[3566]急に緊急事態宣言をいわれても箱根駅伝が終わるまで待ってくれんか 【今日の一曲】 | TRAZOM@さるさる横丁

[3566]急に緊急事態宣言をいわれても箱根駅伝が終わるまで待ってくれんか 【今日の一曲】

J.シュトラウスⅠ世:ラデツキー行進曲(オリジナル版)
〔アーノンクール=ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団〕
[CD]TELDEC◎WPCS-10650



8:00起床。35.9℃
昨日はウィーン室内合奏団のモーツァルトやベートーヴェンのCDを聴き、夜はEテレ「100分de名著 萩尾望都」を見る。どちらも過去に慣れ親しんだ演奏やマンガなのに、あの頃は深く考えずに通り過ぎたようだった。もっと真面目に取り組むべきだったと今さらながら後悔の念が湧いてきた。

○今年の初夢(妄想バージョン)
――ねえ、外が騒がしいけど。市中では緊急事態宣言を出せと大勢の人がわめいてるみたい。
俺「ああわかってるよ。ずっと頭の中で『検討』してるんだ」
――なら、ぐずぐずしてないで、さっさと出したらどうなの? 東京じゃ1000人を超えたっていうじゃない。
俺「そうは言うけどさ、お正月に出したら箱根駅伝を中止にしなくちゃならない。それだけは止めてくれと駅伝共催の朝売新聞のオーナーからきつく釘を刺されてるんだ」
――たいへんね。でもいつ出すか、お二階にいる長老さんにお伺い立てるべきだわ。
俺「うん、そうするよ。また記者会見するから、その日は午後7時に来ておいてくれ」
・・・・そう呟いて、俺はお二階へ上がっていった。

○手拍子のないラデツキー行進曲
元日のニューイヤー・コンサート。アンコール曲「ラデツキー行進曲」でいつもは手拍子が入るのだが、今年は無観客なので演奏のみだった。ボクはこの手拍子が大嫌いで、純粋に演奏だけを聴きたいのに、そんなに手拍子たたきたいのなら、口(くち)パクで音だけスピーカーから鳴らしたらええやん、といつも思っていた。だから今年は十分に堪能できたというわけだ。
さて、ニューイヤーのアンコールで手拍子入りのラデツキーはお約束ごとではあるが、一度この曲が演奏されなかった年があった。2005年、直前の12月末にスマトラ沖地震が発生し、多くの犠牲者が出たため、指揮のマゼールにより「ラデツキーは演奏しない」とアナウンスされた。
あと、2001年にアーノンクールがオリジナル版として第1曲目を取り上げた時も、当然ながら手拍子はなかった。
今ボクたちが知っているラデツキーとは趣が少々違っていて、軍楽調というか、重々しい印象のある楽曲だった。でも、これはこれでありかな。

○ナチスの影を落とすラデツキー行進曲
えっ?ラデツキー行進曲にオリジナルなんてあったのと思われるかもしれないが、後にナチスに入党したベーニンガーによって1914年、編曲されたと朝日新聞に掲載された。
爾来、この編曲でずっと使われてきたが、ベーニンガーとナチスの関係を指摘する声に対して、団長のフロシャウアーが「ベーニンガーの名前を除くことが重要だった」ため、譜面を子細に検討し、ウィーン・フィル版として昨年から変更したそうだ。
パッと聴きでは両者の違いは分からないし、ニューイヤーなんだからナチスの刻印とは直接関係ないではないか。もう80年以上前の出来事なのに。そう思おうとしたが、現地の人の目には厳しいものがあるのだとずしんときた。軍艦マーチや海ゆかばが演奏されたら喝采のわが国では考えられないこと。
アーティストが政治的コメントを発したら、ともすればバッシングされる日本にあっては「音楽家は音楽だけやってたらいい!」とする風潮がある。音楽に限らず、スポーツだってそう。大坂なおみ選手の言動を思い起こすこともできる。だが箱根駅伝だって、コロナ禍の中での開催。どこかで社会と接点をもっており、駅伝が独立して行われているのではけっしてない。