北京で独立し経営者に成った邱グループの若者 | 下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog

北京で独立し経営者に成った邱グループの若者

邱永漢先生が亡くなって3年が過ぎてしまいました。

亡くなった年に中国で仕事(勉強)していた若者数人はそれぞれの
自分で決めた道に行くことになり日本に帰った若者、台湾、成都、
北京に残った若者それぞれ自分自身で運命をきりひらく。

彼らは偏差値の高い難関の一流大学を卒業していますが
会社に一生使われる勤め人にあき足らず野心を持って海外で
一旗あげたい一心で行った若者達です。

その中の一人、萩本君は三全公寓からほど近いマンションビルの一階で
日本料理飲食店をたちあげました。坪数の関係で二つに分けて
向かって左を熊本豚骨ラーメンを売り物にした店。

向かって右の店は焼鳥を主体にした居酒屋タイプで営業していました。
今回は向かって左の店名「鐵」の豚骨ラーメンを売りにした飲食店。

私が上からの目線で見下げた態度で
一流大学卒業してラーメン屋か・・(落込む)」と思い
野毛、桜木町、関内 付近場末の男臭い肘ついたらシャツがテーブルに
こびり付いたラーメン屑、辛油がついて取れない店を想像していました。

行って見てびっくりしました。店内は和風造り料理は蒲田・川崎あたりの
小料理屋に負けないセンスある料理で一つ一つ手抜していない
和食職人並みの出し方にはびっくり仰天しました。

食通の邱永漢先生が食べても褒めてくれる事間違いなし!

三全公寓の日本人家族をはじめ進出日本企業の社員が多く来ている。
予約しないと席が取れないほどの繁盛店です。

前回も何回か食事しましたが口コミで客が切れることがない。
そのビルには三軒の日本人経営店が入店していますがひけを取らない。

すでに三店目をオープンして萩本君には会う事が出来ませんでしたが
頑張っている。オープン当時は睡眠時間3~4時間しかとれず

自宅に帰れず店で寝たそうです。やはり人に使われていた時とは違い
自ら資本金を出して足りない分は友人が出資したと聞いていますが
独立すれば気合の入れ方も違ってくるのは当然でしょう。

資本金だけ出資して人任せで会社・店にも滅多に行かない人はダメです。
萩本君の成功は私にとってもうれしい事です。


若者が汗かいて働く姿は尊敬できる。セガレにも行った時には萩本君の
影響を受けてもらいたい。間違っても無職の若者とは付き合ってもらいたくない。


しめ鯖を火であぶった一品は酒の肴になった。


ベーコンの入った青野菜サラダも旨かった。


トンカツの衣も本格的で北京で時々食べていた豚カツよりよいできだ。


塩山君も総経理に負けない酒豪だった。生ビールと特大ハイボールを
何倍飲んだかわからない。


アジの塩焼きを三人でつまむが大根おろしを皿ごとぶっかける。


最後に豚骨ラーメンを三人で一つ頼んだが私は食べきれづあきらめた。
当日は前日の疲れが残っていて足がふらふらしていた。


     品書きには萩本君の字体で書かれた一言「いいですね!


中々センスのある手書きの値段表は彼のアイデアー「いいですね!



彼が勤め人ならば毎月の給料日が一番気になる日になるでしょうが
身銭を切って独立した その日からは別人に変身するのは人間誰でも同じです。