『法然と親鸞』

                 

 

<浄土>(じょうど)

仏が住む清浄な国土。

欲望や苦しみのない世界。

阿弥陀仏の極楽浄土。

 

 

<阿弥陀仏>(あみだぶつ)

全ての衆生を救おうと誓いを立てた仏。

極楽往生を説く。

 

 

娑婆は、この世。

涅槃とは、悟りの境地。

 

涅槃に行くのは、

あまりにも遠い道のりであるため、

この世と涅槃の間に、

浄土という中間的な場所の概念が

生まれました。

 

誰もが行きやすい浄土という概念。

日本では平安時代に、法然が浄土宗として体系化します。

 

 

 

法然は、皆を浄土に行かせてあげるためには

どうすれば良いかを考え、

中国の経典を調べ、

善導大師の書いた観経疏に

阿弥陀仏の名号を念ずれば往生できる

という一節を発見しました。

 

それが法然の称名念仏に結びついていきます。

 

そもそも念仏とは、

仏のイメージを念じること、

つまりは瞑想法のことでした。

 

称名念仏は、

仏の名前を唱えると同じ効果がある、

とするものです。

 

要は、仏像や仏画がなくても、

南無阿弥陀仏と唱えるだけで、

阿弥陀仏と縁ができ、

阿弥陀仏が浄土に導いてくれるということです。

 

これはまさに画期的な考え、

革命的な考えでした。

 

どだい、仏像や仏画など

当時の人からすれば、

手に入れることなどできません。

 

一部の特権階級である貴族などに限ります。

 

だから、それまでは、

こうした一部の人達だけが、

救われる考えにありつけたのですが、

法然によって、

どんな人でも、容易に救われる方法が

示されたのでした。

 

しかし、この法然の考えは、

仏の名前をたくさん唱えた方が良いという

考えを生みました。

 

 

そこで親鸞の登場です。

 

親鸞は、阿弥陀仏の本願のこの項目に着眼します。

 

「生きとし生けるものすべてが悟るまで、

私は浄土で待つ」

 

そこで親鸞はこう解釈します。

 

阿弥陀仏がそこまで言っているのだから、

既に生きとし生けるものすべては救われている。

 

南無阿弥陀仏と唱えるのも、

縁があるから阿弥陀仏に言わされている。

 

ゆえに、念仏を一言唱えるだけでも良いし、

口に出さなくてもよい。

 

これが親鸞の教えです。

 

 

 

法然は、浄土宗の開祖。

 

念仏のみ唱えていれば、

極楽浄土できるというのが教え。

他力本願。

 

 

親鸞は、浄土真宗の開祖。

 

念仏を唱えようと思った時には、

既に救われているというのが教え。

絶対他力。

 

 

親鸞は、法然の弟子。

 

「法然に騙されて念仏を唱えて地獄に堕ちても、

後悔はしない」

 

親鸞は、そう言って、

師匠である法然を信頼し尊敬していました。

 

まさに、親鸞の人生は他力そのもの。

 

最後に一言。

 

浄土宗と浄土真宗はこのように違いますが、

共通点があります。

 

それは慈悲。

 

 

 

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