今日午後3時半から、カトマンズ旧市街のど真ん中「旧王宮地区」にて、ネパール市民集会主催による2回目の街頭集会があった。
 
今回の集会は、国王親政に反対する詩の朗読、パフォーマンス、歌と、前回に比べて、演説の殆どないものとなった。集会デモ許可地域ではあるが、やはり王室の所有物である旧王宮に面した場所と云うことで、それなりに配慮されたのであろう。
 
聴衆はざっと見渡してカウントしたところ、3000人以上と思われた。ステージに対する反応から、コアな支持者はその三分の一と見えた。いずれにせよ、ネパールでは何かあると、ギャラリーが膨れ上がる。これらの数字を「多い」と見るか、「まだまだ盛り上がっていないな」と判断するかは私の仕事ではない......ことにする。それにしても、私服の公安が聴衆の中に、「うようよ」いたな。
 
今回は、旧市街地に多く住む「ネワール民族」の支持を得るため、ネワール語によるパフォーマンスもあった。
 
さて、聴衆の中に5~6人、プラカードを持った人がいた。ひとつは、あの方の写真に「ネパールの最重要指名手配」の文字。もう一種類は、第二次大戦前から戦中にかけてドイツを支配した「某総統」の写真とあの方の写真を並べて、間に「イコール」。どちらもコンピュータで作成し、印刷したものをボール紙に貼り付けていた。
 
集会も中盤となった頃、会場警備をしていた機動隊の数が「ささっ」と増えた。そして、ヘルメットを被りだした。高い場所から見ていた私は、「衝突だぁ」と直感した。100人ほどの機動隊員の中、精鋭部隊数人が観客席に入り込み、プラカードに向かって突撃する。聴衆は立ち上がり、雄叫びを上げながら機動隊員の行動を阻止しようとする。ステージから右側の寺院の基壇に座っている聴衆からは、反王制のスローガンを叫ぶ声が聞こえはじめる。
 
この時司会者はマイクを通じ、聴衆に「慌てないで、みんな座ってください、落ち着いて行動しましょう」と呼びかけ続けた。同時に、世間でも名の知れた若手知識人たちが群衆と機動隊の間に割り込み、スクラムを組んで、身体を張って人の流れを止めた。
 
15分あまりの出来事だったが、見事な現場処理であった。私の見る限り、一人のけが人も逮捕者もなく、投石もなかった。そして集会は、その後も続いたのであった。ネパール市民協会の活動は、回を重ねるに従い、急速に統制が取れてきていると見えた。
 
それにしても、多勢に無勢の機動隊。聴衆の中の私服が協力するにしても、いったい何をしようとしたのだろう?騒ぎが静まった後、顔見知りとなっていた警部と目があった。彼の顔が「やってられないよ」と、同情を求めるように苦笑いしていた。
 
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さて、この集会には、群衆から少し離れた場所に数多くの政治家の顔も見えた。そんな中に、政治家であるが理知的で誠実な態度で、以前から好感を持ってお付き合いいただいていた某元閣僚氏がいた。彼は大変うれしそうに、ディズニーランドに遊びに来ているような笑顔だった。挨拶をすると、
 
「おお、ミキ。見てご覧よ。運動はどんどん燃え上がって、活発化してきているよ。うれしいじゃないか。頼もしいじゃないか」
 
「そうですね。でも、市民活動と政党はどのようにして連携を取るんですか?さっきからステージでは、政治家の不正に対する糾弾が拍手を集めているじゃあないですか。彼らは、国王親政に異議を唱えているだけではないでしょう」
 
そんなやりとりとなった。彼とはお互い、時に本音をぶつけ合える信頼があると思っている私は、
 
「いっそのこと、政治家たちは市民の前で、過去の失政や不正を素直に謝罪すればどうでしょう。そうでもしないと、プロ市民も一般市民も、政党政治家に対する不信は拭い去れないのと違いますか?」
 
その瞬間、知的な彼の顔が、ムンクの絵のように捻(ねじ)れた。
 
「市民に許しを請うなんて、もってのほかです。良質な多くの政治家たちは自分たちの過ちに気付いて、更正の道を歩んでいます。そう、もっと時間をかけて。半年くらいの時間を費やして、市民運動と共に盛り上がりを期待しなきゃならないんですよ」
 
半年....半年だって?そんな悠長なこと云っていたら、ネパールの政治体制は、「ミャンマー型軍事政権」に移行してしまう危険性はないのかい?と、この部分はぐっと飲み込み反論せず。
 
肩を落として、会場を後にした私であった。
 
政党と連携できない市民運動は、単なるパフォーマンス。反省を行動で示せない政党は、広く市民の支持なんて受けられない。