2026年04月30日 GW 岩崎城散策②





岩崎城は、

1538年(天文7年)、

丹羽氏清によって

現在の愛知県日進市岩崎町に

築城された平山城です。



この戦いが勃発時、

城主である

丹羽氏次(丹羽氏清の4代後)は

徳川家康に従い

小牧に出陣しており、

城は氏次の弟である

丹羽氏重(当時16歳)が

守っていました。



いわゆる

羽柴秀吉陣営と

織田信雄・徳川家康陣営の間で

行われた戦いである

小牧・長久手の戦いの前哨戦です。



両軍は

小牧付近にて対陣状態におちいり、

たがいに相手の出方を

うかがっていました。



そこで、

池田恒利を父に持つ

池田恒興は

秀吉のもとを訪れて

兵を三河に出して

各所に放火して

脅威すれば

徳川軍は

小牧を守ることが

できなくなるであろうと

具申します。

そこで命令が出ました。



まず、

4月9日の早朝に

豊臣方の

池田恒興・元助の兵7000で

三河にて進行中に、

まずは、

岩崎城を包囲しました。



作戦部隊が

岩崎城の近くを通りかかったことに

気が付いた丹羽氏重は、

池田恒興たちを止めようと

戦いを挑みました




しかも

丹羽氏重の突然の攻撃に

怒った池田恒興は、

岩崎城へ攻せめ込み、

戦いがはじまりました。



これを

「岩崎城の戦い」と呼びます。



丹羽氏重(当時16歳)が

兵300で応戦しましたが、

相手の人数が多すぎて、

戦いに勝つことは

できませんでした。



約3時間で落城し

玉砕したのです。



徳川家康軍は、

岩崎城の敗北を

小牧付近で知り、

本軍と合流し、

長久手と対峙します。



池田恒興たちは、

これから戦になるであろう

後続隊を助けるために

長久手に戻もどり、

徳川家康軍と戦いました。

これが、

小牧・長久手の戦いです。



結果、

森長可、池田恒興が打ち取られ

徳川家康軍に負まけて

討ち死にしていまい、

小牧・長久手の戦いは

徳川勝利で終わりました。

徳川家康は、

「一番の戦功者は池田勢を足止めさせた、岩崎城代・丹羽氏重である」と、

その戦功を

称えたと

言われています。





さて、

明治43年になり、

丹羽軍将兵を慰めるため

慰霊碑が建たてられ、

また、

昭和62年(1987年)には、

展望塔として

五重構造の

天守閣(模擬天守)を

築城しました。

これが

今の岩崎城(歴史記念館)と

なりました。



色々見ましたが

そこで登場の

下水道を見ちゃいましたの。

岩崎城デザインマンホール蓋です。



これ、

2023年に行われた

愛知県岡崎市の

マンホールサミットに

展示されたそうですよ。

つづく・・・





(^^)



 

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