今年の2月、病院での検査の結果31歳にしてADHD(注意欠陥多動性障害)と診断を受けた。永らく苦しんできた、いじめられたり蔑まれたりする原因となった自分の至らなさや能力、周りの人たちを困らせてきたものが、どうやらこの生まれつきの脳ミソの障害によるものだったらしい。

 

3月20日に、2年半ほど勤めた老人ホームを退職した。正確には職場で心無いいじめにあい1月6日から退職まで適応障害を患い休職していた。わたしは理学療法士というリハビリ職として勤務し、かれこれ10年この職業で給料をもらってきたが、今回分かった自分の特性を考えた末に理学療法士をやめることとなった。理由としては看護師さんやケアマネージャー、医師や同じリハビリ職との協業・連携を求められる業務内容が、わたしの脳ミソにはレベルが高すぎたのだ。一つのことに集中すると周りが見えなくなってしまうわたしには、たくさんの人たちといくつもの事案を対応し、変化に合わせて対応しなければならないという業務内容は容量が足りなかったようだ。頑張っても頑張っても、どうにもならなかった。

 

診断結果を聴いたときは、やっぱりかと思ったけれども、やはりちょっぴり悲しかった。障害を持つ人たちを支える仕事をしてきたわたしは、この日から障碍者となったのだ。なんで自分がそうでなければならなかったのかと、さすがにその日は眠ることができなかった。

 

でも、いつまでも悲しんでいることはできない。だって誰をも恨むことはできないし、逆に言えば「あなたにはこういうことは向いてないのよ。これが苦手だから、そういうときはこういう風にするといいよ。」というマニュアルをもらったようなものなのだ。それにずっと思い込んでいた「悪いのはオレで、全部オレの努力不足なんだろう。」ということが、障害によるものだからどうしようもなかったんだよって言ってもらったようなものなのだ。診断されたその日はさすがに落ち込みもしたけれど、悲しみよりもどこか救われた気持ちのほうが大きいことが事実だ。

 

 

傷病手当がなかなかもらえず、3か月ほど収入がなかったわたしはおかねがすっからかんだ。生活費や税金などは奥さんや母親に助けてもらった。

 

理学療法士をやめることになったわたしは、自分の障害や特性を加味し、なんの仕事に就くべきなのかを家族や先生、図書館で借りた書籍たちのちからを借りながら考えた。その結果、単純作業が多いと思われ、自分が興味があり自然の中で仕事ができるということで農業の仕事に就くことになった。

 

勤め先はとなり町(わたしは茨城県に住んでいる。)にあるコメ、じゃがいも、大豆を作っている農家に決まった。親方夫妻と60代の従業員、そしてわたしの4人の従業員で構成されている。様々な就職先を吟味した結果、従業員が大勢いるよりも少人数な職場のほうが自分の特性にはあっていると考えたからだ。退職した3月20日の翌日から早速働き始めた。

 

 

今日で1か月が経過したことになる。親戚にも農家がおらず、まったく知識も経験もないわたしは農家の方々のパワフルさに圧倒されながら、タンクをリュックのように背負って除草剤をまいたり、畑をトラクターで耕したりしている。今年の正月を迎えた時には想像していなかった未来だ。

 

仕事は変われど、わたしの特性は変わらない。まず大変なのが軽トラの運転だ。話には聞いていたがやはり軽トラはマニュアル車であり、免許を持っているため運転はできるのだが、①エンストをしないようにクラッチ操作をする、②となりに指導者がのっている、③荷台に20リットルの液体が入ったタンクがのっているため倒さないように走行する、④土地勘が全くないため簡単な指示をされてもわからないことがある というように、軽トラを運転するだけでも脳ミソは大パニックだ。何度も急ブレーキを踏んでしまい荷台のタンクを倒して怒鳴られ、地域性もあるのか少し車の駐車位置がずれただけでもものすごい口調で怒られる。

 

トラクターはまっすぐ運転することが難しいし、まっすぐ走らせることができたかと思えば、耕した幅がバラバラだと怒鳴られる。エンジン音がでかいから怒鳴ることは仕方がないのかもしれないが、わたしのような人間は怒鳴られるとパニックを起こしてしまうのだ。幼少期から親にぶっ飛ばされて育ち、地元が治安が悪くとんでもない先輩後輩の関係の中で育ってきたわたしでも、もうそんなことなど関係なくパニックになってしまう。後ろを振り向くと、左にギュイーーンと曲がったタイヤ痕と頭をかしげる指導者が立っていた。

 

 

正直病院や会社組織よりも言葉がきつく、「そんないい方しなくてもいいじゃないか。そんな怒るなよ。」と毎日思う。みなさん基本的には話好きで気さくでいい人たちではあるのだが、自分の意に沿わないとすぐに怒ってしまうのだ。わたしの主治医のアドバイスもあり職場には障害があることを周知していないためでもあると思うので、うっかりミスがあったり指示されたことの理解が難しいことがあったりするわたしに対してはきっと誰だって同じ対応になってしまうのだろう。やはり社会や職場、他人そして自分にも期待はしないほうがいいのだ。どこに行ったって、なんの仕事をしたって、そして恐らく自分の障害を周知したところでどこでもいっしょなのだ。

 

 

ただ、仕事を自分一人で任されると非常にラクで、安心して仕事ができるし仕事もはかどるし、なんたって隣に誰も乗っかっていなければマニュアル車の運転だって意外とお手の物だ。今はまったく未経験の仕事に就きまだ1か月なわけで、何もできないことなんて当たり前なのだ。ただ自分一人でできるレベルまで達すれば、非常に精神的にもラクに仕事ができるかもしれない。

 

なので、わたしはこれからまた傷ついたり心がしんどくなったりすることもあるはずだが、農業の仕事を頑張っていこうと思う。自分の感情を整理するため、メモ代わり、そして同じ障害を持ったひとがわたしの不器用で無様な毎日を覗き見ることですこしでもラクになってくれればいいかなと思い、これからなるだけ書きますね。

 

傷を舐めあうことは悪いことでも弱いことでもない。舐めあえる同士がいるってことだけでも心強いと思うよ。

そういうことで~~~。

 

 

今日のBGM:オラはにんきもの / 野原しんのすけ