記憶に残っている学校の先生は?

→高校3年間担任だったH先生🐢





卒業する前、◯年後のわたしへという題名で

手紙を書いた。もう届かないもんだと思っていたら、まさかの実家宛に届いていたみたい。帰っていなかったからわからなかった。



同封されていたH先生からの手紙には



『覚えている人が居たら返送しようと思っていましたが、◯さんと◯さんが覚えていると知り、このタイミングで皆さんに返送しました。他にも覚えている人がいたら失礼しました』



って書いてあった。



どうして……。



でも、H先生らしいなって思ったよ



18歳の頃のわたしが書いた手紙と一緒に、

大事MANブラザーズバンドの「それが大事」の歌詞の写しが入っていた。



こうかなぼせきをたてるより

やすくてもいきてるほうがすばらしい



サビじゃ無いんだ。

しかしなぜ平仮名……。



肝心の手紙には


まとめて火葬されるくらいなら、若くてフレッシュな臓器を誰かに使って欲しい。死人に口なしと言うくらいだから生きている間に残しておきたい。心停止や脳死判定がされたときに臓器提供できるように、ドナーカードを常に携帯しておこうねって書いてあってビックリ。



当時のわたしはどんな思いで

この手紙を書いたんだろう……。



話が重くなってしまうので話題を変えるね。




恩師というワードから連想したんだけど


令和の時代の卒業式で「仰げば尊し」を歌う学校はほとんど無いのかな?


さまざまな理由から歌わなくなってしまったのかも知れないけれど、個人的に好きなんだよね。



でも、わたしが小中学生の頃だったら

歌いたくなくて口パクだったかも🩶



比べる訳ではないけれど、

旅立ちの日にの安定感すごいね。



卒業式で「旅立ちの日に」を歌っているのを聴くと感動もひとしおですがなんとも癒されますねー



小中学校で声変わりもあって

また違った曲に聴こえるのが不思議ですねー



「じゆうをかけるとーりよっ(スッ)



って、息継ぎのときに跳ねちゃうのがまたかわいらしい。そしてピアノが泣ける。



細胞分裂の回数が減っていくことに反比例して年々涙もろくなっている気がします笑い泣き



さて振り返りはブログの中で終わらせて

また明日から今を生きていきましょうかね。






 かなり懐かしい。確か最終回、泣きながら仰げば尊しを歌うの。阿久津真矢のグッとこらえる表情に泣ける。









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