みなさまこんにちは


時間の流れがおだやかに感じられる


今日この頃


いかがお過ごしでしょうか





今日は


とある知人への


私の感想を


書き記しておきたいと思います





それは


節目で記録に残しておきたいという思いと


きちんと伝わっていますよ


というご報告を兼ねています





さて私に話してくれた


知人の数々の物語





その物語は


一つ一つが自分自身の過去の出来事に


関連づけられているような気がして


どこか新鮮味を感じ


またどこか郷愁を感じるようでもありました





そういったことに私が気づいているかどうか


そのあたりはあまり重要ではなく


むしろ


そう言ったもろもろを


理解していることを前提とした


やりとりはどうやら避けているようで





知人は伝えることのみが仕事だったのだと





そう解釈しても差し支えないだろうと


思うわけです





そんなことを考えていると


ふつふつと


触れざるべき核心部分に迫れるよう


つとめてみたいという情動に襲われる


一方で


そういう情動に突き動かされることに


どの程度の価値があるのか


自己批判的に考えてしまうのです





さて


話が変わり


相場を見ていて


将来のレート変動が


究極的によくわからないことを


前提とした取引を心がけていると


どうしたって


損切りに出くわすことになります





それは必然的な行動であって


その行動によって生じる動物的な情動は


相場ではなんら意味を成さず


必要な時に必要な行動が取れること


結果としてそれが


損切りであり


利確であり


利切り・見切りであるわけです





むしろ結果としての特損ではなく


必要な場面で必要な行動を取ったことによる


満足感に満たされることが


投機家としての成長であり


喜びであることを学びます





そしてこのように言語化できたとしても


実際の相場で実践できるかというと


それは極めて困難を極めること


また


相場以外の実生活での実践は


さらに困難を極めることが


実際に取り組んでみると如実に明らかに


なるわけです





呼吸をするように


意識せずに


実践できるところまで到達したら


もうそれは達人ではありますが


しかしそこに到達することを目指すことこそ


投機家として求められる姿勢であり真摯さだと


そう考えています





翻って知人の言動


これを見聞きした私自身の情動に


関心を寄せてみると


知人の一つ一つの言動に目的があり


その目的を私は尊重すべきだと


尊重することこそが


せめてもの償いでもあり


そして私なりのけじめでもあると


思うに至ります





おそらくずいぶん長い間


重圧に耐えながら


頑張ってこられたと思います





お疲れ様でした





あなたが役不足であったことを


伝えることは忍びないことです





時間は一つの区切りであり


これまで正当化されていた関係性は


いまや正当性を失いつつあります





これまではこれまでであり


これからはこれからと


どうか気持ちを切り替えて


そしてよって立つべき行動指針を再度確認し


日々過ごしてほしいと思っています





これまで本当に


ご厄介になりました


どうもありがとうございました