この前のブログでは、自嘲気味に、ネパール男の理解し難さを俎上に載せた。その後、掲示板への書き込みを読んだり、自分の文章を読み返したりして、説明が不十分であると感じた。以下、補足である。
 
ネパール人に対して「失礼だ!」とお怒りの向きもあろうが、ネパールに首まで浸かって溺れそうになっている、アホなジャパニの戯言(たわごと)とお許し願いたい。
 
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ネパール男、心の奥底には「中世」的価値観が潜んでいる
 
 云うまでもなく、ネパールの社会は激しい競争と謀略が、些細な日常から国家的政治にまで張り巡らされている。ネパール男は、自己と一族郎党の命運と名誉を背負って、外の世界でへとへとになっている。
 同時にネパールは、宗教に基づくカーストと、社会・経済に基づく階級により、人間が区別・差別される厳しい社会である。国内において、一度も差別されないのは「国王ただ一人」である。その国王だって一歩、国の外でのヒエラルキーの中では、「ジョージくんはキミには会わないよ」などと、西欧列強から見下されるわけである。
 日本に暮らすネパール男性たちも、「日本人社会」とのストレスは厳しいものがあるだろう。時には、ネパール人としてのプライドが傷つけられたり、周囲から理解してもらえない疎外感に駆られるだろう。
 そんな時、ネパール男は、家庭の中での「優越感」が必要なのだ。日本人にとっても、家庭は安らぎの場所である。しかしここで、深くネパール男を理解するためには、ネパール男は「18世紀~19世紀の時代に生きている」ということを忘れてはならない。
 ネパールでは「妻にとって、夫は現人神」であり、「母にとって、息子は小さな王様」である。また、「女は幼くして父の家に暮らし、長じて夫の家に暮らす。夫亡き後は息子の家に暮らすものであり、現世に女の家はない」とも云われる。夫や息子は、家庭内に君臨するのは当然のことである。そうして、女たちの絶対的愛情の元で、階級社会で傷ついた自尊心を癒すのである。
 何故そこまで言い切れるのか?だってあなた、王宮内で国王一家が皆殺しされたり、跡を継いだ国王が国家の全権を掌握したり。これって、安土桃山時代とか、江戸時代の「封建社会」の出来事ですよ。その社会が前時代的であるって事は、その国民の文化も影響を受けるでしょう。
 であるからして、家にいるネパール男を21世紀の人間として判断するのではなく、封建・身分制度が当然であった江戸時代の人間として捉えれば、理解しやすくなるのではないだろうか。最大限譲歩して、開国攘夷の明治時代か?
 戦後民主・自由主義の価値観の中で、ネパール男を考える.....ってこと自体、その出発点が間違っているのだよ。諸君!
 
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ネパール社会には、現代女性のための息抜きがない
 
 我が亭主など、必要以上に友だちと飲みに行く。そこで、日頃のストレスを発散させているのであろう。
 しか~し、私たち日本人妻が「健全にストレスを発散」させる場所は、殆どない。日本であれば、仲の良い女友達と飲みに行ったり、ドライブをしたりなどなどできるが、ネパールの伝統的価値観では許されないのだ。
 伝統的ネパール女性にとっては、季節ごとに巡り来る宗教儀礼や祭りが、晴れの日としてストレス発散できる機会である。しかし私たちにとって、そのような場所は、はっきり云って「長時間居るのは辛い」だけでしかない。
 ネパールに移り住んだ私が、ネパールで暮らす上で失った楽しみ。それは、健全なナイトライフであり、ストレス発散の場所である。男同士の夜遊びを堪能している亭主を見るに、時に、私の心に凶暴な炎が燃え上がるのを止められない。
 もちろんカトマンズにも、ナイトクラブもディスコも、深夜営業レストラン・バーもある。しかしそういう場所に、然るべき男性の同伴「なし」で行くというのは、カトマンズ都市生活者の価値観でも「破廉恥」な事である。ネパール人と共に暮らす私としては、非常に行きにくいのである。
 私は偶に、ひとりで映画を見に行く。ひとりで昼間のレストランに行き、食事をする。これが我が家にとって、黙認され、許される最大限の「女の一人歩き」なのである。
 
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「やってられるか、(゚Д゚ )ゴルァ!! と毒づきつつ、気がついたら15年暮らしていた」