最近のベストセラー国家の品格」や小学校からの英語教育に対する各界からの声などにも表れているように、「日本語」への注目や関心が高まっているように思います。
グローバル社会の中、他国語のマスターも重要なことです。自らの経験から、早い時期から他国語に触れさせたいと言う気持ちもわかります。
しかし、「日本語」に対する注目、関心だけでなく警鐘を唱える方が多いのも事実だと思います。


それは、なぜでしょうか?


言葉」は時代が作るとも言われます。確かに毎年「新語」ができたり、「流行語大賞」の表彰もあります。
歴史を見てみると、「文字」ができ、その伝達手段として「信号」、「電話」、「インターネット」といった様々な方法ができ、それらに応じて、様々な表現がされています。


そして、きっと今と同じような指摘はいつの時代にもあったのではないかと思います。
つまり「言葉」や「文字」は歴史そのもので、歴史になかった新しいものは、その「歴史」の中で生きてきた人にとってみれば、奇怪に感じるということです。


これは、「言葉」に限らず見られることです。


しかし、社会の中で生活する上では必要不可欠です。
仕事でも私生活でも、コミュニケーションを取るために少なくとも国内では日本語が使われます。


言葉」によって、印象が異なったり、ニュアンスの食い違いなど生じることがあります。
更に「文字」も、時に凶器になり、愛情にもなる非常に恐ろしいツールだと思います。


コミュニケーションを取るため(=生活をする)には、正しい「言葉」が必要になります。


常々そう思っているので、ブログを書くことに恐怖を感じることもあります。
それもきっと勉強不足だからでしょう。


上を見て努力するのは大変ですが、下を見たら落ちていくのは簡単で、とても早いです。


特に、インターネット上では顔が見えないという点があるのは確かだと思いますが、適当なコミュニケーションをとる(=下を見ること)と、落ちるところまで落ちてしまうでしょう。


「私は違う」、「そんなことはない」と思う人もいると思いますが、思いがけないところでその結果が顔を出してしまうことがあります。



そして、当サイトの会員の方は特に文字としての「日本語」に触れる環境下にいることになります。


作品を書く人は、ストーリーだけではなく「日本語」の勉強もする(した)でしょう。
読者の方は、作品を読むことによって、「日本語」の勉強にもなり、自己の「日本語」力を再確認することもできるのではないでしょうか。


いつも、上を目指したいものです。



当サイトもできる限りご協力していきたいと思っています。
多くの皆さんに参加頂き、真剣勝負して頂きたいと思います。