【御書本文】

若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり

(立正安国論 全26 新36)


【通解】

もし善比丘が仏法を壊るものを見ても、そのまま見過ごして呵責もせず、追いだしもせず、その罪を責めもしないでいるならば、その人はたとえ善比丘であっても仏法の中の怨敵である。もし、よくその謗法を追い出し、呵責し、その罪を責めるならば、これこそわが弟子であり、真の声聞である。


【先生の指導から】

仏敵を目にしながら、破折の声をあげない。戦うべき時に戦わない。その人に真の幸福はない。
戸田先生は、卑しい保身の心根を、鋭く見抜かれた。増上慢の幹部は、烈火のごとく叱られた。
あの厳しさありて、学会は大前進してきたのである。