『貴女は大人しくて良い子』


『お母さんを守ってあげてね』



施設を退所する9歳のとき、施設長のおばあちゃんに手を握られながら言われた言葉が大人になってもずっと楔のように私の心に刺さっていた。



わたしは良い子を演じきれなかったし

下の姉の暴力から母を守ることができなかった

既に共依存関係にある者たちからしたら、わたしの中途半端な正義感はマイナスに作用するだけであった。



精神疾患について理解しようと勉強してきたつもりだが、当事者でないとわからないことがほとんどだと思う。


当時、学校へ行く前に壁を殴る音や乱暴な言葉を耳にするのはキツかった。今ではかなり安定しているそうだが、正直ローの状態の姉に会うのは怖い。


言った側は覚えていないかもしれないが、悪魔。お前が居なきゃよかったのにと言われたことが今でもトラウマになっている。



こんなこと書くのはどうかと思うけれど、就職して、あのタイミングで半強制的に実家を出たことでひとつのことに専念できたし、私の心は守られたのかもしれない。



言われた言葉がすべてだからさ

極端な考え方しかできないからさ


良い子だなんて5歳から言われ続けられたら

良い子じゃなきゃいけないと思っちゃうのよ


周りの目を気にして、計算しながら生きていたら、だんだん本当の自分というものがわからなくなった。


周囲との違いも感じ始めて、拗らせていたわたしにも非はあったんだろうけども小学校高学年あたりから学校という小さな社会に、人から評価されることに、ものすごくストレスを感じるようになってしまった。



施設出身の子は知恵おくれだと言われたくなくて、学校を休んだ日も教育テレビの講座を見て、本を読んだ。成果が数字に表れるのは楽しかった。




『お母さんがあんななのに頑張ってるね』


ある権力者からこの言葉を言われたとき、身体障がい者への偏見や蔑みを感じて、初めて人に対して怒りを覚えた。母とは紆余曲折あったが、今思えば、施設を出てから父からの養育費もない状態でわたしたちを育ててくれた、わたしからしたら立派な人間である。母の生き方を馬鹿にされたように思えて嫌だった。


その人の車をパンクさせると母に迷惑がかかるので

誰も見ていないところで鉛筆で太ももを刺したり、壁に頭をぶつけてストレスを解消していた。




『どうしたらあんな良い子に育つんですか』


それを言われた母は鼻高々だったみたいだが、当時はやられたらやり返すの精神が働いていたので傷害にならない程度の問題行動を起こしていた。母は仕事が忙しくて学校に来なかった。学校で起こる小さなトラブルは、問題を表に出さずみんな仲良くがモットーの担任が無かったことにしていた。


贔屓されていると同級生からは嫌われていた。教師に色々言われたくなければ、教師に放課後質問するなり仲良くなって成績を上げれば良い。教えることが好きで教師になったのであれば。どうしたら子どもらしくいられるのかわからなかった。自身の欲を抑えられないトラウマを植え付けるだけの変態は論外。


うちには塾へ行くお金がないことはわかっていたし、当時は大人が理想とするであろう聞き分けの良いどっかの子を演じていただけである。それは本当の私ではない。




話は変わるが、ハンディがあることがわかると親は子に何か光るものを見つけたがるのはどうしてなんだろう?


最近疑問に思ったので誤解や批判を恐れず書いてみる。



『アスペルガーの人は天才って本に書いてあったよ』



母にそう言われると捻くれ者のわたしは慰めに感じてしまうのだけれど、それって子どものころから才覚があって、療育と教育環境が整っていて潤沢な資金のあるほんの一握りの人のことでしょう?お金の話をすると未だに揉めるから言わないけれど。



喋る代わりにこんな感じでダラダラ書くことは好きだけれど、好きなことを生業にしたいとは思わない。


生まれてきた子に突出した才能があったらすばらしいことだけど、それが稼ぎに繋がるかはわからない。例えば配信者だったら誰かの目に留まって爆発的に流行ればいいが、正直素質や運もあると思う。


画面上ではおちゃらけて見える人も、魅せ方に気を配ったり見えないところで様々な工夫を凝らしているだろう。そのような人たちは漏れなくマメである。どんな世界にも上には上がいることを忘れてはいけない



何が言いたいのかわからなくなっちゃったけれど

生きづらい世の中で息してるだけで

もう、200点満点じゃない?



HSPの人の本を見つけるまで、発達障害という言葉自体知らなかったから、わたしはおかしい、失敗作ってずっと思ってた。死にたくならない理由が無かった。



花火やクラッカーの音でパニックになっていたよ

空気を読めなくて、集団行動ができなくて、冗談も通じないから変なやつ、おかしいって散々言われた。表情に乏しいから、ロボットとも言われた。周りには年上しかいなかったから、どう接してよいのか分からなかった。身体に触れられたり、距離が近いのが嫌だった。話題がポンポン変わる女子の会話のペースについていけなくて、男子と車やグラドルの話をしていたらビッチって言われたよ


障がいをオープンにしたら、給料下がったよ。

一般企業はマルチタスクができて当たり前なのかもしれない。得意なことで稼ぐって難しいよ。


外は音や刺激がいっぱいだし、太陽や蛍光灯は眩しいし、混み合う電車は人の脂や整髪料のにおいで長く乗っていられない。興味はあるのに、爪や肌に何かがつく感覚が厭でネイルやメイクをしてもすぐ落としたくなる。着る服の素材も限られている。



これを外に求めるとわがままになっちゃうからね。

迷惑をかけないように、普通の大人というものに日々擬態して生きることでいっぱいいっぱいなんです。





見られていると怖くて手が止まっちゃう。

わたしは不器用だしやることなすこと遅いからね

理解するまでに、人よりも時間がかかる。プライベートでも先回りしてやってもらえるのはありがたかったけれど、一人暮らしで精神的自立を経験して、自分の身の回りのことは自分でできたほうが良いように思う。考えて動くことを放棄する大人になっちゃうよ






自身が発達障害とわかったときの捉え方は人それぞれなのかもしれない。大人になってADHDということがわかって、絶望を感じて亡くなった方もいるけれど、実は二次障害の抑うつ状態だったんじゃないかな?


わたしは医者ではないし、その方と深く関わったわけでもないのであれこれ憶測で書くのは失礼だろうからやめておく。個人的には発達障害ってわかったとき、ものすごく納得したよ。ショックじゃなくて、安心して涙が出た。



育ってきた環境がアレだったし、遺伝的に何かしらの精神疾患があるのかもしれないって感じていたけれど、実際に抑うつ状態になるまで過去を掘り下げたり自身の心について調べることは無かった。そのころは双極性障害やASDって言葉自体知らなかったもの。


できない自分や社会に対しての怒りが抑えられなくて自暴自棄になったとき、ハイとローの差が激しかった。双極性障害なのかと思って精神科に勇気を出して行ったのに、情緒不安定、考えすぎで終わってしまった。答えを貰えなくて、ずっと宙ぶらりんの状態だった。


人と足並みを揃えられない自分がおかしいって思ってた。このおかしさに名前が付いて、証明できるものができて本当によかった。


生まれてだいぶ経ってしまったけれど

カラダは横にしか成長しなくなってしまったけれど

大器晩成型、まだ伸びしろがあるって思いたい。



だいぶ話が逸れてしまったね。



良い子の話に戻ると、子どもと言えど1人の人間であって他人なんだから、親がコントロールできるものでは無いと思う。心にも成長過程があるから、わがままで、生意気で言うこと聞かなくなる時期があってナンボなんじゃないかな。年齢不相応の「良い子」と接すると心が苦しくなる。



子どもの自己肯定感を育てるうんぬんの本や記事をよく見かけるけれど、きょうだいや他の子と比較したり、落胆のため息をついたり、なんでこんなこともできないの?ってお願いだから言わないでほしい。


なんでもない口癖が子どもの自己肯定感を下げていることに親は気付いていない。それを指摘してしまうと傷付けられたと感じてあなたは怒るでしょう?



あなたはわたしの大切な宝物

元気に笑顔で生きてさえくれれば良い

生まれてきてくれてありがとう



この世に生を受けたときに赤ん坊に対して思ったことが全てだと思うけどなあ。これって綺麗事なのかな。



子供は親に認められたいし褒められたいからね

無意識に良い子であることを求められるのって

なかなか辛いことだよ。








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