憧れていたりしたこともあった。
でも、運命の赤い糸が結ばれてた人がいるからと母から聞かされたこともあった。


正直、そんな相手いるわけないじゃん。
自分でこの人だと思ったら、その人くらいに思ってた。


でも、今は、多少の縁のあるなしはあると思うようになった。
縁のある人とは偶然積み重なりと、多少の努力で繋がれる。縁がなければ、多少の努力では無理。かなりの自分の労力が必要。無理やりにでもこじ開けたような縁は長続きはしにくい。悪縁。



昔、私は元カレをどうしても運命の人にしたくって、かなり頑張ってた。
最初はそんな事もなくて、うまくいってた(今記憶に思い当たる部分では)はずだった。けれど、日記見返すことがあって見ていたら、全く違った。

一途で想いあってたのであろうなとは読み取れたけれど、ただ向き合い方の真剣さの度合いや私のあまりの幼稚さ、不必要な駆け引き、不安でしかなかった気持ちが読み取れて幸せいっぱいだったかと言うとしんどい恋愛に見えてきた。



冷静に過去の自分を見たとき、色々見えてくる部分もあって、今のこのコメントを未来で読んだら違うかもしれない。



だけど、あの頃は破局してから、ずっと忘れられず、5年くらいは引きずっていた。別れてからもダラダラと会ったりして追い続けてしまい、他の人と付き合っててもどこか頭の片隅の彼と比較してしまって。

比較すればするほど、愛してた記憶は消化されないままだった。でも、それは元カレが言うように依存だったのかもしれない。共依存の状態だったのかなと。


どうしてもその人と結婚したかった理由は、
世界で一番私の過去も全ての事を知ってて、理解してくれる人だと思ってたから。居心地がよくて、ツーカーみたいで、どこ行ってもどんな状況でも、この人となら乗り越えられるって思ってたから。


これ以上他の人を好きになれる自信ないってはっきり言えたから。





恋は盲目。まさにそうだった。
次の恋愛は、冷静だった。次も、、
そうなればなるほど、昔に固執する、本当は関係性的には良くなかったとしても良かったように記憶を塗り替えるまでに。そんな人もう二度と会えないと勝手に呪文をかけだす。


この人とは別の結婚を考えた人と別れることになった時、もう一度あの時のような気持ちになれるような人とせめて死ぬまでにもう一度会いたいと願い続けた。恋したい、せめてそんな人がいれば出会いたいって。







出会えるか出会えないかは分からなかったけど、努力だけは常にしていた。アンテナはって、いくら辛いことがあっても、
「本当にそれでいいのか。後悔はしないのか。あのときまだ頑張っていればと絶対思わないか?」


自分に問いかけ続けた。色んな出会いがあったとしても、みんな私を通り過ぎていく。






そんな私は今はずっと一人の人と向き合ってる。
いい事ばかりではないし、しんどいこともかなりある。だけど、今までの人と明らかに違うって言えるのは、
どうしても頑張りたくなる
誰にもなかった真剣さが他の誰よりもある
安心感がかなりある
すべてが最初から決まっていたかのようなうまく出来すぎたレールを歩んでる
不幸が不幸のまま絶対終わらない
なぜか結局いい方向に進んでいく、いつも





この出会いが運命かどうかなんて、結局わからない。死んだ時に、「ああ、やっぱりこの人と一緒にいられて幸せだったなぁ」って思えるのなら、そうなんじゃないかなと思ってる。

結局何にしても、いまなんだ。
どう生きるか、この貴重な時間を。どの人とどんな風に。





色んな方の同年代のブログを見れば見るほど、コメントしたくなる時もあるけど、価値観は人それぞれだし、最近はコメント書く時に確認事項が出てくるようになってて。書こうとしたことを消してしまう。


どんな言葉を書いたって、受け取り方は三者三様。あんまりにも現実論だと逆に傷つけてしまうだろうし、そのまま突き進むにはあまりにも自分自身(そのブログの方が)傷つくだけじゃないのかとか思ったりする。


私と同じような思想してて、そんなコメントしたところで、結局その方はご自身が思ったように突き進みたい感じを出されてる。



だから、あえて自分のブログでせめて本音書きたかった。運命の人という言葉にあんまり惑わされずに、本当に自分を大切にしてくれる人と一緒になってほしい。嘘をついたり、傷つけるような言葉を吐いたり、自尊心を傷つける人とは絶対幸せになれない。

今はよくても、ずっと一緒にいることは、自分をすり減らす行為。


目に見えてるものばかりに囚われないで、内側にあるその人自身の本心と行動を見てほしい。






私の経験談が誰かの糧になればと思って、長文になりました。ただ単なる自己満です。