あまりにも自分にとって大切なため、
「ちょっと行ってきました」みたいに気軽に書けず、ここまで暖めてしまいました
憧れだったマジックキャッスル。
OSMANDの前身であるSoul Smooth Cafeだって、
仲間と「いつかマジックキャッスルみたいにお洒落して大切な人をエスコートしてマジックを観に行くような場所を創ろうよ!」
と言ったことがそもそものはじまりです。
テレビでしか観たことがなかった、L.Aにある夢のまた夢のそのお城に。
知り合いの紹介で僕が初めて行くことが出来たのは、6年ほど前のことでした。
なんて煌びやかで、素敵な空間なんだろう。
ハリウッドのスターたちがお忍びで訪れ、ドレスアップした素敵な紳士淑女がマジックを楽しむ。
こんな場所が日本にあったら。
その想いは日を追うごとに強くなる一方でした。
やがて月日がながれ、Soul Smooth Cafeの時代を過ぎ、
ついに魔法ダイニングバーOSMAND
を完成させました。
を完成させました。
OSMANDはマジックキャッスルとはコンセプトから何から全て別物ですが、
何故か何も言わなくても、
観る人が観れば
私がマジックキャッスルへのオマージュとして創り上げたことは、分かってしまうようで。
まだまだ、進化して完成形を目指しますが、胸を張って見せられる素晴らしい空間が出来たと自負していました。
~クロースアップルーム(リネッグの間)~
そんなある日、SNSを通じてウィザードインの総帥 柳田昌宏氏と連絡を取れるようになりました。
氏は、私が感銘を受け人生を変えられたNHKのテレビ番組「ロス発 マジックスペシャル マジックキャッスルの秘密」のプロデューサーだった方です。
(私は学生時代から氏のレクチャーノートやビデオでマジックを学び、マジックキャッスルの存在を教えていただいた経緯から、敬意を込めて「先生」とお呼びしています。)
何度かのやり取りの中で先生はL.Aからの来日中、忙しいスケジュールの中OSMANDを訪れてくださいました。
その時の先生の感想を私が代弁するのはおこがましいのですが、
その後何度かお話させていただいたことを私なりに解釈すると、
「日本でこれほど素晴らしい空間を創っている人がいるとは思わなかった。マジックとマジックキャッスルへの情熱に溢れている。
こんなに真剣に、本気に取り組んでいるならぜひ協力したい」
そして先生の口から信じられない言葉が。
「あなたのような人にマジックキャッスルの仲間になってもらいたい。
ぜひマジックキャッスルのオーディションを受けに来てくれないか」
と。
信じられない言葉でした。
いくら想っても、そんなチャンスはあるはずがないと思っていました。
マジックキャッスルのメンバーシップはマジシャンにとって憧れであり、望んでも叶えられない遠い夢だったからです。
「受けてほしい」
もちろん、社交辞令だったのかも知れませんが、
そうまで言って貰えた感動に打ち震え、
そして、僕は決断していました。
「どんな困難があろうと、必ずやり遂げよう」と。
もちろん、オーディションの合否は自分ではどうすることも出来ません。
けれど、とにかく万難を排してスケジュールを合わせ、オーディションの準備に照準を合わせることに決めたのです。
決心した私に先生は、
「オーディションの結果に関しては何もしてあげられない。
そこはあなたの実力次第です。
でも、それまでのバックアップは全力でします。」
と、言ってくださいました。
厳しいオーディションだと聞いていました。
もし、オーディションに合格できなかったとしても。
もしこのチャンスにチャレンジすらしなかったら、私は一生後悔する。
ダメだったらダメで
一生の想い出になってもいい。
まず約束の期日の近辺のスケジュールを全てキャンセルしました。
数ヶ月先まで予定を入れていることが多く、通常中々合わせることは難しいと思われたのですが、
「最優先」に考えたら意外と簡単に他の案件を棄てることができました(笑)。
次に、先生のアドバイスを念頭にオーディション用のルーティン作りに取り組みました。
「3種類以上のクロースアップを10分以内のルーティンで。セルフワーキングや道具ネタ特にウリネタはご法度です。テクニックをしっかり見せる必要があります。」
と。
私はあまり気をてらうより、オーソドックスにカードを使って手順を創ることに決めました。
普段演じている、エースオープナーを少し改編し、別の出し方で4枚のキングも出す。
その4枚のエースとキングを使って、「インターレースドバニッシュ」というクラシックですが少しマニアックで好きなマジックの変形を組み立てました。
私なりに注意して取り組んだことは3つ。
1)基本技法をしっかり見せること。
2)何カ所かは手練れの審査員でも、
「ん?」と思わせるようなオリジナリティを盛り込むこと。
そして、
3)最初から最後まで英語でのプレゼンテーションでやりきること。
1)と2)は自信がありました。
インターレースドバニッシュを組みこんだことで、基本技法の図鑑のように一通り見せることが出来ましたし、そこに至るまでのオリジナリティも未発表のものなので、
ちょっと変わっていますし、
インターレースドバニッシュ自体も原案を知っている人ほど面白いアプローチだと思ってくれるはずです。
さらに、私には強い味方がいました。
友人である魔耶一星氏に自分の考えたルーティンを見てもらい、
不自然な所はないか。改善すべき点がないかを相談しました。
魔耶さんは、私がマジックキャッスルのオーディションを受けに行くと話すと、
「僕はLEOさんが決めたことなら、いつでも協力しますよ」
と、言ってくれました。
惜しげもなくアイデアを提供してくれて、ルーティンはより一層完成に近づきました。
そしてもう一方、マジッククリエイターの藤原邦恭さんが
OSMANDのためだけに特別に創り上げた「魔法の箱」がショーのラストを締めくくります。
藤原さんはまた、4枚のキングを出現させるくだりで、未発表のとても不思議な手順を提供してくださいました。
これで、1)2)はクリアー!
次は、3)英語プレゼン!
まず、出来上がったルーティンをセリフを含めて、完全に動画にしました。
そしてそれを、以前から私の英会話の先生をしてくれているネイティブのJohn.Dに
完訳してもらう。
そして、それを文字起こしと、John自身に実際に発音してもらい、何度も何度も繰り返しました。
確かに日本語でオーディションを受ける人がいることも承知していました。
合格に英語プレゼンは必須ではないかも知れない。
でも、僕は一生に一度のこのチャレンジに悔いを残したくなかったし、
どうしてもこだわりたかったのです。
自分の夢を叶える瞬間に、
審査員のおまけやお情けで合格したと思いたくなかったのです。
そんな私の情熱を理解してか、
Johnはめったに厳しいことを言う先生ではなかったはずですが、
今回に関しては何度も何度も、繰り返し繰り返し、やり直しをさせられたのです。
「お前の夢だったんだろう!後悔したくないんだろう!」
そんな、無言の熱い思いが心に響いてきました。
Johnの思いに応えるためにも、とにかく繰り返し練習しなきゃ。
いつしか、英語版のセリフは寝ても覚めても口ずさんでいるほどになりました。
そしてそして、
なんと運命と言うべきか!
ダメだった時のことなんて考えないで。
俺はOSMANDを背負って、正々堂々マジックキャッスルのオーディションに挑もう!
つづく