立花今日子の手記 -5ページ目

立花今日子の手記

文字を書く練習、表現の練習として。

ものすごく久しぶりに書く。
朝、というか昼に家に帰る。
徹夜の目に太陽の光が眩しい。空が輝いている。今日の空はやけに明るくて、真っ青で、気持ちがいい。
風も強いのだけれど、空気も冷たいのだけれど、それが気持ちいい。

工場の跡地にびっしりと雑草が生えている。それらは冬の風にさらされて乾燥している。風が吹くたびにさあああと乾いた音を立てて揺れる。
何の変哲も無い雑草なのに、意味もないはずの雑草なのに、その乾燥した色が美しい。黄金色に太陽の光を反射している。

乾燥した雑草の葉は、死んでいるのかもしれない。でもその風景を見て、自然が息づいていることを強く感じた。
この土地にあった工場は土壌汚染を起こしたため、移転された。建物も壊され、更地になった。
その土地に勝手に生えた雑草たち。一面に生えた雑草たち。
汚染された土に芽生え、その毒を吸い取り、浄化したものを優しく大気に送り出す。ものすごく優しい。自然は偉大だ。

太陽の光が美しいから、空の色が美しいから、雑木林の緑も美しい。木々の葉の縁が輝いている。木の影は黒に近いけれど、空に近い部分の葉は陽に透けて黄緑色に輝いている。
思わずiPhoneで写真を撮る。
肉眼で切り取った景色と同じものが撮れない。
カメラを向けるのをやめた。

一度寝たら落ちてしまった。遅刻だ。
電車に乗る。申し訳ないけれど、眠たい。でもやっぱり申し訳ないから寝られない気がする。手持ち無沙汰だけど、妙な律儀さのせいで眠ることもできない。ただ時折、液晶に表示された時間を確認した。

「クチャクチャ気持ち悪りぃんだよ、くそじじい!」

突然、若い女の大声。
私の2つ隣に座っている女性が叫んだ。
動揺した。彼女の目の前のシートには口を動かしている人はいない。そもそもおじさんもいない。
目玉だけを動かしてあたりの様子を伺った。
嫌な空気が流れている。みんな疑問を持ちながらも誰も声を上げられない。誰も悪くないのだ。
だいぶ離れたシートに、おじさんが座っていた。ガムを噛んでいるのだろう。口をずっと動かしている。しかしクチャクチャという音は意識しなければ聞こえない。これは私の耳が悪いからなのだろうか。
そのおじさん本人も驚いた顔をしていた。
見知らぬ若い女に、しかも目の前にいるわけでもない女に突然罵られた。
目の前で罵られた訳ではないので、反論することもできない。できる状況でもきっと彼はしなかったろうが。

言葉が凶器になった瞬間を見た。

そんな風に思った。
私は何もされていない。そして悪いことをしていない。私が免責されているわけではないのだけれど、妙に泣きたくなった。
でもそこで泣くのは不自然なので、他の人には見えない、透明の涙を流した。


帰り道、タクシーの運ちゃんと若い男性が車の脇で言い合っている。何かトラブルだろう。
若い男は代金を払いもせず、運ちゃんを振り払った。そして近くにいた友人らしき男と歩いて行ってしまった。悪びれもしていない。
運ちゃんは数秒彼らの背中を呆然の見ていた。しかしその後、走って追いかけた。
彼は私の目の前で転んだ。
急に体を動かしたから、足が上がらなかったのだろう。
声を掛けようか迷った。でも、掛けられなかった。自分の弱さを感じた。
彼は呻き声もあげない。涙も流さない。ただゆっくりと立ち上がり、人ごみに消えていく二人の背中を見た。そして、自分のタクシーに戻っていった。
多分、悪いのは客だろう。
彼はタダ働きをさせられたのだろうか。
自分よりもふた周りほど若い男に馬鹿にされて、自分の体の老いも実感させられ、でも嘆かない。
彼はどこでそれを晴らすのか。

109の交差点。人がたくさんいる。しかし、みな互いに無頓着だ。
嫌な眼差しを向けて立っている男もいる。卑しい目だ。搾取する者の目だ。女の体を。お金を。

日本は豊かかもしれない。でも、悲しい国になってしまった。
今、なっていく過程なのかもしれないけれど。でも、その最先端が渋谷なのかもしれない。

横断歩道の手前で立ち止まった。信号は青に変わったけれど。
叫びたくなった。居心地が悪い。気持ちが悪い。全身の周りを嫌なもので包まれているような気がした。
朝はあんなにも気持ちよく私を包み込んだのに。

人間は酷い。日本人は酷い人種になろうとしているのかもしれない。
それはきっと寛大な自然を拒絶するようになったからだ。自然を追いやって王様気分になったからだ。
そうして大事なことを忘れかけているんだ。

また、透明な涙が流れている気がする。