死因(NTR心中)とタイトルを合わせて読むと著者の哲学思想がわかるのか?とちょっとデバガメっぽく興味を持ったのだが、お父さんお父さんしている箇所以外は、……良くわからなかった。最後の方に検閲が入って(数行削除)から読みやすくなってわらった。やはり人に読まれていることを意識する文章は読みやすいのかもしれない。

 

スマホの表示がされている少ない画面(文章)に「私」が5回以上もあるのが何回もあっておもしろかった。

目が滑る目が滑る。

 

トルストイ(愛は惜しみなく与う)の言っているほうが、「愛」について深く考え、苦悩するさまが読み取れる気がするが、明治の人の考え方もこうやって残っているのを読むと、普通の現代人のとある一人の人間と同じような(検閲による削除)な考え方をしていたんだなあと感慨深い。なので、明治の著名な人でも、会わない人の文章を読むのはやめるべきだなあとアニメ一話切りオタクは思いました、まる。

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