《開目抄》

【御文】 

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし 

 【御訳】 

私ならびに私の弟子は諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。拙い者の習性として、約束したことを、いざという時には忘れてしまうものである。 

【講義】

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。本抄の前段で日蓮大聖人は、法華経の行者としての御自身の御境地を「せんずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」と明かされました。この師匠の大誓願に呼応して不二の信心で立ち上がれ!と呼び掛けられているのが「我並びに我が弟子」で始まる一節です。「法華経」には、正法を弘通すれば必ず難が起こると説かれています。しかし、「三類の強敵」や「三障四魔」などの難にあっても信心を貫くならば、「自然に仏界にいたる」と大聖人は仰せです。大事なことは「諸難ありとも疑う心なくば」と仰せのように、どんな苦難や試練に直面しても、疑いや嘆きの心にとらわれることなく、「不退の信心」を貫くことです。

 【池田大作先生の御指導】 

創価の師弟は、諸難の連続の中にあって、この仰せを「まことの時」に断じて忘れず貫き通してきた。だからこそ、一人ひとりが「自然に仏界」を勝ち開いてきたのだ。そして、これからも、諸難を一つまた一つ、勝ち越えながら、いやまして「仏界」という最極の生命の大連帯を、地球社会へ広げていこうではないか!