「ハクディム=ユーバ」
 すかさず地の神依をまとうと、スレイは力いっぱい大地を殴りつけた。その衝撃は地中を伝わり、スレイたちを取り囲んでいるローランス兵に届くと、彼らは大きな振動に足を取られ、次々に倒れていった。
 慌てて立ち上がろうとするが、鎧を装着しているせいで思うようにならずにもがくローランス兵を一瞥すると、スレイはルーカスの元に急いだ。
 しかし今度は別のローランス兵たちが、スレイとルーカスたち木立ちの傭兵団との間に立ちはだかる。
 もどかしさに言葉にならない声をあげ、地面を殴るスレイに気づいたルーカスが、驚愕の表情で呟いた。
「これが……導師の本気なのか……」
 ようやくローランス兵の動きを止めたスレイが、ゆっくりとルーカスに歩み寄り、右手を差しのべた。
「ルーカス、帰ろう」
「あ、ああ……」
 怯えた表情で息を呑むルーカスに背を向け、スレイは再び眼前に立ちはだかるローランス兵を見すえた。
「退け、ローランス兵」
 その声はローランス兵の頭の中に直接響き、彼らは頭を抱えて呻いた。
「何者だっ。声が頭の中に……」
「何者だっ、貴様っ」
 重い荷物をおろすように、武器を手から落として口々に訴えるローランス兵に、スレイはもう一度だけ告げた。
「次はない。退けっ」
 その声に突き動かされるように、地面からいくつもの大岩がせり上がった。
「うわあああああっ」
「ハイランド兵が化け物を連れてきたあっ」
「退け、退けえっ」
 明らかに人とは異質の力を目の当たりにしたローランス兵は、我れ先にと一目散に逃げていった。
 ローランス兵が近くにもういないことを確認すると、スレイはルーカスを振り返った。だがその目に映ったのは、ローランス兵と同じ表情の傭兵団長だった。
「……」
 何も言えず、逃げることもできずにスレイを凝視するルーカスの怯えた顔を悲しそうな表情で見ると、スレイはひとことだけ告げた。
「本当に、無事でよかった」
 そしてきびすを返して歩きだした導師の体から、天族たちが次々に現れて各々で話しかけた。
「スレイ、彼らもわかってくれる」
「そうですわ」
「ありがとう……。気休めでも嬉しいよ」
 スレイが少しも嬉しくなさそうな顔でそう言うと、傘をさした少女が告げた。
「泣いてもいいけど」
「ううん。まだ終わってないから」
 まだ少年のあどけなさを残す導師は、ゆっくりと首を横に振った。
「そう」
 少女は自分たちの後ろを少し遅れて恐る恐るついてくる、木立ちの傭兵団の面々を横目で見ると肩をすくめた。

 木立ちの傭兵団をハイランド軍の勢力圏内に送り届けると、スレイは再び火矢の飛び交う前線に向かっていった。
 前線は時間が経つごとに穢れが濃くなり、様々な姿の憑魔と化していく兵士がそこかしこに見られる。
 彼らの互いに殺しあう姿は、まるで悪夢の中にいるような錯覚を見る者に与えた。
 その真っただ中を神依をまとい、群がる憑魔を吹き飛ばしながら進んでいくスレイの耳に、どこからか異様な叫び声が聞こえてきた。
「や、やめろ……。来るなっ。ぎゃあああああぁぁ」
「な、なんだ。なにが起こっているんだ」
 錯乱した一人の兵の叫びを皮切りに、ローランス兵の間に動揺が湧きあがり、さざ波のようにたちまち広がっていく。
 そしてついに一人の兵士が大声をあげた。
「い……一時退却だっ」
「退けーーっ」
 その声に弾かれたように、ローランス兵はおのおので退却を始めた。
 スレイはその流れに逆らうように立っていた。尻尾を巻いて敗走するローランス兵を眺めて歓声をあげるハイランド兵を、険しい表情でスレイは見ていた。
「終わったみたいだね」
「まだだよ。ここに生まれた憑魔を浄化しなきゃ」
「スレイさん……」
「しょうがないな。まあとことん付き合ってあげるけど」
 肩をすくめるミクリオに、スレイはいたずらっぽい笑顔を向けた。
「とことんこき使ってやるよ」
「言ったな」
 軽口を叩く少年たちを眺めていたライラは、ほっとしたように左手を胸に当てた。
「少しいつものスレイさんに戻ったようですわね」
「そうね、まだ油断はできないけど。それに……」
「それに、なんですか、エドナさん」
「アナタはいつ、いうものアナタに戻るのかしら、ライラ」
「それは……」
 ライラがうつむいて黙り込むと、エドナは肩をすくめた。
「ま、どうでもいいんだけどね。ワタシにとっては」
「行くぞ、ライラ」
 答えられないでうつむいていたライラは、スレイの呼ぶ声に安堵したような顔で応じた。
「はい、スレイさん」
「フォエス=メイマ」
 火の神依をまとうと、スレイは戦場の穢れを浄化するために走りだした。
 そのスレイ目がけて狼の群れが襲いかかってくる。スレイが大剣を横に薙ぐと、刃先から火の粉が舞い、狼たちを焼き払っていった。
 続けて飛びかかってくる残りの狼を返す刃で斬りつけると、次に浄化する狼の群れを見つけて移動していく。幾度かそれを繰り返しては、スレイは憑魔を浄化していった。
「スレイ大丈夫か。少し休んだ方が……」
「まだ休むわけにはいかないよ」
 心配そうに尋ねるミクリオに答えると、スレイはまだ浄化の済んでいない場所に移動した。
「これは……」
 戦場で今までにない強い穢れを感じて、スレイは立ち止まった。
「この近くに強い穢れを持つ者がいるようですわ、スレイさん」
「行ってみよう」
 穢れの強い方を見すえて、スレイは走りだした。
 スレイはひっきりなしに襲ってくる狼たちを薙ぎ払いながら走っていると、やがて二人の人影が見えてきた。一人はマルトラン、もう一人はマグニスである。
 二人の戦士は互いに睨みあい、今にも斬りあいを始めそうに見える。
 スレイはマグニスとマルトランの間に割って入った。
「マグニス、一体なにをしているんだ。マルトランさんもっ」
「誰だ、貴様は」
「導師スレイだっ」
 マルトランの前で両手を広げて立ちはだかる少年をまじまじと見ると、マグニスは口元に嘲笑を浮かべた。
「導師……貴様がかぁ」
「そうだ。今すぐこんなことはやめるんだ」
「俺様に意見するとは。さては貴様ローランスの豚どもの仲間だな」
 マグニスは両手で斧を振り上げると、スレイ目がけて叩きつけた。
紙一重でスレイがかわすと、今までスレイが立っていた場所にいくつもの亀裂が走った。
「なんて力だ」
「穢れのせいですわ。穢れの影響で憑魔になりかかっているせいで、通常のなん十倍もの力が出てしまうんです」
「そう。ならこちらも力で押し切りましょ」
「もちろんだ、エドナ。頼むぞ、ハクディムハクディム=ユーバ」
 地の神依をまとったスレイに、マグニスの斧が横なぐりで襲いかかってきた。
「危ない、導師っ」
 咄嗟にマルトランが声をあげたが、それよりも早くスレイはアームガードを盾にして斧を防いだ。
「む……こしゃくな」
「ナメるなよ」
 唸るマグニスにそう言い放つと、スレイは両腕を押し出した。
「うおっ」
「お返しだっ」
 スレイはマグニスの斧の柄を掴むと、思いっきり引っ張った。負けじとマグニスも柄を固く握りしめる。しばらく斧を掴んだまま二人は睨みあっていたが、やがて断末魔の悲鳴をあげて斧の柄は砕け、刃先が地面にめり込んだ。
「そんな……バカ……な……」
 茫然と立ち尽くすマグニスをその場に残し、神依を解除したスレイはマルトランに手を差し伸べた。女騎士はその手を取ると、立ち上がった。
「すまない、世話をかける」
「気にしないでください。アリーシャにとって大事な師匠なら、オレにとってもそうだから」
 心なしか頬を赤らめるスレイに、マルトランは微笑んだ。
「ふむ、なるほど。アリーシャが肩入れするわけだ。貴公は実に愉快な男だ」
「ゆ……愉快って……」
 スレイが返答に困ると、マルトランが思い出したように尋ねてきた。
「ところで貴公はなぜこのような場所に来ているのだ」
「あっ……そうだった。マルトランさん、ここは危険です。オレと一緒にあっちに行きましょう」
「ここは戦場なのだから危険なのは当然だろう」
「えっと……。そういうのじゃなくて。えーと、なんていうか……」
 スレイが説明に困って両手で頭を掻きむしると、マルトランは楽しそうに笑った。
「導師の勘というやつか」
「そ、そう、それ。だから一緒に来てください」
「わかった、導師を信じよう」
「ありがとうございますっ」
 スレイは深々と頭を下げると、マルトランを伴って歩きだした。
 それから十数歩ほど進んだころ、スレイは苦しさに押し潰されるような感覚をおぼえ、胸を押さえて膝をついた。
「うっ……」
「どうした、導師」
 心配して声をかけるマルトランに応えることもできず、うずくまるスレイの内から天族たちが出てきて騒ぎだした。
「この領域、お兄ちゃんのときよりも……」
「冗談じゃない」
「これはどの穢れ……まさかかの者がっ……」
 ライラが青褪めた顔で崖の上を仰ぐと、エドナも震える声で呟いた。
「なんなの……これ……」
 何度か深呼吸を繰り返したスレイがふらふらと立ち上がると、マルトランが心配そうに尋ねた。
「大丈夫か、顔色が悪いぞ」
「ありがとう、大丈夫です。それよりも早くーー」
 マルトランにそう答えたスレイがふと顔を上げると、崖の上の状態が目に飛び込んできた。
「なんだあれ……あれは……」
「スレイさん、これほどの邪悪な領域を持つ者は、かの者しか考えられませんわ」
「あれが災禍の顕主だというのか……」
 崖の上空には戦場に湧いた穢れが渦を巻いて集まり、地上に降りている。そのさまはまるで黒い竜巻のようであった。