【御書本文】

法華経の行者はいやしけれども守護する天こわし、例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる犬は師子をほゆればはらわたくさる

(衆生身心御書 全1595 新2046)


【通解】

法華経の行者は卑しい身分ではあるけれども、守護する諸天は強い。たとえば、修羅が日月を呑むと頭が七分にわれ、犬が師子を吠えれば腸がくさる。


【先生の指導から】

興味深いことに、トルストイが破門されてから、宗教の相違を超えて、全世界的な人間性の連帯が、それまで以上に、さらに大きく広がっていった。
まるでトルストイのいるところが、「魂の都」であり、「世界の精神の中心地」であるごとく、世界のさまざまな宗教・思想の人々が、彼のもとを訪問した。心からの共感と感謝がこもった、数々の栄光の顕彰も行われた。
このトルストイと世界の交流の広がりを、ある伝記作家は「全人類の渾然たる未来の大融合のシンボル」(ビリューコフ著「大トルストイ」原久一郎訳、勁草書房)と記している。
私たちも、日顕宗の偏狭にして陰湿な鉄鎖を断ち切って以来、かえって広々と、世界平和のために、「文明間の対話」「宗教間の対話」を進めることができた。私も、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などの方々とも対話を進め、数多くの「対談集」を残してきたことは、ご存じの通りである。