この文は お坊さんから よく 聞いたことがありますね?
今日は27日?法華経27番を読んでいますと
『所以は何ん、仏には値いたてまつること得難し、
優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し』
二人の息子が父母に申し上げる言葉が出てきます
『父上も母上も仏さまにお目通りされて、
仏さまを供養なさってください。なぜこう申し上げるかといいますと、優曇華の咲くのを見ることがなかなかできませんように または片目の亀が大海に浮いた木の穴をみつけることが非常にむずかしいのと同じように、仏さまにあいたてまつる機会というものは滅多に得られないからでございます。幸い私どもは、父母をはじめ、先祖さまの前世によい業をたくさん積んだお陰様で 仏法の行われる国に生まれあうことができました。』
法華経に出会うことは これほど難儀中の難儀だというのです。
わたしは生まれつき難聴でなかったら この法華経に出会うことはなかったのです。また、先祖代々善業のおかげさまだと信じられるようになったのは読誦修行のおかげさまでした。
皆さんも このブログに出会えたことに
ホントに良かったのです。
今はコロナ禍、ミャンマーとかウクライナ情勢など
もともと、おかしな世の中になってしまいました。
この法華経は
●この宇宙はどういう成り立ちになっているのか
●人間とはいったいどんな存在なのか
●したがって、人間はどう生きねばならないのか
●人間と人間との関係はどうあるのが正しいのか
この四つを教えてくれるのです。