上海 黄浦江から見た浦東(バンド)と外灘の夜景
上海を見て中国に行ったと思う事は間違いです。
20年前に人から聞いた「ことわざ」ですが私も実感しています。
今の上海は当時と違ってもっと繁栄しています。
浦東側には出来たての大橋を渡ってなにもない
陸家嘴(ルウチャーチ)外高橋は散村と葦が生えている田舎でした。
25年前にパン連盟の海外旅行で初めて上海に来た時に
外灘(ワイタン又はバンド)を見て驚きました。
横浜の山下公園と周りの建物の雰囲気が似ていました。
先ず最初に見た黒々とした高層ビルが異常に見えました。
建て方も将棋の駒のように高くなるほど先が尖がっていました。
ガイドさんの説明に第二次大戦前前から
児玉誉士夫が海軍特務機関の情報収集にワンフロアーを
使用していたと説明をうけました。金、ダイヤモンド、レアメタル
特にタングステンを略奪にちかい方法で集めたと思います。
前回のパン連盟で泊まったブロードウエーマンションホテルが
そこでした。李香蘭、川島良子、鄭蘋如(テンピンルー)も定宿に
していたそうです。
邱永漢著「女の国籍」下巻に女主人、北小路華子と
上海実在の表顔と闇世界の超大物「杜月笙」が
逢引に使ったホテルとして登場します。
その頃の高層ビルはブロードウエーマンションの他2箇所しか
ありませんでした。
上記の動画は5月上海訪問でお世話になった送出し機関
成都の金総経理のお世話で初めて黄浦江から外灘と
浦東側の金融街陸家嘴のビルの夜景を楽しみました。
今年万博視察を兼ねて9月パン連盟で上海、西安
視察旅行をしますが、是非夜景クルーズを組入れたいと
思います。もしかしたら万博より喜んでくれますかも?
昼間、外灘まで中山東二路を通り和平飯店角の
南京東路を通り抜け虹橋国際空港まで行きました。
今年9月に2泊する予定は
サッスーン財閥、当時上海キャセイーホテルです。
今は和平飯店と名前が変わりました。
20年前に数回泊まった事がありますが今は休館中です。
今回万博に合わせてオープン予定でしたが現地を確認して
訪問しましたら昔の雰囲気をリニューアルして従業員教育に
専念している期間中ということで中には入れませんでした。
話によるとガーデンホテル(ホテル・オークラ)よりランクが上で
浦東側の88階建てのグランド・ハイアット上海よりも格上と
佐藤さんが話していました。団体予約が取れない場合
予備の為にガーデンホテルも予約してあります。
考察団では花園飯店(ガーデンホテル)が多くの方々の
お気に入りホテルですが格上の旧キャセイーホテルに決めて
予備に予約しているガーデンをキャンセルいたします。
上海一の最高級ホテルに生まれ変わりますので
楽しみにしています。一階にあったナイトクラブの
老年爵士楽団が再会されていたら希望者で聴きに
行きたいです。
和平飯店のスカイレストランで黄浦江からプートンの夜景を
見ながら上海料理を食べるのも楽しみにしています。
あと一つは最上階に有った上海租界時代のサッスーン財閥の
プライベートルームが見学できるかを期待しています。
当時の上海クラブのバーカウンター(今は東風飯店)
ジャーデン・マゼソン現代で見るのも楽しみの一つです。
しかしその繁栄も清国が衰退してイギリスが租界にして
三角貿易で阿片を持ち込んで大儲けし
彼らが造った商館、銀行なのです。
当時の中国人には屈辱的なあつかいをされていましたが
今は観光、金融、上海株式証券取引所があり
これから国際金融都市に変貌していくことでしょう。
休業中の和平飯店ですが外側は完全に完了していました。
和平飯店の南京東路側の出入り口、閉館中の為に
黄浦江の船上から見たワイタン
同じく黄浦江の船上から見た浦東の陸家嘴金融地区
昨日のパン連盟総会の席で、今年9月に上海、西安視察旅行に
今回の夜景クルーズのお知らせをしました。
大勢の参加者を期待しています。
今週もあと二つの総会に出席いたします。
今年暮れには70歳の高齢者の一人になります。
毎月海外出張をしていると体力がなくなっていることが
はっきり判ります。今年に入ってから右ヒザが悪くなり
ゴルフに行く機会も少なくなりました。
ゴルフはあきらめてはいませんが昨日は少し飲みすぎて
帰宅が遅くなりブログを書く時間と根気がなくなりました。
上海から帰国して少し風邪気味になりまだ回復はしていません。
家内に移せば上海風邪も治ると思っていましたが
夫婦で完全にかかった状態で困っています。
今週は総会が3つあります。(木 金 土曜日)
一つは(土曜日)私の会社の期末決算に関する総会です。
昔、当社の総会は家内と寝床で「これでよいか!」
「はい、いいです」で決まっていましたが今は隣に住んでいる
セガレと家族で食卓を囲って5秒間で決まりです。
でも他の総会はそうはいきませんので体力を温存しないといけません。
ですので、もう暫らく品行方正に禅僧に徹します。
家内とは部屋が別々なのが好都合だったのが
最近は身近な事をするのが辛く苦痛に感じてきて
女中代わりに用を言い付け動かしていますが
最近はめっきり私の影響力が衰えてきた感じもします。
心身ともに弱くなってしまい草食系老人になりつつあります。
「濡れ落ち葉みたいにべったりひっついても面倒をみない」
とジョークで言っていますが本音にならない様に
少ない財産ですがしっかり手元において置きたいと思います。
また風邪の回復が遅れている原因のひとつに
急激に値下がりした香港株式市場が影響しているかも。
一喜一憂するな、と言われても生身の私には辛いです。
一喜一憂は惚れた女と別れる、死ぬ生きるで、もめたいですね。
堺屋太一「中国を見よ世界の常識はかわった」その4
このままでは日本は終わる
堺屋太一「中国を見よ世界の常識はかわった」
国際的な地位が年々低下していく日本。
その一因に、日本人の欲望の低下が挙げられます。
特に若い人の欲望が低下していて、
「高級品にも興味がない、大きな家にも住みたくない、
社会で偉くもなりたくない」と考える人がふえています。
なぜそうなってきたかといえば、
社会的成功者を悪徳視する雰囲気が
国中に充満しているからでしよう。
起業して経済的に成功した者、
政界でのし上がって権力を手にした者が出てくると
「ウラで悪いことしているんじゃないのか」と酷評する。
つまり、「嫉妬の精神風土」です。歴史を振り返ってみると
「明るい時代」と思えるのは、成功者を礼賛する時代です。
戦国時代、元禄時代、明治時代がそれです。
戦後の高度成長期には松下幸之助や本田宗一郎が
国民的ヒーローでした。
元禄文化が開花した時代には、井原西鶴
松尾芭蕉、坂田藤十郎といった文化人や役者、あるいは
紀伊国屋文左衛門や淀屋辰五郎といいた豪商が
もてはやされた。
ところがその後、淀屋は「贅沢が町人分際を超える」と
いうので処罰され、官僚統制で「心中物」は禁止になる。
だから享保年間は、文化もしぼむ暗い時代になった。
このままでは日本は終わる
イギリスを再生したサッチャー元首相は、
「嫉妬は人類最大の劣情、嫉妬による政治は悪い政治」と
喝破しています。業績を上げた人、大きな成功を収めた人を
素直に賞賛するような社会に変えていかないと、国民の
間から意欲はわき上がってきません。
日本に閉塞的な雰囲気を作っているのは、官僚です。
現在の官僚は、大きな業績を上げなくてもいい、
天下りさえできればいいという「身分」に成り果ています。
官僚文化の否定も同じです。「官僚は偉くない」と国民が
思うようになったら悪しき官僚文化、官僚支配は滅びます。
最近は官僚文化の劣悪さがだいぶ世の中に浸透してきました。
通産省を退官してから過去20年間、官僚制の弊害を
指摘してきましたが、ようやくあと一歩のところまで来たと
実感しています。
田母神 元航空幕僚長の講演会を聞きました。
両方の団体の役員をしていますが講演会の無い方には
セガレに行かせました。
KKR東京ホテルで「ジャパン・ベッカーマイスター協会」の
総会後 元29代航空幕僚長 田母神俊雄氏の
講演会が90分にわたり熱演していただきました。

ベッカーマイスター協会では毎年話題の講師を
招いていますが今回だけは聞き逃せません。

KKR東京11階からの景色は皇居の緑と
大手町三井物産をはじめビル群がきわだってみえました。
講演日の当日、数キロ先の外務省飯倉会館で
馬鹿にされ、なめられている鳩山首相、
岡田外務大臣とクリントン国務長官が、
たった3時間の滞在で食事もしないで
慌ただしく4泊5日の中国訪問途中に
立ち寄った日です。
帰宅後テレビを見ていて完全にバカにされた
行動にしか思えません。鳩山首相が中小企業の
社長だったら会社は完全に潰れています。
金持ちのボンボンには危機管理能力が
欠如しがちになるのでしょう。
動画は撮ってありますが今回の講演内容と
同じ部分がユーチュウブに公開されていましたので
私の動画はあえて公開しないことにしました。
当日の講演会の内容は田母神氏の著作権(肖像権)に
触れる可能性があるので、
きわどい話は動画に公開できません。
90分間「縦板に水を流す」ごとくまとまりのある
話し方で聞き入ってしまいました。
左翼思想に偏り経済活動、派遣、雇用手続を
規制して、格差を理由に裕福層も貧乏人に
なれと思っている今の民主党、社民党、国民新党の
話は真実をついていました。
現在、田母神氏は現役時代よりも忙しく
日本中を駆け回り月に20回の
講演依頼を受けて多忙な日をすごしています。
移動日を含むとほとんど休日はとれませんね。
依頼先は私の感では企業経営者、商工会議所、
経団連、協同組合あたりで間違っても労働組合
市民団体、人権団体、左翼思想に近い朝日新聞系統
愛読者ではないことだけはハッキリいえます。
講演会に参加しているパン企業、製粉企業
油脂会社、食材業者、関連企業の管理職、
オーナーの大きな拍手が長く続き講演後には
久し振りにパーティーで美味しい酒が飲めました。
堺屋太一「中国を見よ世界の常識はかわった」その3
堺屋太一の「中国を見よ世界の常識はかわった」より
日本はカザフスタンと同列
貼り付けはじめ
オリンピック、万国博覧会と立て続けにステップを
踏んできた中国が、次に目指す目標は、おそらく
台湾の取り込みでしょう。中国は覇権主義の国では
ありません。
アメリカやヨーロッパにまで関与しようとは毛頭考えておらず
アメリカからのG2体制の構築を持ちかけられた時にも
これを断っています。
ただし「中国圈」の内側に対しては非常に強い支配権を
求めています。だからこそ中国は懸案である台湾を
取り込み、香港と台湾、そして中国本土という一国三制度を
目指す可能性が高いでしょう。
一方、日本の鳩山首相は「東アジア協同体」を提案していますが
鳩山さんが考えている「東アジア」とは、東シナ海あたりを
中心にした、日本、韓国、中国の沿海部の「東アジア」です。
中国の考えている「東アジア」は違います。中国の主宰する
「上海協力機構」のメンバーには、ロシアをはじめ、カザフスタンや
ウズベキスタンなど西域の国々がはいっています。
中国の想定する東アジアとは、西安あたりを中心に東西南北に
広がっている。日本にはカザフスタンなどと同じ隣国に一つです。
カザフスタン、ウズベキスタンは天然資源が豊富ということもあり
中国は非常に興味を持っています。中国から見た「東アジア」は、
中央アジアを含む範囲で、鳩山首相がイメージしているものとは
まるで違うものです。
中国にとって日本に対する感心は、それらの国々に対するもの
以上ではありません。
貼り付け終わり
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西安は以前は長安といわれ中国4000年の歴史のある
都でした。秦の始皇帝の兵馬傭が発見された場所です。
シルクロードの出発地点でヨーロッパ地方の白人が
裸足で食事は手づかみで食べていたころ長安は
石畳の道路に馬車が走っていて整備されていました。
もちろん食事は箸で食べていましたと聞きました。
昨年考察団で行った時に巨大な城壁を見て驚きました。
城壁内、城壁外の建物風景が全く違います。
多くの青い目の白人の踊り子が出稼ぎに
来ていたそうです。私の推測では中には売春婦も
多くいたと思いますがそこまで聞くのを忘れていました。
今年9月に再訪問いたしますので同じガイドさんに
確認をしておきます。
初めて中国観光に行く方には秦の始皇帝の
ことわざに「上海を見ても中国を見て来た」と
話すのは勘違いをしているのと同じです。
堺屋太一「中国を見よ世界の常識はかわった」その2
私は北京パン工場に投資していますが決して中国人を
100%信用はしていません。パン作りの従業員にも
たくさんの問題点があり、総経理からの話を聞いていると
おどろく事が多くあります。
特に学校教育、家庭内躾け、自己中心の考え方には
日本との格差がありすぎて総経理は悩みがつきません。
しかしそんなことで後づたいする訳にはいきません。
堺屋太一「中国を見よ世界の常識はかわった」その2を
お知らせします。
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貼り付けはじめ
近代工業社会のスッテプを凄い勢いで駆け上がっている
中国では、自信にあふれています。
それを裏打ちしているのが、彼らのゆるぎない自尊心です。
私は万博で中国と深い付き合い、これを痛切に感じました。
たとえばパビリオンの配置です。万博会場には
西洋の伝統に基づき、クラスター方式といって
中央の広場を囲むようにパビリオンを配置するのが
普通でした。
ところが中国は
「われわれの先祖は長安(今の西安)の都を
作った時に、基盤の目状の都市計画(九経九緯)を
発明した。上海万博もこれでやります。」と決めている。
しかも中央部、かつての都では皇宮があったところに、
巨大で真っ赤な中国館を建ててしまうのです。
さらに「中国で発明した基盤の目状の都市計画は、
最近ではニューヨークやサンフランシスコでも
真似されています。とまで言う。万事はこんな調子なのです。
オリンピックの開会式ではこれまで先頭のギリシャ別として
参加国が国名のABCの順で続いて行進するものでした。
しかし、北京オリンピックのときにはギニアが二番目でした。
なぜか。画数が少ない国から行進させたからです。
ギニアは中国語で書くと「几内亚」最初の字は「几」で
二画だったのです。
「中国文化を第一のものとして考える」それを理解して
彼らと付き合う必要があります。
貼り付け終わり
下丸子の中小企業団体 工和会協同組合の総会
大田区下丸子地区の中小企業、町工場が主体の
工和会協同組合の総会が5月19日太田区民プラザで
開催されました。
昭和23年設立された下丸子地区の歴史ある工作機械
精密機械、食品製造(?)の代表的な協同組合です。
菊池理事長とは飲む、打つ,(株)買うで中国で
同席したことが度々あります。彼の会社も中国深センに
工場があり中国通です。特に得意のカラオケ屋での
もて方はケチな私と違って札びらをきって気前よく
ばらまくので勝てません。
理事長に何ひとつ さからえない事務局の司会者と
右が再任された こわおもての感じがする菊池理事長
今回も満場一致で再選されました。腕力もありイカツイ顔
行動力もあり押しも強く理事長にはうってつけです。
精密工作機械についてはよく NHK,BS放送で大田区の
技術力、景気について出演を依頼されています。
再任された理事長の講演をお知らせします。
今年に入って2~3ヶ月間は半導体関係の仕事が
リーマンショック前よりも受注が多くなり景気は完全に
底打ちして忙しくなった。
韓国のサムソン、台湾の・・?企業からの注文で毎日
残業をしています。半導体に関する金型、プラスチック加工
裾野が広いので下丸子の精密機械、機械加工は
パン屋以外はいそがしくなりました。
一時、外国人研修制度で人員補強をためらっていましたが
再開する方向になったと話していました。
次回 成都での送出し機関訪問の時には同席して
成都美人とカラオケを楽しんできます。
堺屋太一「中国を見よ世界の常識はかわった」その1
北京滞在中パン工場で働いている社員、総経理と
会食中 万博の日本産業館代表を務める
堺屋太一氏の「中国を見よ世界の常識は変わった」を
コピーしたものをもらいました。
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貼り付けはじめ
日本経済がなかなかデフレから抜け出せない一つの要因
として日本の生活の質の下落(デクォリフィケーション)が
進んでいることに注目すべきです。
「デフレ」物価下落、より「デクォリ」のほうが怖い。
去年11月、私が上海のジーパンを作っている縫製工場を
見学したときのことです。
ジーパン製造の工場側の説明に私は衝撃を受けました。
手前の製品は日本向けで、
卸値が20元(280円)のジーパンです。
真ん中は、中国向けで40元(560円)。
向こうが、アメリカ向けで100元(1400円)です。
20元のジーパンを買うのは日本人くらいしかいない。
最近の中国人はこんな安物を買いません。
見てください、日本向けのジーパンは
ミシンの目をこのぐらい飛ばして縫うんです」
並べて見せられると、品質の差は素人目にも歴然。
そのジーパンが日本では800円程度で売られ、
抵抗感もなく受け入れられているのです。
「より高いもの」を求め始めた中国とは、
まさに対照的です。
皆さんも自分達の住生活を思い浮かべて下さい。
21世紀になってから、
自宅にお客さんを招く習慣があったのに、
すっかり廃れてしまいました。
その影響で、インテリアに気を配る人がどんどん減り
「住宅の納戸化」、という現象が進んでいます。
つまり住まいが物置化し、そのすき間で寝起きするような
生活を送っている人が増えているのです。
これでは高級家具も売れませんし、
高級衣料、高級食品も売れません。
こういう衣食住の質がどんどん下落しています。
貼り付け終わり
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上海の地下鉄を利用して展示会場まで行きましたが
通勤客の服装は丸の内、大手町付近に勤務している
サラリーマン並み以上に決まっています。
日本での閉塞感になんとなく暗さを感じていましたが
今の政府の考え方も皆で貧乏しても格差を無くそうとしています。
出向前の官僚は省庁の既得権益を守る為に必死になっていて
どうも国民目線のことなど一切おかまいなしの様です。
今回の宮崎県での口蹄疫騒動の大事件も数年前でしたら
農水産大臣の一言で(いわゆる族議員の?)
もっと違ったかたちで拡大しなくて済んだかと思います。
官僚を無視した政府主導にも起因があるのでしょうか。
上海 新天地の鼎泰豊で会食をしました。
鼎泰豊 (てんたいふぉん) 新天地店で食事をしました。
台湾の台北市にある鼎泰豊で初めて食事をしたのは
25年前になります。下町の何所にでもある
点心を食べさせてくれるお店と記憶しています。
入口にあるガラス張りの厨房を通り向けた奥に
客席があり満席になれば2階席までありました。
当時から下町の繁盛店でいつも込み合っていました。
ゴルフに夢中になっているころで1~2月の
シーズンオフは台湾まで行ってプレーをしていました。
プレーが終わると時々来店していました。
ゴルフ以外は台湾グルメ、夜総会が楽しみでした。
最近は台湾には行く機会が少なくなりました。
上海から帰国前の前日、新天地の変貌とテナントの
入れ替わりを見たついでに上海の鼎泰豊で
会食をしました。
場所柄お客で混みあって観光客をはじめ
上海人のアベック、家族で立て込んでいました。
東南アジア各国、各都市に支店を出していますが
高めの値段、均一の味については本店とは
雰囲気はかなり違った高級店になっていました。
台湾と違って財布の中身を確認して入る店でした。
最新の新天地の動画です。流行の最先端の場所です。
商売人は上海に行った時には必ず見て回るところです。
食後22:30分ごろ新天地を通り抜けましたが
大変な人混みでした。観光客の中には欧州人も
多く滅多に行かない赤坂六本木の雰囲気よりも
賑やかでした。
しかし一年に一度、物見遊山で一度見れば上海の
流行は判る気がします。
今回は成都からの金総経理グループの方々との
会食にお呼ばれとなりました。次から次、テーブルは
置き場所がないほど注文して散財させました。
二日間ビールの次は浙江省古越龍山 陳年は
味はまずまずですが台北本店の下町の家族的雰囲気はなく
高級点心料理店に変身していました。
羽田便で帰国しました。
上海ユニクロがオープンした日に帰国しました。
その当日、虹橋国際空港より JL13:50発
羽田空港到着便で帰国いたしました。
羽田第一ターミナルまでシャトルバスに乗り
直行バスでタマプラザ駅まで行き自宅には
19:00に着きました。
成田と違って必ず渋滞にまきこまれながら都心を
通りぬけ自宅に着くまでは飛行時間より
多くかかる時もありました。
今年10月より新国際ターミナルに移転しますと
出来るだけ成田をさけて羽田発を利用したいと思います。
今回同じ飛行機にはユニクロの柳井社長が
同乗していました。もちろんビジネスクラスです。
空港には出迎えの車と数人の社員が来ており
颯爽とスマートに帰国していました。
オープンを見届けて帰国したのでしょう。
私を含め社員は毎回エコノミークラス利用ですが
近距離の3~4時間は苦にしません。
しかしビジネスクラスには旅費規定を使って 宮使いの
役人、地方公務員をはじめ民間会社の部課長クラスと
思われるサラリーマンが多く利用していますが
お金の出どころは税金、又は会社の金(費用)ですので
いかがなものかと感じますが・・・
中小企業の社長は会社の金も自分の金も
出どころは外ポケットか内ポケットかの違いです。
とくに製造業の仕事にたずさわっているオヤジには
その傾向が見られます。








