やっと学校に復帰できて、2週間後くらいだったかな?ご飯も時間はかかるけど、手術前と同じようなものを食べれるようになってきたから、最初から最後まで授業を受けられるようになった。


勉強はまだわからないことだらけで、大変だったけど、友達に教えてもらったり一緒に勉強したり、友達と一緒に居られることがすごく嬉しくて楽しかった。



そんなある日、眼帯をしている右目に、目の奥から何かが押し出るようなすごい圧迫感を感じた。


実際に何かが出てきているってわかったけど、学校にいるときだから携帯なんて持ってない。急いで学校にある公衆電話から母の携帯に電話したけど、公衆電話がおかしくてかからない。


(こういう時、携帯って必要だなってすごい感じるよね…。)


先生に言って早退しようと思ったけど、なんて言ったらいいのかわかんない…。


仕方なく最後まで授業を受けて、急いで帰って、もう1回母の携帯に電話したけど出なかったから、とりあえず今の状況を簡単に説明して、どうしたらいい?って留守電にメッセージを残した。


母の仕事が終わった頃に私の携帯に母から電話がかかってきて、今から病院に行こう。すぐ帰るから準備して待ってて。って。


母が帰ってきてからすぐに一緒にA先生の病院に行った。


もう外来の時間は終わってて、A先生もいなかった。でも入院病棟の診察室で違う先生が診てくれるって言ってくれた。


結果、やっぱり何かが出てきていた。


何が出てきていたのかと言うと


義眼台として新しく入れたアクリルボールだった。


移植した細胞(皮膚)がまだ一応くっ付いてるから、完全に出てくることはないけど、今はどうすることもできない。と言われた。


とりあえず、一番近いA先生の外来の受診日に予約を入れてもらって、ちゃんと見てもらうことになった。


そして数日後、A先生の外来に行った。


私の体が異物(アクリルボール)を排除しようとしていて、さらに、移植した細胞がちゃんとくっつかなくて、しっかり蓋の役目を果たせていないから押し出されているのだとか…。


悩みに悩んで私は、今後の治療もA先生に担当をしてもらって続けるという決断をした。


でも、異物を排除しようとする力がすごいことと、細胞と細胞のくっ付きが悪いこと。このことを考えると、こっちの病院で治療を続けることは難しい。そう言われてしまった…。


理由は、次に予定されていた手術で移植するのは生きた細胞ではないから。自分の細胞であっても、血管が繋がってるわけではないからいつかはしぼんでいくただの細胞。(私の体が異物と見なしてしまうかもしれない。)

そしてまた、その細胞と右目の細胞が上手くくっ付かないかもしれないから。



もうすぐで次の治療が始まるはずだったのに…。


A先生の病院ではできないとなると、私に与えられた選択肢はもう1つしかない。


あれだけ悩んだのに…。悩んで悩んでわからなくなって泣いて、また悩んで…。すごく苦しい思いをして必死に考えてたあの時間は何だったの…?


辛いとか悔しいとか、そういう感情は限界を超えて私の心は無になった。


振り出しに戻って、数日後にK先生のところにまた行くことになった。




最後まで読んでくれて
ありがとうございました♪