックの院長夫妻に見送られながら、佳子さまは満面の笑みで、ワンボックスカーに乗り込まれた。

ご滞在時間は2時間半に及んだことになる。

取材を続けると、院長は地域ではかなり評判の高いデンタルクリニックの3代目で、2人の息子もクリニックの歯科医として名を連ねていた。

またこの一家は佳子さまだけではなく、秋篠宮ご一家ともゆかりがあることがわかった。

特徴的なのは一家4人全員が“学習院出身”ということだ。

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長崎原爆の日 核兵器の脅威高まる中”最後の被爆地に”の訴え

 核兵器禁止条約

長崎原爆の日 核兵器の脅威高まる中”最後の被爆地に”の訴え | NHK | 核兵器禁止条約

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長崎に原爆が投下されて9日で77年です。被爆地・長崎は犠牲者への祈りをささげるとともにロシアのウクライナ侵攻で核兵器の脅威が高まる今こそ、核兵器のない世界の実現と「長崎を最後の被爆地に」という願いを国内外に発信します。

長崎に原爆が投下されてから77年となる9日、長崎市の平和公園では午前10時40分から平和祈念式典が行われ、被爆者や岸田総理大臣のほか、各国の代表らが参列します。

ことしは新型コロナウイルスの影響で規模を縮小した去年とおととしの3倍以上となる、およそ1700人が参列する見通しです。

一方、安倍元総理大臣が演説中に銃で撃たれて死亡した事件を受けて、要人が集まる大型テントの中は私服の警察官に加えて制服の警察官も配置し、いわゆる「見せる警備」を重視した警備態勢が敷かれることになっています。

式典ではこの1年に亡くなった被爆者など3160人の名前が書き加えられた19万2310人の名簿が納められます。

そして、原爆がさく裂した午前11時2分に黙とうをささげます。

ことしは6月に核兵器を全面的に禁止する初めての国際条約、核兵器禁止条約の締約国会議がオーストリアで開かれ、長崎の被爆者は現地を訪れ、核軍縮の機運を高めようと悲惨な被爆体験を証言しました。

一方、ことし2月以降はウクライナに軍事侵攻したロシアが核兵器をちらつかせる威嚇を続けていて、核の脅威が高まっています。

このため長崎市の田上市長はことしの平和宣言で、核兵器の使用は現在進行形の危機だとして、今こそ核兵器のない世界を実現しようと訴えることにしています。

ことし、被爆者の平均年齢は84歳を超えました。

長崎ではことし3月、主な被爆者団体の1つが高齢化を理由に解散しました。

被爆の記憶をどのように若い世代に引き継ぎ、世界に訴え続けていくかは被爆地・長崎にとって差し迫った課題となっています。

長崎は、犠牲者への祈りをささげ「長崎を最後の被爆地に」という願いを国内外に発信します。