こんにちは、くまモンガレージです(^ー^)
さてさて、段々と腕の痛みを訴えかけている次男坊はさておき(*´▽`)
今回からいよいよスチームロコモーティブへ突入していきますよ!
所有のSL達です。
さぁ
機関車紹介 SL編スタートです。
今回はマイクロエース A6401
D52-403号機 御殿場線
そこでD52形は、軸重を平均16トン前後に増加させ、東海道本線や山陽本線、また北海道の一部の路線、線路等級でいうと「甲幹線」に分類される場所しか走れない代わりに、パワーを増大する方向で計画されました。
この重量増は、主にボイラーの大型化にあります。蒸気機関車の心臓ともいえるボイラーに熱を供給する火室(石炭を燃やす場所)の火床面積を、D51形の3.24平方メートルからD52形では3.85平方メートルに拡大するとともに、燃焼室を新たに設けることで燃焼効率を上げました。この結果、ボイラーそのものの大きさのみならず、圧力はD51形の14kg/立方センチメートル(初期)から16kg/立方センチメートルとなり、牽引力も1000トン以上を達成することができるように構造が変更されていました。
1943(昭和18)年12月21日に初号機(D52 21)が竣工したのち、翌1944(昭和19)年には135両が製造されましたが、当初の設計と異なり、戦時量産のために工程の簡略化や使用資材の節約などがなされていました。外見に現れた特徴としては、デフレクター(除煙板)やテンダー(炭水車)上部の石炭庫側板の木製化、蒸気溜カバーの角型化などが挙げられます。さらに装備を予定されていたメカニカル・ストーカー(自動給炭装置)の廃止や、ボイラーの簡略化も行われていました。
これがいわゆる「戦時量産型」と称されるモデルです。
このため、戦時の粗製乱造や検査の不足、石炭の質の低下、さらにベテラン機関士が次々徴兵されたことなどと相まって、当初期待された一般貨物列車で1000トン、石炭貨物列車で1200トンというD52形の特徴といえる牽引力を出せなくなってしまったのです。
これに加え、大阪鉄道局に所属するD52形33両のうち12両が、1944(昭和19)年12月前半に立て続けに故障を起こし、また敗戦直前から直後にかけてはボイラーの爆発事故を起こすなど、最強機関車として期待されたD52形は、一転して低性能で信頼性にいちじるしく欠ける蒸気機関車になり下がっていきました。
D52形は戦時下の事情によって、その期待とうらはらに「使えない蒸気機関車」の烙印を押されてしまいます。戦後の1947(昭和22)年から50(昭和25)年度には、285両ある所属車両のうち53両が、状態不良で廃車になっています。
しかし、1951(昭和26)年度に「装備改造」が実施されます。これによりD52形は当初の設計計画どおりに戻す改修が施されたことで、一転して所定の性能を出せるようになり、信頼性も向上しました。さらに状態の良好な車両は、49両がC62形の、20両がD62形の各々の母体として転用されました。
戦後は所定の高性能を取り戻して活躍の場を与えられ、そして戦後の蒸気機関車を代表するC62形に生まれ変わったD52形は、その誕生のときこそ不運でしたが、のちの世代の礎となって日本の戦後の復興に貢献した、隠れた功労者となったのです。
不遇な機関車D52形ですがあのC62やD62形の血となり肉となった機体です。
手元に置いて置かなければいけない機関車ですよね(*≧ω≦)
まだ理由は有るのですが後程出てきますよ