トレジョーのシンプルモダンな家で暮らそう -11ページ目

忘れる2

あなたは、好き

以前、大好きだった人のブログが閉鎖して寂しい、と書いたことがあった。

その人のブログが再開され、毎回楽しく読んでいる。

その人の最近のブログで人形のバーニーの髪を知り合いの美容師に切ってもらった、とあった。
その手にはマニキュアを塗ったとも。

先週、トレジョーの娘は7歳のバースデーを迎えた。
その日は近所のお友達が遊びきてくれて、小さなパーティをした。
パーティーと言っても、ケーキを食べたくらいで、
食べ終わるとそれぞれが持っている人形を持参し、いつものように人形ごっこが繰り広げられた。
私はそれを興味無さげにぼんやりと見つめた。

その人は美容師さんにバーニーの髪を切ってもらっていたとき、
7歳の子どものような眼差しだったのか。

私は、ちょっと考えられない。
子どものときは、娘のように、確かに遊びましたけど…その人は私より随分年上。

人への好きは、全部が好きではないのだな。
では、何をもって好きと言っているのか。

ちょっと、わからなくなってきた。

誕生会

忘れる1

きみの友だち

きみの友だち/重松 清

¥1,680
Amazon.co.jp

我が家の子どもたちのブームに、
なっている。

私に本を借りてくること。
次は娘がこの本を借りてきてくれた。

前回息子が借りてきた本は厚みがあってそれなりの重量があったが、
今回は一般的な単行本で、ほっとする。

しかし、内容は、重い。

「きみは」の語り口での二人称。
二人称の本は読まないな、というよりあまり出合わない。
「二人称を書くのは難しいんです。」
作家希望のライターが言っていたのを思い出す。

子どもが借りてこなければ、手に取ることはなかっただろう。
調べたら映画化されていた。

娘と一緒に観よう。

それにしても、
小学1、2年生の子どもたちは、まだ読めない漢字だらけだから、
きまぐれで本をチョイスしてくるのだろうけど。

考えさせられる本ばかり。
本も出会いだなと、つくづく思う。




オペレーション太陽(ソル)

ライター トレジョーのシンプルモダンな家で暮らそう


オペレーション太陽(ソル) (ファンタジーの冒険)/小池 潤

¥2,548
Amazon.co.jp

泣ける詩を贈ってはくれないが、
息子は私のために図書館からこの本を借りてきた。

2日かけ読了。

元を正せば数日前、
「ママは、本を開いたとき上と下とに4つ分かれている本を読むでしょ。
図書館にその本があるから借りて来てあげる」
という。

次の日にはハリーポッターなみの厚みがある、
この本を借りてきた。

息子はその本を
「4つには分かれてないけど」
と、話をしていた本ではないので残念だけど、
違う本をみつけてきたよと、嬉しそうに差し出した。

借りてきてとは言っていないが、無下にはできぬ。
内心、こんなに厚い本、4つに分かれてなくてよかった。と安堵し、
ファンタジーはほとんど読まないが、仕方なく読み始めた。

1986年。
スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故は
センセーショナルな事故だった。

その50年前にも、人々を震撼させた大事故が起きた。
飛行船ヒンデンブルク号爆発事故。
1912年タイタニック号などとともに、
20世紀の世界を揺るがせた大事故のひとつである。

本編は、
実際に世界旅行を成功させた旅客飛行船ツェッペリン号をモチーフにした、
世界平和のために核を保有する飛行船
「オペレーション太陽号(ソル号)」の物語。

作中には、
実際に80年前の銀座の空を飛行する、ツェッペリン号の写真が挿入してある。

ジャンボ機の3倍はあるツェッペリン号。
その当時、ジャンボ機すら見たことない人々が、
全長250メートルもの物体が空を悠然と浮遊する様を捉えた驚きは、
絶大だっただろう。

人々に高貴で壮大な夢を与えた飛行船だったが、
ヒンデンブルク号爆発事故後、
大型硬式飛行船の安全性に疑問が持たれ、それらの建造が行われなくなった。
また、戦争中は軍事力とされてしまったことから
戦争と密接に関係した悲しい時代背景がある。

スペースシャトルチャレンジャー号の事故当時、私は8歳だった。
連日放送される空中分解シーンは、私の目に強烈に焼き付いた。
物語を読み進めるうちに、
飛行船が空中で爆発するシーンでは、
そのころ受けた衝撃が蘇った。

武器の脅威を振りかざさないと、平和は保てないのか。
そんな疑問をなげかける、現代の現状をファンタジーで描いた長編。
8歳の息子は、まだこの本が読めない。
この話をどう説明しようか、読み終えた頭の中は混乱する。

「読んだよ」
息子に本を差し出すと、
「もう! すげー」と驚いていた。
きっと、息子はまた借りてくるだろう。
今度は4つに分かれているのかな…覚悟。

泣けてくる

$ライター トレジョーのシンプルモダンな家で暮らそう


数年前の広報紙からみつけました。

うるっときます。

見えない文字

 段落

文章の書き出しや、段落を改める際、行頭の一字を下げ、空白をあける。
正式な文章ならだが、くだけたメールでこれをやられると、不自然さを感じる。
メール全般、特に携帯メールだとなおさら。

ライターに多い。
これは、縦書きからきているなごりだ、と言っている人もいた。
行頭の空白は常識だということか。

 今日のミーティング。どうでした?

ケータイにこの一文が来た際、何を感じるだろう。

段落の空白について調べると、
「ひとつの意味を持った塊」で、
一文字下げて空白にし、その意思表示をする。とあった。

行頭の一文字下げをしているメールにかぎって、
その後の文章は改行なしで長文だったりする。
行頭のみ空白で、携帯画面に文字がびっしりだと、
苦情でも書いてよこしたのかと、身構えてしまう。

メールでの一字下げは、常識を露呈しているようで、きな臭く感じる。

それでもライターへメール送信の際、一文字下げを行うか、行わないかで毎回迷う。
常識をしないこと、それが相手に対して抵抗を与えてしまうのではないか…と。

しかしライターで、
メールでの一文字下げをこだわるな、と言った人がいた。
己を捨て、読んでくれる人にわかりやすい文章を書く方が大事と。

その方が亡くなった。

みえない文字に囚われるな、と教えてくれたのだろう。
それよりも読みやすくする、空間が大事と。

初対面での、
「自分を表現するために、ライター講座に来たのであれば、
お引き取り下さい」

彼女の言葉は強烈だった。




原稿依頼

『広報部はPTA活動のなかで、唯一、形に残る(広報紙という形で)専門部。
子どもに自慢でき、やり甲斐もひとしおです。』

PTA専門部の活動内容について、との原稿依頼を受けた。
どれくらいの人がきちんと読んでくれるのだろう…と思いつつ、初っぱなが肝心と頭をひねる。

活動内容を細かく書いても、さほど興味を惹きそうにないから、
メリットを冒頭に書き出そう。

形あるモノはいずれなくなるのだから、
そんなの無意味と言ってしまえば、そうね。でも体験した人しかわからない。

それに、意外と子どもは驚いてくれる。
「すげー!」って。そして友達にも自慢しているらしい。
やってみたものしかわからない、高揚感。
そんな言葉を受けても、無意味。そう思われても、仕方がない、けど。

知らなくても困らないけど、知っていると余裕が生まれる。
その余裕が、いずれ、自分を助けてくれる。

と、限られた原稿の文字数。行間から読み取ってくれれば、これ幸い。

お年賀

$ライター トレジョーのシンプルモダンな家で暮らそう