下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -119ページ目

今年3月NHKであった日米同盟に関する討論会



今年3月にNKHで、日本のこれからの「日米同盟」についての
討論会を動画で再現して聞いてみました。

桜井よし子女史の正論がかき消される場面も多くありましたが
市民参加者側に市民運動家も混じっていて左翼理論を度々取り上げる
偏った番組ですがいかにNHK放送と言えど偏りすぎています。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid797.html

上記のアドレスに放送内容が詳しく書き込まれていますが
とても参考になりました。その後、元鳩山総理が問題を起こした
普天間移転問題後 米国の冷え切った態度を見抜いた中国は
早速、領海侵犯衝突、尖閣諸島問題が起こり、
抜き打ちにロシア首相の北方領土訪問と弱体した日本政府の
足元を見抜いて脅かしてきました。

「you tube」から借りてきた動画で問題はありませんが
NHKからの抗議でAmeba側が勝手に消去する場合があります。
you tubeで見れば問題ありません。

三つの動画を見終わるには時間がかかりますが日曜日の
時間つぶしには丁度よいですよ。

桜井よし子女史は中国の尖閣問題、ロシアの行動を
この時から見抜いて話している様に感じてビックリしました。









見終わった方は下のアドレス・ブログを書いている方の
意見が書かれています。

http://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/34827269.html

あの左翼思想の姜尚中が「マシ」に見えるし
あの田中均が「超まとも」に見えるんだから恐ろしい番組でした。


家内、嫁、親戚を連れて香港B級グルメ食べ歩き

仕事、株式投資、ゴルフをを忘れて香港B級グルメツアーを

してきました。家内、嫁、親戚を含めてのファミリー旅行です。


ハブ空港を目指している羽田国際空港がとても便利です。

これからの海外旅行は羽田発に限ります。今後成田発でも

目的地で合流するか、トランジットして合流することのできる

旅行に切り替えます。ANAの機体は新しいB777-300で

座席も広く新品の匂いもして快適です。

香港まではマイレージを使ってエコノミークラスです。


横浜、タマプラーザ駅発の直行バスで45分で羽田まで行けます。

70歳を越えて前期高齢者(?)になりましたので年寄りには楽な

旅が可能になりました


数十年前ナショナルフラックを表明していた航空会社へ

機内食用パンを大量に納品していました。当時その会社は

極東地区は香港にありました。


そのために度々訪問、ついでに現地でスワイヤーグループの

機内食会社を見学したりしていました。


今は取引はしていませんが香港は

衣食住が一つの地区にかたまってあり何処を歩いていても

生活の匂いが感じられ、気取ったところが無いのが好きです。


同じ東南アジアでもシンガポールも国際都市ですが小さな国でも

行きたい町と町が離れていて歩いていける都市ではありません。


都市計画で造られた都市や地区は行っても落着きません。

特に高齢者にはその傾向があります。


同じ横浜でも関内、山手、野毛は昔から生活の匂いがしますが、

「みなとみらい」は三菱造船工場跡地に

ラウンドマーク・ホテル・博物館諸々設備されていますが

歩いているだけで疲れが一気にきます。

それに私にとって美味いレストランもありません。


話がそれましたが後日ブログに書き込みをします。










手島龍一著スギハラダラーに登場する大物

日本経済新聞12月22日水曜日朝刊に書かれていた

記事でとても興味のある内容が書かれていました。


手島龍一著 「スギハラダラー 」は今年読んだ一番の傑作で

面白さは抜群でした。


個人的感傷は6歳の時に満州ハルビンから

昭和21年に引揚者として着のみ着のままで引き揚げてきました。

小学校一年を途中から入学、授業も記憶もとびとびで,うすく

おまけに毎年引越しをして小学校だけでも六回転校しました。


共通するところは今回日経新聞に書かれた

シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)グループの

レオ・メラメド名誉会長の経歴でした。


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新聞の写真をクリックして写真に写っている

レオ・メラメド氏の経歴を確認してください。


「事実は小説より奇なり」を思い起こす人物です。


スギハラダラーを読んでいたら当時同じ時代の

境遇の3人の子供が成人してからも目に見えない糸で

結ばれているノンフィクションにちかい小説でした。


三人の内の一人の人物が大物にになったレオ・メラメド氏で

シカゴ商品取引所を舞台にした奇々怪々の取引内容です。

物語の筋書きも分かりやす読み応えがありました。


事実であればインサイダー取引で世界中大騒ぎになる

物語ですが、もしかしたら作り話ではなく手島氏一流の

ある事件をヒントに事実を書き綴った感じがします。



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貼り付けはじめ

その方程式に、世界は三度死んだ――。

9.11にも金融恐慌にも仕掛人がいる……。

スティーブンが金沢で仕込んだリーマン・ショック情報。


マイケルが9.11前後に目撃した金融市場の奇々怪々。

テロリストの資金源を追う『ウルトラ・ダラー』の名コンビは、

やがて屍の上に築かれた仕掛けに辿りつく。


杉原千畝が救ったポーランド難民が革命的な金融商品を

産み続けて半世紀、その苦難の航跡がすべての始まりだった!


1987年のブラック・マンデー。寄り付きから売りが殺到して銘柄のほとんどに値がつかない状況を前に、ニューヨーク証券取引所は市場を閉鎖し、全米市場の心肺機能は停止するかに思われた。


 だがその時にあって、シカゴのマーカンタイル証券取引所は最後までゲートを開け続ける。いったん市場を閉じて嵐が過ぎ去るのを待つべきだ、とする声に、アンドレイは一切耳を貸さない。


後になって尋ねられる。「なぜあの時、あなたは閉じなかったのか?」と。彼は答える。「それは、私がスギハラ・サバイバルだったからでしょう。そうとしかお答えしようがない







貼り付け終り

年末まで株価の入れ替えを実行中です。

10年近くのあいだ中国株を塩漬にしていた銘柄を整理しました。


今年は損切りした成長株を長期に保有できる株に切り替えました。

12月に入ってから儲けのカスで保有していた数銘柄も処分して

値下がりしている(1068)雨潤食品と

将来水不足、泥水処理に中国各地で問題が出てきますので

(0371)北控水務を買い増しをています。もちろん買い増しは

していませんが神冠も持っています。


(1068)雨潤食品は政府が食料高騰を抑える処置を

実行していますので値下がりがとまりません。しかし下がる度に

買い増しして弾(売却株)が無くなるまで買い続けます。


31ドル近くまでしていた銘柄なので5倍、10倍になる銘柄では

ありませんが優良銘柄として持ち続ける気持ちになっています。

会社の資金繰りで利用する際にも直ぐに現金化できる

銘柄としても魅力があります。


成長株オンリーでは市場が小さいので直ぐに現金化は難しいです。

極端な例でしたが日本円換算で時価発行20億円程度の

常茂生物では売るに売れないので池で鯨が泳ぐ感じになります。


常茂生物を訪問した時はとても良い会社と判断しましたが

後日、再度訪問して質問したときの代表のオーナーの

持株比率が10%しかなく驚いたこともありました。


20億円程度の会社で10%はあまりにも少なすぎます。

自分の報酬には熱心になりますが株主対策は後回しに

したくなるのでしょう。雇われ社長並と勘違いしました。


時価総額20億円の棟華石油も似たようなもので

時価総額500億円以下は成長株でも手を出さない事にしました。

理由は70歳になって貯めるだけでは墓場まで

持っていけないし・・・

株が成長するまで時間がないし待てないからです。


おかげで売却損も桁外れに出ましたが含み益もあるので

帳尻は良しとしています。


全て売却後は持株銘柄を少なくして長期保有に切り替えます。

江西銅行、中国金属再生資源も長期保有銘柄として

今後持ち続けて定期預金のつもりで時代の節目までは

売買しないつもりでいます。


今まで大ケガをしなくて済んだのは持株の30~40%は

優良株を組み入れていたからだと思います。

今は持っていませんがペトロチャイナ、中国人寿など数種類の

銘柄で助かりました。






ジムロジャーズを翻訳しているブログでの発言が気になります。

シンガポールに移住しているジョージ・ソロス氏の
元ファンドマネージャー ジム・ロジャーズの書いているブログに
気になることが書かれていましたので貼り付けします。

貼り付けはじめ

日本はポルトガル級の国力まで落ちる可能性がある。


 昨年、日経マネー誌で、「《冒険投資家》
ジム・ロジャースからの手紙」という連載を執筆していた
竹内浩一氏が、当時記事にしなかった日本と日本株に関する
ジム・ロジャーズの発言を Asia navi で記事に書いています。

ジム・ロジャーズ氏は中国人民元に投資しています。


What other currencies do you like right now?

Q:
 あなたは、現在、米ドルとユーロの他にどんな通貨を好みますか?


The renminbi. I own and every chance I get I buy more renminbi because it's not that easy to buy the renminbi. You can't just pick up the phone and buy more renminbi, but when I can and I'm there I buy more renminbi. I don't like to use the word "safe" talking about investments but probably the least risky investment I know of any kind is to own the renminbi. I don't see how one can fail by owning the renminbi over the foreseeable future.

ジム・ロジャーズ氏:

 人民元です。
 私は人民元をすでに持っています。
人民元を買うのは容易ではないので、
機会がある時には買い増しています。

電話だけで人民元を買うことはできませんが、
私は人民元が買える場所にいる時は、買い増ししています。

投資の話をしている時に“安全”という言葉を、
私は使いたくありません。しかし、おそらく、
人民元を所有することは、

私の知る限りのあらゆる投資の中で
もっともリスクが低い方法です。

私が予測できる将来において、
人民元を所有して失敗することは考えられません。
貼り付け終わり

ジム・ロジャーズ氏の予言が当たるようでは日本の将来はありません。
ポルトガルの国力はすでに破綻寸前ですから大変なことです。

中国を好き嫌いと言っているあいだはまだ余裕がありますが
私も中国の嫌いな部分をブログでたくさん書きましたが
商売・株式投資については儲かる所にはリスクがあっても進出します。

今の政治にたいして行政、立法に閉塞感が充満しております。
これからも企業の海外進出はもっと進み経済は落ち込んで
ジム・ロジャーズの予言が当たる可能性も出てくるでしょう。









50年間一行取引の主力取引銀行から貸しはがし・・

先週は自分自身の仕事、考え方、株式投資、チャンスについて

考え方を書きましたが本音の部分は変わりません。


70歳になっても事業と株式投資については止められません。

ボケ防止に役立つといっても欲得はついて回ります。


リーマンショックの2008年は売上げが数十パーセント落ちて

創業以来の落ち込みでした。今まで経験したことの無い

不況に精神的に大変でしたがその年の決算でも

赤字を出さず税務申告が出来ました。

しかし極端な売上げ減は銀行は手のひらを変えてきます。


しかし個人を含め会社の資産の部にある有価証券は

全て中国株でした。10年前から取引先の製粉会社、

銀行、協和発酵、お得意先の株も全て売り払い

日本株は一株も持っていませんので不況の時に助かりました。


「日本株よさようなら、中国株よ今日は」で生き残りました。

少々の営業損失は中国株の含み益を売り飛ばしたらすぐに

申告利益が出てきます。


日本株の投資をしていたら会社も個人もやられていて、

動きがとれず三菱東京UFJ銀行から貸しはがしを受けて

困っていたと思っています。ブログを書きながら気がつき、

良かったと思っていることは会社の主力取引銀行に

個人預金を一銭もしていなかったことです。


給料振込みは会社の取引銀行口座にしていますが

運用は他の証券会社で中国株運用をしていました。

もちろんネット証券会社もあります。


銀行は50年間一行取引で信用、信頼を得ても一旦決算内容が

悪いと判断したら、すぐに貸しはがし体制に出てきます。

今回50年目で始めて経験しました。


当社には、まさかと思っていましたが直ぐに貸しはがしに

やって来ました。そんな経験から

「銀行の思いと借りた企業の当て外れ」について


年末まで経験した内容を何回かに分けて書いてみたいと思います。

自営業者、経営者には参考になると思います。






事業の利益と株の利益は内容がちがいます。

事業で出した経常利益と個人が株式売買でだした利益は

儲けは金は同じですが全く違います。


事業で出した利益の一部を有価証券(株)で持つ事は

内部留保する手段として大事な事です。


仕事もしないで株式投資だけで生活している働き盛りの男が

最近話題になりますが、

私個人としては如何なものかと思っています。

楽して生活が出来るならばそれに越した事はありませんが

身内にそんな奴がいたら恥ずかしくて、いたたまれません。


例えば事業で年間1億2000万円の売上げをあげている

製造業があったとします。職種は問いません。


材料仕入れに4000万円、経営者を含めた人件費4000万円

販売経費、製造経費、保険、固定税金、運賃等々3500万円

経常利益500万円、


パン屋以外の工作機械、食品製造、プラスチック加工

でも物作り会社の経常利益は理想通りにな出ませんけど、


一ヶ月の人件費340万円は中小企業では

社員、パートを含めば10~15人規模の会社になります。


なにが言いたいのかは

仕入れ業者に頭を下げられ「いつも大変お世話になっております」

と感謝され、従業員には給料を支払い生活の保障をしています。

お客様、お得意様には毎月、約束通り安心な商品、製品を

買ってもらったり納品して感謝されています。


商売は、お互いに約束を守り尚且つ金が回まわり回って

皆に感謝されています。


しかし株式売買では損得の世界で最終的には

10人の内1人しか儲かりません。

年間1億円の売買をして1000万円儲けても世間では

感謝されませんし尊敬もされません。

ゼロサムゲームの虚業の世界です。


人間死んだ時に浮世の義理でお通夜、告別式で来た人数で

判断できます。

たとえ浮世の義理でもお世話になったり、お世話をしたりした

人間関係がその人の値打ちを決めてくれると感じる様になりました。


あくまでも私の主観ですが・・・














国民の義務について考え直しましょう。

60歳の定年を迎え第二の人生を株式投資に通やして

頭を使うことにはボケ防止にもなり頭の体操にはよいことでしょう。


しかし30歳代から50歳代の働き盛りに定職にもつかず

親の遺産や不動産収入を原資に株で儲けようとしている

人達もいます。

彼らの名刺を貰っても実態が無かったりした時はがっかりします

今はネットで検索しても帝国データバンクで問い合わせても

内容は簡単に調べられる時代です。


それだけ一般社会が豊かになったのでしょうが、親が稼いだ

財産を親子二代に渡って「稼ぐ人、使う人」と分けられるのでしょう。

現在、所得税も払ったことの無い働き盛りの無職の人間は嫌いです。

日本にいる限り税金で出来た公共機関にはお世話になっています。


たとえ株で数千万円儲けても尊敬されることはありません。働いて貯めた

預貯金の一部を株式投資に回し運用することには賛成ですが、


本人は投資家のつもりになっているのでしょうが、

私は無職扱いにして近づかない様にしています。

働く意思があれば職業選択を妥協すれば60歳までは必ず

働けます。能力も無いのに自分の理想だけを追い続けても

仕事はみつかりません。


国民、三つの義務をもう一度読み返してみました。


張付けはじめ


日本国憲法には、国民の義務として、

教育の義務勤労の義務納税の義務の3つを定めている。


これらは一般に、「国民の憲法上の義務」あるいは

「国民の三大義務」と呼ばれる。


人権規定を定めた第三章の中に義務規定を置き、

その標題を「国民の権利及び義務」としている


                            張付け終







先方から来たチャンスを逃がすな!

昨日に続いてチャンスについて書きます。


学校を卒業し親の扶養から自立して仕事に就くのが

普通だと思います。社会人になってから10年に一回は

大きなチャンスに出会う確率が大きいと思っています。


20歳代、30歳代、40歳代、50歳代と4回は必ず誰にでも

平等にあるのですが無意識の内に逃がしてしまうのでしょう。

60歳代でも大きなチャンスはあります。


出身校、学歴、会社員、自営、企業経営者、職種に関係なく

神様は平等にチャンスを与えてくれますが、物にするのは

自分自身でしょう。人生で大きなチャンスは4回はあると思います。


普段でも小さなチャンスは月に数回あるはずですが

気が付かないで通り過ごしてしまうのでしょう。

私も振り返ってみると数えきれないほど逃がしています。


私も過去、10年毎に一回、計5回 60歳代で、もう一回

合計6回、大きなチャンスにめぐり合い何とか現在に至っています。


成功者とはいえませんが自分の器以上の能力は

出せませんので中小企業維持がちょうど良い能力限界と感じています。


60歳代のチャンスは7年前に先生から北京にパン工場と店を

造らないか、と言われた時に即決即断で決めていました。

一応家族に相談しましたが反対を押切ってでも決定したはずです。


理由は1988年(22年前)から先生の台湾、香港、

中国視察旅行に同行していましたので現地の様子など

わかっていたので海外進出には抵抗がありませんでした。


当時、中小企業のパン屋の海外進出に対して同業者をはじめ

関連業者はけげんな考えかたでした。いまだに中国でパンの

同業者が成功している例は聞いていませんので

Qカフェーのパン工場は必ず成功します。自信があります。


先行投資をしてきましたので、お得意先からは絶大な信頼を

得ていて、次から次と商談が舞い込んでいます。

北京一の大工場を目的にしていませんが中堅企業として

良質な商品を提供できる日系企業を目指しています。


来春には機械設備を一新し、日本製の新型ライン設備増設を

予定しています。増資、増資の設備投資ですが苦痛に感じない

事は70歳代でもう一度チャンスが訪れるのかもしれません。


間違いなく70歳代にもう一度必ずツキのチャンスがやってきます。




人生一生のあいだにはチャンスはたくさんあります。

70歳の古希を迎え人生の第4コーナーを回りだしました。

仕事は現役のつもりですが社内では疎外感が

少しでてきています。少しぐらい自分の思っている

人生の生き方が参考になればと書きました。


昭和21年満州ハルビンから引き揚げて来て就職先のない

親父が電信柱に貼り付けられたパン配達人募集に応募して

毎日自転車で配送をしていた時代は日本人全員貧乏の

どん底で、農家の作物を物々交換や買付けした時代でした。


貧乏が恥ずかしくない時代でしたので子供は元気いっぱいに

遊んでいた時代です。米、砂糖、油をはじめ統制時代で

外食券を貯めてから材料の仕入れが出来たのです。


それでは商売にならないのでヤミで買うしかない時代でした。

国民全員ヤミ物資で生きながらえた時代でした。

当時裁判官か検察官(?)だと思いましたがヤミで食料品を

一切買わないで栄養失調になって死んだ人の話題を

聞いたことがありました。


父はハルビンで民族系石油代理店の販売業だったのでパン職人には

なれず配達・雑用係で仕事をしていました。

パン屋のオーナーはヤミ物資横流しで捕まりましたが

ひと財産出来たのでパン屋をやめて家も建替えてしまいました。


そこで父は働いていた従業員を集めて中野で小さな仮工場を借りて

パンを作らせお得意先に配達していたのです。

そのお得意先は当時国鉄列車内に収めていた日本食堂と

新宿駅構内、駅弁の田中家でした。


日本食堂は駅構内の食堂経営もかねていて、

戦前の駅弁会社を一まとめした外食産業でした。

昭和20年代から50年代までは主力のお得意さまで

何とか商売をさせていただきましたが時代と共に営業形態が

変わり日本食堂もJRや東海に吸収され取引は終わりました。


交通機関との取引で小さな会社でしたが商売での

金銭における信用だけは一番大事にして

現在まで山あり谷あり、試行錯誤しながらきました。


「何を言いたいのか」は人生一生の間には誰にでも平等に

チャンスがあると言う事です。もちろん出会いで瞬時につかむ

ことも有りますし逃がすこともあるでしょう。


私は下丸子の中小企業ですが友人の同業者は創業15年目で

株式上場できる企業に育ちあげた優良企業もあります。


神様は平等かつ全員にチャンスを与えてくれていますが

大方の人はボーとして捕まえることもなく過ぎてしまうのです。

職種、年齢、学歴、勤労者、自営に関係なく、自分で捕まえるか、

一寸したキッカケを瞬時に決定できる人です。


「神様が与えたチャンス(運)は誰にでも平等にある」

思って書きました。