前記事はこちら

 

MYSTORY

21.母のこと

 

 

次男が幼稚園に入った年の暮れ

実家の母が62歳で亡くなった
癌だった
 
年末だったのでたまたま帰省する予定を立てていて
25日に帰省して、
滅多に帰省しないから、いつも付き添いしてくれてる父や姉に変わって
26日は、私が入院先の病院に泊まることになった
 
ホワイトクリスマスとなって雪が降っていて
26日の夜中
一人、bedの横に着きながら
探偵ナイトスクープを見ていた
意識はあんまりないやろうけど
耳は聞こえるっていうからね
テレビでこんなこんなやってるわ〜っwって
話しかけながら、手や足をさすったり
 
bedで寝ているだけの、怖い顔して叱ってこない母は
可愛いもんだった。
何を話しても否定してくる母はそこには居なかった。
そうして静かな一晩を過ごした
 
翌日27日
もう、長くはない状況の年末、親戚たちも面会にきてくれて
意識はあっても会話はろくにできない感じ
ほとんど寝ているようなそんな状況
 
夜になって
一旦帰宅して、晩ご飯を作っていたら
姉から危篤の知らせが入った
母の着替えの荷物など準備して父と、子ども達と向かったが
 
病院に行ったらもう母は亡くなっていた。
 
みんな、顔見にきてくれて挨拶してからだったし
私も帰ってきてる間のことで
母もわかってたんかなぁ。
なんとか、年内にお葬式できました
 
 
母とは・・・
似ているが故にぶつかってばかりで
母親として甘えられる存在ではなかったし
母がこの世から居なくなったのが悲しいというより
「あの、母」が消えた。のがとても不思議な感覚だった
あの強い存在の消滅が信じられなかった。
 
実家に居た頃の母の印象は
人助けに一生懸命になっている人。だった
 
親戚の夫婦に勧められて、新興宗教に入っていたのだ
ぼんやり覚えているのは
父方の家系にカルマがあり
それを自分達の代で断ち切るためだと言っていた
 
その言い方だと私たち子供のためと言っているように聞こえるが
実際、母親としての役割をせずに
人様のためにばかり時間を割いて
子どものことなど見てないやん。という
子どもならではの見方しかできず
「宗教」というものの理不尽さに
かなりの偏見を持ってしまった
 
家に居たら、仕事をしてるか、電話で何かしら話しているし
仕事してない日も、宗教がらみで出かけることばかりだった
 
別に寂しかったわけではない
でも、人様のためにばかり動いて
本末転倒じゃね?って
子どもながらに感じていた
 
ただ、母のスピ系の発想というのは
自分にもしっかり遺伝??していて
ボランティア精神というのも
持って生まれたものなのかなぁ
離れて暮らしていても
話してみると同じような状況だったりと
やっぱり姉も私もしっかり同じような「お役目」を持ってると
感じざるを得ないw
 
そんな母が癌になり
ますます
神様がいるならなんで母は癌になるんと
思ったけど
それにはそれの意味もまああるんやろうね
知らんけど
 
 
母が亡くなってから
「お母さんにはお世話になって」とたくさんの人から言われて
人様のために頑張ってはったんやなぁとは思ったけれど
 
たった一言のメモすらも
私たち子どもへ残した言葉はなかった
そんな母だった
 
だから
母が何を考え、どう生きていたかは
本当のところ、何も私にはわからない
 
ただ、言えるのは
確実に私は母に似てる。と年々、感じる(笑)
 
反面教師にしたり
恐るべしDNAと感心したり。
 
親子やね。やっぱり。