夏休みとは、学生にとって楽しみなものであるとともに、また辛いものでもある。

 

無論、捉え方は人それぞれである。

 

学校が楽しくて仕方がない僕にとっては、少し残念な気がするが、皆とどこかへ遊びに行く機会が増えるのはうれしい。

 

いや、語弊がある。

 

学校が楽しいのは、学校自体が好きなのではなく、友達が好きだからだ。

 

嫌いな先生もたくさんいる。

 

よって、学校に行かずとも友達と会うことは可能なので、夏休みはうれしいものだ。

 

そこに残念な気持ちは微塵もない。

 

僕は、「休み」と言っているのだから、勉強などせず皆と楽しく遊ぶことに意味があると思う。

 

しかし、学校側は我々を野放しにする気は毛頭ないようだ。

 

授業という苦痛がないことは天国ではなく、「課題という名の地獄」の始まりを意味する。

 

普段から課題をやっていない者にとっては別にたいしたことはないだろうが、僕にとっては「休み」という特権を削り去るもので、まったく鬱陶しいものである。

 

僕は今学生であるから、このように感じるだけかもしれないが、これは学生に限らず、人間が本能的に欲するものであると思う。

 

休養というものだ。

 

 

長期休業を設けていることには何の意味があるのか。

 

休むためだ。

 

それなのに、課題は多い。

 

休ませる気はあるのか。

 

ない。

 

課題、テスト、部活、行事等で圧迫される普段の生活から、学生を一時的に開放するものではないのか。

 

──どうやらそうではないようだ。

 

課題は多く、部活もある。

 

休ませる気はない。

 

どころではなく、

 

「勉強するなら今だ。他の人と差をつけられるのは、今しかない!」

 

などと叫ぶ。

 

 

結論、

 

そんな辛いなかで、旅行、遊びに出かけるなど、ささやかな幸せを見出すのが夏休みの意義であるのではないだろうか。

 

長期と言っておきながら、その時間は意外とあっという間に過ぎる。

 

その時間をどのように過ごすか、課題だけで終わってしまえば、これほど悲しいものはない。