【御書本文】

桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり

(御義口伝巻下 全784 新1090)


【通解】

桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を改めずに、そのままで無作三身と開きあらわしていくことが即ち無量義の「量」の意義である。


【先生の指導から】

人間も桜梅桃李だ。顔も、いろいろ。性格も、いろいろ。
皆、違う。違うから、人間の世界はおもしろい。
もしも皆が、何もかも同じだったら―なんと味気ない、また、恐ろしい世界であろうか。
皆、自分にしかない使命がある。舞台がある。
人生は劇である。
自分らしく、名優のごとく、生き生きと、生きぬきたい。
いつも笑顔で!快活に!そうすれば、周囲も笑顔になる。
そして聡明に語ることだ。口で、妙法を教え、人を仏にしていける。反対に、口で、人を地獄に堕とすこともある。
励ましこそ、人を幸福にする芸術である。
皆に喜びを与え、希望を贈りゆく一日一日であっていただきたい。