私がお仕事を辞めてからは特に

主人がお仕事に行く際、必ず玄関まで

見送るのが当たり前だと思っていた。

 

 

娘が学校にいくときは、

知らぬ間にやらなくなっていた。

 

 

なぜなら、

わざわざ玄関まで行くのが面倒だから。

 

その場で

「いってらっしゃい」か

「じゃあね」だ。

 

 

特に何もしていないならまだ良いが

私は朝家事をするが好きなので

慌ただしいのだ。

 

 

その手を止めてわざわざ玄関まで行く。

 

 

そもそもそれって必要あるのか?

昭和ドラマじゃあるまいし娘の時のように

その場でじゃあねで良いのではないか?

 

 

そう、これは義務でしている。

 

 

主人は朝早くから夜遅くまで電車に揺られて

私達家族の為に働いてくれている。

感謝しているし尊敬もしている。

 

 

だからって玄関までお見送る必要はあるのか。

 

 

それをしないと主人に申し訳ないので

顔では「いってらっしゃい」と笑顔で見送っていても

本当は面倒だなと思っている。

 

 

って、鏡である主人には私がいやいやしていること

なんてお見通しなのだ。

 

 

それだったらその場で「じゃあね」と気持ち良く

言ってあげれば自分も主人も気持ちが良い。

 

 

私が良ければ鏡である相手も良いのだ。

だから罪悪感なんて感じる必要はない。

 

 

「感謝しなきゃ。申し訳ない。」

と思って本当はしたくないことを義務でしていて

私は楽しいのだろうか?楽しくない。

嫌で嫌で仕方ない。

 

 

だから、笑顔で感謝の気持ちを伝えたって

嫌なことしか私にはやってこない。

 

 

私が義務でしていることをやめていけば

嫌なことなんて全くおこらない。

 

 

つまり、自分の機嫌は自分でしか取れないのだ。

 

 

高級バッグを買っても、

素敵なホテルラウンジで過ごしても

行きたかった旅行に行っても

その時だけしか満たされない。

 

 

日々のちょっとした

本当はしたくないけれど義務で

していること。

 

我慢していること。

他人優先していることを

辞めないかぎりどれだけお金を払っても

ずーとは満たされない。

 

 

当たり前になってしまって本音がわからないが

相手である鏡が教えてくれる。

 

 

喧嘩をしたとき、イラッとしたとき

私の本音がわかる。

 

 

それに気付けたら人生はとても豊かになるのだ。

 

プラスではなくまずはマイナスが先なのだ。

 

 

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