帝国海軍 工藤俊作中佐の出来事
産経新聞を読んでいると第ニ次大戦中の
帝国海軍駆逐艦「雷」の
工藤俊作 中佐の記事が出ていました。
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数年前にNHKの「ワールドレポート」に
も取上げられたそうです。
ロンドン発のリポートで元英国海軍
中尉サムエル・フォール卿の話です。
ジャワ海で、英国海軍将兵442名が
漂流中にこの海域を偶然通りかかった
日本海軍の駆逐艦に発見されました。
荒海に26時間近く何も食べず漂流していたため
生存の限界に達していました。自決用の
劇薬を全員に配布し終わり仲間数人が
服用しようとした時にフォール卿は
「ギリギリまでもう少し待て」と止めたそうです。
その後、眼前に突然現れた駆逐艦「雷」に
機銃掃射を受けていよいよ最期を迎えると覚悟したそうです
漂流英国海軍将兵発見直後撮影

1942年3月2日「雷」に救助を求め殺到する
英国海軍将兵(雷 後方右舷より撮影)
駆逐艦「雷」の乗員220名が救助した
英国海軍将兵442名は重油と汚物で汚れて
いましたが嫌悪することなく服を脱がせ
一人一人洗い流し衣服、食料を提供して
慰労したそうです。
救援され安堵する英国海軍将兵「雷」の甲板上にて
1942年3月3日「雷」よりオランダ病院船に
移乗する英国海軍将兵
対戦国でも工藤中佐は
「英国海軍を尊敬している。
本日、貴官らは帝国海軍のゲストである」
本場の流暢な英語でスピーチしたそうです。
その後日本帝国海軍監督下の
オランダ病院船に引渡し国際法の捕虜として
日本の管理下におかれたそうです。
終戦後、連合軍(GHQ)は工藤中佐の
出来事は発表されないまま東京裁判が
始まりました。したがってほとんどの
日本人は知らないままになっています。
その後フォール卿は戦後外交官として
活躍しその功績でサーの称号を与えられました。
工藤中佐は戦後生き残りましたが多くの
部下を大戦で亡くし供養の為に一生をささげました。
学生時代の先輩、後輩から再就職先の
自衛隊幹部、大商社、大手船舶関係の
誘いが来ましたが全て断って一生を過ごしました。
亡くなって数年後、中々分からなかった
戸籍を調べ探し回ってわざわざ
サムエル・フォール卿が墓参りにきたそうです。
工藤中尉は子供に恵まれず家は途絶えたそうです。
サムエル・フォール卿 海軍少尉
本の題名は「海の武士道」でした。
発行所 産経新聞出版




