はじめに付けていたタイトルがダークすぎたので
サンドイッチマンのネタより勝手に拝借しました
好きなんだよね、ほっこりした気持ちになる
先日のカウンセリングで過去のトラウマを話したら、まさか小学校のときの移動教室で嫌だったことが夢に出てくるなんてね。過呼吸を起こすと身体中がバキバキになる。今日が休みで良かった。
【恐怖の移動教室】
小学6年生のときにあった移動教室のことは
今でもフラッシュバックすることがある。
団体行動が苦手で他人と寝ることができないわたしにとって、修学旅行=移動教室は地獄だった。
当時、隣のクラスの担任だったウカセンが苦手だった。怒ると感情的になって、ヒステリーを起こすから、人の怒鳴り声でお腹が痛くなってしまうわたしは常にビクビクしていた。
移動教室1日目の夜、大部屋で寝付く事ができず、睡眠不足の状態でハイキングに参加した。お腹が痛いです、と保健の先生に不調を訴えても、表情と体調が一致しないわたしはサボりだと思われ、元気そうだから行ってきなさいと尻を叩かれた。
保健の先生含めマダムキラーだった幼馴染が湯たんぽでお腹を温めながらこちらを見てニヤリとしていたので、サボり魔な彼は確信犯だと思った。
雨の中、ぬかるみに足が取られ、足が気持ち悪かった。蛭に血を吸われたことが関係するのかしないのか
とにかく体力、気力共に限界に達していた。
言い訳になってしまうが、魂がどこかへ飛んでいた。
お弁当のゴミの分別の口頭指示が頭に入って来ず、
食欲もなかったので、わたしは手を付けない状態のお弁当をビニール袋にひとまとめにして、そのまま捨てた、らしい。
らしい、というのは肝心な部分の記憶が抜け落ちているからである。
ウカセンが怒鳴っているとき、
最初はわたしのことだと分からなかった。
『最低な野郎だ』
『犯人が名乗り出ない場合、連帯責任だからな』
そんなんしたの誰だろう、早く部屋に戻って休みたい、と思っていたらまさかのわたし待ちだった。
確かビニール袋をごみを捨てていたのはわたしだけで、みんなは手に持っていたから怒鳴られたのかな?
わたし以上に、担任がビックリしていた。学年全員の前で呼び出され、羞恥と申し訳無さで冷や汗が止まらなかった。
解散になって皆が部屋に戻ったあとも、わたしはウカセンに怒鳴られていた。班長失格と言われましても、決めたのは同じ班の子なのになぁ。担任はウカセンの言いなりだった。
理由を聞かれて、わたしは思ったままを答えたことが、余計にウカセンの怒りを買った。
「お腹が空いていませんでした」
「あげる人もいませんでした」
謝ればよかったんだろうけれども、怒鳴られたときのショックで言葉が出なかったし、ボーッとしていた。
黙ってしまったわたしの顔を見てウカセンは
『何だその態度は』と言った。『お前のような人間が学年全体をダメにしている』とも怒鳴られた。ウカセン中心に学年が回っていたのでそこからは……お腹が痛くなってきたのでまたの機会に。
蓋をしていた過去を掘り起こす機会があったので、書いてみた。
いまだから振り返ることができるけれど、
当時は怒鳴られたことがすべてになってしまって
何で人が怒っているかわからなかったんだよね。
残飯を入れるところはどこですか?って聞けばよかったのかな?ゴミを分別しなかったわたしが悪いのだけれど、食べ物を粗末にするのはいけないことだと教わったけれど、お腹が空いていない時は胃に物を入れたくない。これってわがままなのかな?
決して反抗していたんじゃないんだよね。子どもらしく、泣きながらごめんなさいとでも言えたら直ぐに解放してもらえたんだろうけど、怖くて何も言えなかった。家なき子の安達祐実さんみたいな神がかった演技ができるわけでもない。泣くのは今も一人のときだけである。
子どもが子どもらしくいることをヨシ!とする一部の大人たちからは、気持ち悪い子、嫌な目をしていると言われたこともある。具体的に教えてもらってないから、そんなん言われてもわかんないよ。
小学校最後の思い出作りというけれど、移動教室は、ウカセンに怒鳴られたことと蛭に血を吸われたことしか覚えていない。
移動教室は行くべきではなかった。当時、お金がなくて行けないのは可愛そうだと言って積立に協力してくれた人たちには申し訳無いけれど、団体行動と口頭指示が苦手な人間には辛すぎた。
人への印象ってなかなか変えられるものじゃないから、わたしはウカセンに反抗的な児童だと思われていて怒鳴られた思い出しかないけれど、ウカセンは保護者からの評判は良かったみたい。大人の女性って相手によって顔を変えられて凄いなってそのとき思った。
達筆だったところと、木琴のマレットの連打がめっちゃ早いところは尊敬してた。いつもはスウェットだったけど、卒業式の袴姿は綺麗だった。
※つい昨日のことのように昔のことを書いています
わたしは全力枕投げを夢見ていたのだけど、同じ部屋の子たちに提案したら鼻で笑われてしまった。
高学年になったときにはなんとなく仲良しグループがというものができていて、おしゃれや恋愛の話をしていることについていけなかった。
修学旅行の夜、好きな男子はいないと言ったら、女子が好きなの?って聞いてくる子がいた。冗談だとわからなくて固まった。なかなか話が終わらなかったから、適当に思いつく無難な異性として、近所に住んでいる幼馴染と答えたら彼も同じ回答をしていたことがわかった。冷やかされて面倒だったことを今でも覚えている。
幼馴染とは小中高と同じ学校だったが、校内では話さないようにしていた。キャンプファイヤーのオクラホマミキサーで隣り合っても、肝試しでペアになっても、席替えで隣だったとしても、夜の海といういい雰囲気のところで二人きりになっても、ずっとふざけていて恋愛ムーブは起きなかった。お互いに受け身でシャイだったのかもしれない。
幼馴染と恋人になったり、結婚する人はほんとうにすごいことだと思う。
恋愛感情は一切ないと言えるが、男女の友情は成立しないというのが一般論だと思っている人たちからすれば、わたしと幼馴染の関係性はなかなか伝わらないだろう。
今ではお互いのパートナーを不安にさせないように、
複数人で会うことはあっても、1対1で会ったり連絡を取るのはやめておこうと幼馴染と約束をしている。同性に産まれてきたらよかったのにね、と、話したこともあるが、仕方がないことだと思っている。
さてさて、録画していた番組をみて
明日からまた生きていきましょうかね。
豊