高校生時代
私は横浜港北区にある高校の
昭和33年度卒業のOBです。
当時高校3年の日本シリーズは巨人×西鉄で
水原監督三原監督の因縁の試合でした。
結果は3連敗4連勝で西鉄がリーグ優勝した年です。
4連投した稲尾投手に「神様仏様稲尾様」と
神話が出来ました。その翌年早実から
巨人に王選手が入団した年でした。
私達のクラスは小商人の家庭が多く
ソバ屋、スポーツ店、食料品店、マーケット
パン屋、八百屋等々が半数を占めていました。
親は読み書きソロバンさえ出来れば
それ以上勉強する事は無いという時代でした。
当時の高校進学率は50%以下でした。
普通科を含め8クラス有り我々商業科クラスは
学校内でも掃き溜めに近いクラスで
校舎も2クラスだけで進駐軍(連合軍)が
使用していたカマボコ兵舎を
改造し校舎に使用していました。
担任を初め受け持った各先生は
生徒の緊張感はなく気が抜けていて
気楽な授業態度と全ての出来事を
大目に見てくれていました。
しかし当時の生徒には陰険な悪ガキはいない
出来が悪いのが集まったクラスでした。
それでも大学付属校で学債及び寄付を
多くすれば全員進学出来た時代です。
当時最強のアメフット名物監督(篠原)初め
多くのラクビー部の後輩を選手として
アメフット部に入れていました。
(当時全国の高校にもアメフット部は無い時代です)
毎年11月、第土曜日に横浜中華街、
市場通りの四五六菜館でクラス会行われます。
料理に関しては好き嫌いがあるので私は
合えて写真、動画では紹介いたしません。
四五六菜館のオーナーはマージャン好きで
使用人のころ熱くなって店を賭けた相手から
勝負に勝って店を取ったとうわさされています。
当たりはカンチャンの「五萬」いわれています。
それで縁起をかついで四五六菜館と命名したそうです。
肝心のクラス会での話がずれてしまいましたが
次回書きたいと思っています。