でも勝ち負けの行方は必ず変えることができる…の巻。 | とある女子高生(笑)の徒然日記

とある女子高生(笑)の徒然日記

何てことのない、とある女子高生の日常を綴るささやかな日記。

ちわっす

降夜です

ども(・ω・)ノ


ちと長くなりますが、

お付き合いを。








今日は三月十一日。


震災が起こった日。





三年前、

自分は中学二年生でした。

帰りの会の時間、

二時半過ぎ。


机の下に隠れるわけでもなく、

逃げるでもなく、

「今揺れなかった?」

「気のせいじゃない?」

「地震なんて珍しいね」

なんて言って、

その場はそれで終了。

そのあとの放課後も、

吹奏楽部に所属していた自分が、

音楽室で仲間と先輩方の卒業式に向けて練習をしていた時も

「また地震?」

「楽器抑えて!」

「壊したらシャレになんないよ!」

なんて言って今まで体験したことの無い揺れに動揺しながら、

結局いつも通り練習。

夜、家に帰って、テレビを観て、愕然。

あまりに現実味がなくて、あまりに突然のことで、

それから二日はは何が起こったのかさっぱり理解ができませんでした。

自分にとって、「大地震」は、過去の、教科書の中の出来事だったからです。



三月十三日、

父さんが、会社から宮城に派遣されることになりました。

父さんが勤める会社の支店の、応援のためです。

私は事態を、ようやく理解しました。





…その約一週間後、

帰ってきた父さんは、

少し、やつれていました。


普段、

社交的で、明るくテキパキとした方なのですが、

それから一ヶ月は、どこか上の空で、ぼーっとしていました。


父さんは、

宮城で見て、聞いて、体験したことを、

できる限り私に伝えてくれました。

その内容は、私の想像を絶するものでした。

父さんは言います、

「なんにも、ほんとうに、なにもなかったんだ」

「でもね、応援に行ったはずなのに、こっちがね、応援されちゃったんだ」

「ぜんぶ、なくなってしまったのに、どうしてあんなにみんなやさしいのだろうね」

「なんでなんだろうね」

「降夜はわかる?」



父さんの話とか表情とかを思い出すと、いつのまにかわけもなく、泣いてしまうのです。







三年たった、

今日の、

二時四十六分、



生物の先生の計らいで、

一分間の黙祷をしました。


遠くに一年生が楽しそうにバスケをする声、

音楽室から聴こえるリコーダーの音。

震災で、

ある友人は親戚をいっぺんに無くし、

ある知人は東北に家族旅行に行ったまま、

もう二度と会うことはありませんでした。
 



そんな中、

自分はこんなに平和な毎日を過ごしている。

まずはそれを自覚し、感謝しなければならない。

そして、その日のことを、けっして忘れてはいけない。

それが最低限の義務であり責任でもあると思う。

私が今まで被災地のためにできたことは、正直、募金くらいだと思う。

実際に体験したわけじゃない自分が何を長々と書いてるんだ、と思われたかもしれない。

けど、この記事を書いたことが、
やっとその日について初めて自分の中でしっかり考える機会になりました。

読み返したら消したくなるほどの、

拙い文章ですが、

もし読んでくれた方がいたら、ありがとうございました

不快な思いをさせた方がいたら、本当に申し訳ありませんでした。

もう少し大人になったら、また父さんと話がしてみたいです








長文失礼しました、



地獄の「体育祭」の練習が佳境に入って筋肉痛の降夜は、おとなしく寝ます( ˘ω˘ )




それでは、また!