同居のきっかけ | すったりじゃん‥なブログ

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毎日の出来事や家族のことについて
思いついたことをテキトーに書いてます。
同居後に施設に入った義母(シヅ子さん)の病気の事や
介護の事なども書いています。
(シヅ子さんは令和5年6月に亡くなりました)
父ロスになってしまった母親についても書いています。

義母と同居することになったきっかけは

『脊柱管狭窄症』と『パーキンソン病』で

歩くことができなくなったから

 

義母は夫のいとこのお姉さんに助けてもらいながら

鹿児島で一人暮らしをしていた。

昨年末そのお姉さんから

 「母ちゃんは一人で暮らすのはもう無理よ」と

夫に連絡があった。

 「福岡で一緒に暮らした方がいいよ」

 「一緒に暮らせないなら施設を探したほうがいいよ」

と言われたそうだ。

後で聞いた話だが

歩けない…眠れない…何か音がする。と

お姉さんに昼夜問わず電話していたらしい。

看護師のお姉さんは義母の電話攻撃で

疲れてしまったみたい。

 

電話をもらって仕事の都合をつけて迎えに行った。

 

福岡に来た義母は

狭窄症が酷くなったからか

パーキンソン病の症状が強くなったのか

支えがないとほとんど立てなくなっていた。

年の瀬のバタバタしている時に整形外科を受診して

年明けに『狭窄症』の手術をすることになった。

色々と検査してわかったことだか

骨密度が義母の年齢の平均の1/3だった

いつ骨折してもおかしくない状態らしい

義母は『偏食のプロ』なので当然と言えば当然の結果だった。

ざっくりと言うと『肉嫌い』『生魚嫌い』『匂いが強いのは嫌い』

基本的に他人が作った料理は食べない…

外食はするけどあまり好きじゃないみたい。

おまけに偏食の上に小食と来ている

栄養が取れるはずがない。

 

整形外科の先生に

「これから長い治療になりますが、

  頑張りましょうね」と言われて

「ハイ。頑張ります」とのんびり答えていた。

 

病院の帰りにムスコ(夫)に骨密度の数値の低さについて

説教をされていたが、「食べてたよ、小魚とか色々…」

とケロッと発言し余計に説教をされていた。

この「ケロッと発言」が後々大事になるのに

わかってないなぁ…お義母さん

 

入院・手術までの1ヶ月間

なんだか食事のこととか色々大変だった~